1-11 長い昼休み
昼休み、屋上に戻ると相島陽菜が待っていた。
ピンクのカーディガンを着て校庭を眺めている彼女は、どこか寂しそうな顔をしていた。
「相島さん」
そう呼びかけると彼女は振り返って微笑んだ。その明るさが余計にさっきの寂しそうな顔の印象を僕に強く残した。
僕から相島陽菜に話しかけるのは初めてだった。彼女にとって、僕は遠くから視線を送っているきもいやつ、それを自覚しても、今はきちんと謝ろうと気持ちを強く保とうとしていた。
「一葉くんから話たいなんて・・・どうしたの?ていうか、一葉くんって都と仲よかったんだね!意外な発見」
「いや仲良いっていうか・・・」
僕の中で龍ヶ江の印象は最初とは随分違っていた。今は、なんていうか、頼もしい奴・・・噂でしか聞いてなかった時よりもずっと話しやすくなった。彼女は全然不良なんかじゃなかった。
「うん、まぁその今日仲良くなったっていうか・・・」
「そっか。都いい子だよね。大好きなんだ私」
「仲よさそうだもんな」
「ふふ」
相島陽菜は少し照れたように笑っていた。
屋上の日差しは暖かかった。
僕は決意したように後ろ手に持っていたノートを出した。
「あのさ・・・ごめん!これ、俺が持ち出したんだ!」
僕はノートを彼女に差し出し、龍ヶ江にした時のように頭を下げた。
「俺、相島さんと斎藤先生の噂確かめたくて、それで・・・それで相島さんの大切にしてたもの、勝手に・・・ほんとごめん!」
僕は顔を上げられずにいた。
相島陽菜はどんな顔をしているだろうか。
軽蔑しているかもしれない。怒っているかもしれない。きっと僕は嫌われてしまっただろう。きっとこれが、僕が勇気を出して話しかけた最初で最後の会話になる。
「一葉くん、顔上げて」
それは僕が想像していなかった、いつもの相島陽菜のお日さまのような声だった。
僕は恐る恐る顔を上げた。
彼女は微笑みながらノートを受け取った。
「ありがとうこれ、返してくれて」
「え・・・?怒って、ないの?」
「怒ってないよ。私よく物がなくなるの。盗まれてるのか、失くしてるのかわかんないけど・・・だから正直、ああまたか〜って感じだった」
そう言うと相島陽菜は困ったような顔で笑った。
彼女の朗らかな笑顔に僕は救われていた。僕を責めるどころか、ありがとうと言ってくれたことに胸が締め付けられた。
「斎藤先生とのこと噂されてるのもね、ほんとは知ってたんだ。みんながそれで私を避けるのも知ってた。でも、それでよかったの」
彼女はまたあの寂しそうな顔をして空を見ていた。
「どう、思った・・・?」
「え?」
「ノートの中、見たんでしょ?」
「あ、ああ・・・いや、その・・・まぁ」
「盗んだことさ、誰にも言わないから、正直に言って欲しいな」
相島陽菜は悪戯っぽく笑って僕を見た。
こんなにも寛大な心で許してくれた彼女に報いたくて、僕も本当のことを言おうと思った。
「すごいなと思ったよ。俺にはわからない数式ばっかりだった。相島さんは数学が好きなの?なんであんなに難しい問題・・・」
相島陽菜はまた僕に微笑むと寂しそうな表情をした。踏み込みすぎたかもしれなかった。でも、僕はもうこれ以上彼女の前で嘘をつくまいと思っていた。今僕から出てくる言葉全てが僕の本心だった。
「一葉くんになら、話してもいいかな・・・」
そう言って彼女は持っていたノートに視線を移した。
「私の、夢のためなの。すごく大切な夢」
僕はゴクリと唾を飲んだ。
ノートを見る彼女の眼差しは、屋上で話した時の龍ヶ江のように真剣だった。
「私のお父さんね、私が小学生のころに病気で亡くなっちゃったんだ。お父さんね、気象予報士だったの。毎日忙しくていつも私が学校に行く頃に帰ってきてた。でもね、休みの時はいっつも一緒にいてくれた。それで、天気の話をたくさん聞かせてくれたんだ」
「お父さんのこと、好きだったんだね」
「うん。大好き。今でも。空を見上げるとね、それが晴れでも雨でも真っ暗な夜空でもいつでもお父さんがいるの・・・私ね、お父さんみたいな気象予報士になりたいんだ。それが私の夢、なんだよね・・・はは、なんか恥ずかしいな」
「なれるよ。相島さんなら」
「え?」
紛れもない本心だった。気象予報士なんて相島陽菜にぴったりじゃないか。
「だってこんなに一生懸命勉強してるんだもん。それになんか、気象予報士、相島さんにすごく似合ってるよ」
彼女は驚いたような顔をしていた。ああ、そうか、ノートを盗んだ奴が何言ってんだって感じだよな・・・。
すると、彼女の目がキラキラし始めた。口はへの字になっている。
「うう、どうして・・・どうして、そんな・・・」
「あ、相島さん!?どうしたの?」
彼女は大粒の涙をぼろぼろこぼし始めた。僕はどうすればいいかわからなかった。とりあえず近づいてみたものの、触れることはできず、ただ近くであわあわするばかりだった。女の子を泣かせてしまった・・・しかも好きな子を・・・。
「う、う・・・ごめんえ・・・だって、そんな風に言われたの初めてだったから・・・うう、嬉しくてぇ・・・」
よかった。嬉し涙だった。それにしても泣きすぎている。人が来たら僕が泣かせたと勘違いされそうだった。
「俺なんて夢もないしさ、ほんとすごいよ。やりたいことがあるってかっこいいなって思う」
そう、僕には夢がなかった。
バスケは好きだけど本気でプロになれるなんて思ってないし、勉強だって親に言われるまま進学の道を選んで、仕方なく大学のために勉強しているだけだ。
でも相島陽菜は違う。彼女は彼女の目標のために、なりたい自分になるために努力しているのだ。
僕が彼女に惹かれる理由がなんとなくわかった気がした。彼女のキラキラした笑顔の奥にはいつも大事にしてる夢があったのだ。
「ありがとう・・・一葉くん・・・私、頑張るね・・・」
少し落ち着いてきた相島陽菜は涙を拭きながらそう言った。
「うん。応援するよ」
僕はそう言って頷いた。
でも、僕には腑に落ちていないことが一つあった。
「あのさ、一個、聞いてもいいかな」
「うん?」
「みんなにも斎藤先生に勉強教えてもらってるだけって言わなかったのは?」
「ああ・・・うん・・・あのね、今考えたら私が馬鹿だったなって思うんだけど、みんなに私の夢、笑われちゃうんじゃないかって怖くてさ・・・。それよりは先生とのこと、噂される方がマシだって思っちゃった」
「そんな・・・」
「でも、どんどん噂が大きくなって、怖かった。こんなことになるなら笑われてでも正直に言えばよかったって今は後悔してる」
「今からでも言おうよ。俺も手伝うからさ!それに、きっとみんな応援してくれるよ相島さんのこと。そのノート見たらみんなわかってくれるよ」
「うん・・・ありがとう。一葉くんって変な人だと思ってたけど、優しいんだね」
そう言うと彼女は笑顔に戻った。
変な人って言われたけど、僕はなぜかとても晴れやかな気持ちだった。
彼女がそこまでして自分の夢を隠そうとする理由は気になったが、もうこれ以上踏み込む必要はなかった。
屋上を出ようと扉を開けるとクラスの女子たちがいた。僕たちの話を立ち聞きしに来ていたのだ。
彼女たちは気まずそうにしていた。そして、相島陽菜が現れると口々に謝り出した。どうやら、みんなに改めて説明する必要はなさそうだった。ああ、本当に、女子ってめんどくさい。
それから、斎藤と相島陽菜の噂はそんなことあったかというくらいに消えていった。
斎藤の授業は相変わらずわかりやすかったし、相島陽菜の席には休み時間のたびに女子たちが詰めかけた。それでも、一番仲がいいのは龍ヶ江のようだったけど。
碧海はあれからほとんど話しかけてくることはなかった。僕に興味がなくなったのか、相島陽菜に興味がなくなったのか、もちろん、沖野との会話に入ってくることもない。まぁ、逆に静かなのが怖かったりもする。
僕はというと、少し変わった。相島陽菜と目を見て話せるようになったのだ。もちろん、僕から話しかけられるようにもなった。でも、告白したわけでもないのに、クラスでは僕たちをくっつけようという一種のノリみたいなのができてて、それはちょっとやりづらい・・・。
龍ヶ江とも普通に話せるような仲になった。なんでも朝が相当苦手ならしく、遅刻はそのせいだったようだ。龍ヶ江にも苦手なものがあると思うと少し面白かったし、親しみが湧いた。
思えば、僕がこんな風に変われたのは、言ってしまえば碧海のおかげでもあった。あいつが、僕を行動させなければ、僕は変われなかった。いつまでも何も言わず、何も行動しない傍観者でいただろう。
碧海への怒りは気づけばなくなっていた。それどころか、いつかきちんとお礼を言おうとすら思っていた。
僕はなりたい僕に近づけているような気もして、そうでもないような気もした。でも、夢とか恋とか友情とかをただただ遠ざけて、無関係を演じていた僕はもういない。間違ってもいいから今は自分に正直に動きたい。言わないと伝わらない、行動しないと変わらないんだ。
僕たちはあまりにも多くを感じすぎる。僕たちにはそれぞれの正解が必要なのだ。
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