1-10 兆し
碧海を追いかけて廊下に出ると、龍ヶ江が職員室へ入ろうとしているのが見えた。
僕は、彼女がノートのことを教師に話してしまうのではないかと思った。
「龍ヶ江!」
僕は咄嗟に叫んだ。
彼女は驚いた顔でこちらを見ていた。
「頼む!今朝のこと黙っててくれ!」
屋上へ続く階段の踊り場は人気がなく、窓から暖かい陽の光が入ってきていた。
僕は誠心誠意の思いで龍ヶ江に頭を下げていた。必死だった。必死すぎて龍ヶ江が引いてしまうのではないかと変な心配がよぎった。でも今は自分がどう思われようとそんなことを心配している場合じゃなかった。
「・・・で、見たんだろ」
「いや、その・・・」
彼女は僕の考えに反して、引きもせず、怒ってもいないようだった。そして、表情を変えずに続けた。
「別に誰にも言わないよ。あいつももう気づいてるだろうし」
「え?気づいてるって、相島さんが?」
「ああ。で、どうだったんだよ。がっかりしたか?」
「いや、がっかりしたっていうか・・・」
むしろその逆だった。僕はあのノートを見て安心していた。それに、相島陽菜がこんなに何かを頑張ってるなんてすごいと思った。
それにしても彼女はノートがなくなったことに気づいていたのに、いつも通りだった・・・。いや、いつも通り振舞っていただけで、心の中では悲しんでいたのかもしれない。
「むしろ、ホッとしたっていうか・・・」
「・・・」
龍ヶ江は僕を一瞥し、屋上へ続く扉を開けた。扉は鈍い音を立ててゆっくりと開いた。僕は彼女の後ろに続き、光の中へと進んだ。
「噂はデマだ」
「え?」
「誰かが流した嘘だ」
空は晴れていた。龍ヶ江は僕をの方を振り返った。
「相島は放課後に斎藤に数学の特別授業を受けてる。親も学校も公認のな。かなり遅い時間になってしまうこともあったみたいだな」
やっぱりそうだったか・・・。
「碧海になんて言われた?」
「なんで碧海の名前が出てくるんだよ」
「あいつにほだされてやったんだろ。お前はそんなことするやつじゃない」
「な・・・」
碧海だけじゃない。龍ヶ江にすら僕は見透かされていた。二人は遠いようでどこか似ている。
「
僕はドキッとした。
「だってお前いつも相島のこと見てるだろ。わかりやすすぎる」
「まじか・・・」
それって結構気持ち悪くないか・・・僕は何も言ってこないくせに、ただ見てる怖いやつってことだったのか・・・。しかもそれを他人に指摘されるまで気づかないなんて・・・。
「そんなんだから碧海のターゲットにされたんだ。あいつはさ、友情とか恋愛とかそういうのをいいだけかき回して、ややこしくして、人が自分の思い通りに壊れていくのを見たいんだよ」
龍ヶ江は手すりに寄りかかって校庭を眺めていた。その目は真剣だった。
「私はそれを止めなくちゃいけない。もう誰かが傷つくのは嫌なんだ・・・まぁ今回はあいつの見込み違い、失敗だな」
「じゃああの噂も碧海が?」
「まぁ大方そうじゃないかとは思ってたけどどうだろうな」
僕は碧海の言動一つ一つを思い出していた。思い返せば、僕はあいつの掌の上で踊らされていた。
碧海が1年の時に起こした事件、その被害者もこんな風にあいつの言動でいつもとは違う自分になってしまったのかもしれない。僕みたいに気がついたら追い詰められていたのだ。
でも、それをなぜ龍ヶ江が止めようとするのだろうか。彼女は一体・・・。
「昼休み、お前が話したいって言ってるって相島に言っておくよ」
「え!そんな・・・なぁ龍ヶ江、席前後だろ、返してくれたり・・・」
「はぁ?自分のケツぐらい自分で拭け。そんなんだからあいつに目つけられるんだよ」
龍ヶ江は鋭い目でこちらを睨んでいた。
「はい・・・すみません」
「・・・何も正直に盗んだって話せって言ってるわけじゃない。拾ったとでも言って返せばいいだろ。私しか見てないんだし」
龍ヶ江はいいやつだった。今日1日で彼女の印象は全く変わった。相島陽菜のことにしろ、龍ヶ江のことにしろ、噂は噂でしかなかった。
「龍ヶ江っていいやつだな!ありがとう!」
僕は龍ヶ江の背中に向かっていった。
「はっ・・・単純だな」
龍ヶ江は振り返ると笑みを浮かべながらそう言った。笑うと意外と女の子らしと思った。
「やっぱさ、俺、ちゃんと言うよ。ノートのこと」
これ以上、龍ヶ江の優しさに甘えるのはずるいと思った。相島陽菜になんと言われようと、どう思われようと、自分がやったことの責任はとらなければならないと思った。
龍ヶ江は黙っていたが、また笑って言った。
「ああ」
僕の本当の戦いは昼休みになりそうだ。
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