1-9 後悔
結論から言うと、ノートはただの数学のノートだった。
休み時間、ノートを他の教科書に重ねて持ち出し、トイレの個室で僕はその緊張の一瞬を過ごした。
ノートの中には数学の問題が解かれていた。どのページにも二人がやり取りしているような痕跡はなかった。僕の盛大な勘違いだった。
でも何かがおかしい。こんな問題、こんな数式、僕は見たことがなかった。
そう、確かにそれは数学のノートだった。だがそれの中身は、僕の数学ノートとは大きく異なっていた。
高校2年では習わないような長い数式や、どこで使うのかわからない公式、とりわけ多かったのが、難しいグラフや確率の問題だった。
これは僕の推測でしかないが、相島陽菜は恐らく、授業とは別で斎藤から数学を学んでいたのではないだろうか。でもなぜ彼女はそこまで数学に力を入れているのだろうか。斎藤に近づくため、とも考えたが、それにしては度がすぎるような勉強量だった。
とにかく、僕は碧海にほだされてただ好きな人から窃盗をしただけの人間になった。彼女を救うどころか彼女の努力の成果を盗み、彼女を困らせているかもしれなかった。最悪だった。
ノートをどう返すべきか考えれば考えるほど不安が募った。数学の時間までに教室に誰もいなくなる瞬間はなかった。
教室に戻ると相島陽菜は楽しそうに後ろの席の龍ヶ江と話をしていた。幸いまだ気づかれていないようだった。
だが僕はその瞬間、真っ先に龍ヶ江が相島陽菜に話してしまうのではないかと不安になった。「あいつが奪った」そう相島陽菜に伝えるのではないかと。
そしたら僕は終わりだ。相島陽菜との関係はもちろん、クラス、いや学校中から盗人扱いされるだろう。こんなこと、しなければよかった。全てが嫌になってしまうのを感じた。
授業には全く集中できなかった。
休み時間になり、僕は相島陽菜が席を離れるタイミングを伺っていた。まだノートを返すことを諦めてはいなかった。
「どうだった?」
碧海はこちらに体を向け興味津々と言う様子で話しかけてきた。
「何が?」
「何がって、見たんでしょ?ノートの中」
なぜ僕がノートを奪ったことを知っているのだろうか。
「ああ、大丈夫、僕しか知らないよ。他の生徒にはバレてないと思う」
碧海は見ていたのだろうか。それとも僕がいない時に机の中を見た?
「ねぇ、早く教えてよ!」
碧海は親におもちゃをねだる子どものようにあの真っ黒な目を輝かせていた。
バレてしまっているなら僕はもう言う他なかった。僕は自分をこんな状況にした碧海を責めたかった。
「ただの数学のノートだったよ。お前、考えすぎだよ」
碧海は黙った。さっきまで上がっていた口角はいつの間にか急降下していた。
「なーんだ。つまんな」
そう言い放ち、碧海は席を立った。
つまんない?相島陽菜が努力した成果を色恋なんかで僕を焚き付けて盗ませ、その上つまらないと・・・。緊張感で爆発しそうだった僕の心のもやもやは、碧海への怒りに姿を変え、それはどんどん大きくなっていった。
「は?おい待てよ!碧海!」
教室を出て行こうとする碧海を追いかけたが、途中で自分が思ったより大きな声を出していることに気がついて冷静になった。
教室にいる数名が僕の方を見ていた。
廊下を見ても碧海の姿はもうなかった。
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