1-8 悪事
週に一度、朝に全校集会が行われた。
体育館は眠気と戦っているのだろう、ゾンビのように虚ろな目をした生徒たちで埋め尽くされていた。
身長の高い僕はいつもステージから最も離れた後ろの方に並んでいた。
「すみません、少し具合悪くて」
後方にいた副担任にそう言って慎重に体育館を出た。
幸い、後ろを見ている生徒はいなかった。
机にバッグやジャージ、教科書が置かれ、誰かがいる気配があるのに誰の姿も見えない教室は、まるで僕以外が透明人間になってしまったようだった。
相島陽菜の席にはピンクのカーディガンがかかっていた。机にかかったスクールバッグには晴れマークのキーホルダーが付いている。彼女の朗らかな人柄を表しているようで、よく似合っていた。
ノートは机の中にあった。ピンク色のノート。僕は壊れ物に触るようにゆっくりと手を伸ばし、それを取り出した。
「何やってるんだ?」
足音はしなかった。
教室には誰もいなかったはずだった。
その声は遠慮なく僕の背中に叩きつけられていた。
後ろからナイフでひとつきされたような痛みがじんわりと背中に広がるような気がした。
僕は恐る恐る後ろを振り返った。ノートは後ろ手で背中に隠した。
そこには容疑者を見る警察官のように冷たい目をした龍ヶ江が立っていた。
いつものように遅れて登校してきたのだ。
誤算だった。少し考えれば、彼女が来る可能性に気づけたはずだった。僕は自分が思っているよりも何かに追い詰められるように焦っていたのだ。
僕は蛇に睨まれたネズミのようにその場から動けずにいた。
「そこ、お前の席じゃないだろ」
「い、いや、前のクラスでこの席だったから、懐かしいな〜って・・・」
苦しすぎる言い訳だった。言い訳にすらなってなかった。
龍ヶ江は黙ったまま僕を睨んでいた。ノートを持っているのもバレているかもしれなかった。
「碧海に・・・あいつに何か言われたのか」
「え?」
碧海の名前が出ることは想定外だった。龍ヶ江が何を考えているのかわからなくなった。
龍ヶ江はさっきまでの緊張を少しほどき、呆れたようにため息をついた。
「そのノート」
「これは違うんだ、その、俺の・・・」
やはりバレていた。
「見てみればいい。とったのはお前だ」
「え・・・」
そう言って龍ヶ江は教室を出て行った。
彼女はこのノートの中身を知っているのだろうか。碧海と龍ヶ江・・・あの二人はどういう関係なんだ?二人が話しをしているところなんて見たことがなかった。
僕は手の中にあるそれに視線を戻した。
心臓の音は龍ヶ江が去ってから少しずつ落ち着いてきていた。
「校長話し長いまじで」
廊下から生徒たちの話し声が聞こえ、僕はそれを開かないまま何事もなかったように席に戻った。
具合が悪いと言った手前、気だるそうに机に伏していた。ノートは自分の机の中にしまっていた。持ってきてしまったのだ。
相島陽菜が、ノートがなくなったことに気づいたら騒ぎ出すのではないかと僕は気が気ではなかった。バレる前に、数学の時間の前には返さなければと思っていた。本当に具合が悪くなってくるようだった。
「具合、大丈夫?」
ゆっくりと顔を上げると、碧海がこちらを覗き込んでいた。
「はは、なんだ、大丈夫そうだね」
碧海はそう言って自分の席に着いた。
僕は大丈夫じゃなかった。
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