1-4 噂
「見ちゃったんだよね。多分家まで送ってたんだと思う」
長い連休が明け、気だるい雰囲気が教室中に蔓延する中、クラスで最も賑やかな女子たちで構成されたグループだけがその勢いを保っていた。
部活漬けで筋肉痛になった足を踏ん張り廊下に出ると、そのグループの女子たちが中庭を挟んで反対側の廊下を見て何やら盛り上がっているようだった。
「車で!?やばくない?それ他の先生に言ったら問題になりそう」
「え、待って待ってみて」
反対側の廊下では相島陽菜と数学教師の斎藤が話している様子が見えていた。相島陽菜は何かノートのようなものを斎藤に渡しているようだった。二人はとても親しいように見えた。
心臓の音が大きくなっているのがわかった。
斎藤はノートを受け取ると、慣れた様子で相島陽菜の頭に手を乗せた。
「やーば」
「やってんな〜」
女子たちは半分呆れたような悲鳴を上げながらも、何人かは楽しそうに笑っていた。
「邪魔なんだけど」
廊下を塞ぐように騒ぎ立てている女子たちに、その声はぴしゃりと突き刺さった。体育の時間でもないのにジャージ姿で現れた龍ヶ江の鋭い視線が彼女たちを捉えていた。
「いこ」
女子たちは動揺しているように見えた。無理もなかった。人間関係が全てと言わんばかりの高校というコミュニティの中で、これほどまでにはっきりと誰かにものを言われることはなかった。ましてや、集団を形成し、誰にも何も言わせないといった勢いと自信をつけている彼女たちにとって、龍ヶ江の言葉は小さな村に打ち込まれた砲撃だった。
僕は二人から目を逸らした。正直言うとこれ以上見るのをやめた。
龍ヶ江は静かに廊下から立ち去っていった。
そういえば、龍ヶ江は体育の時相島陽菜とペアを組んでいた。教室の席も前後だ。彼女なりに相島陽菜を助けていたのだろうか。去り際にちらりと俺の向こう側に鋭い視線を送ったように見えた。
二人の関係に動揺したのか、龍ヶ江の態度に気圧されたのか、僕は何も考えられず、ただとりあえずここから立ち去りたい一心だった。
「あの二人、どういう関係なんだろうね」
その時、また後ろから深い夜の海のような声が聞こえた。振り返ると向かいの廊下の二人をしっかりと見ている碧海が立っていた。
「さあ・・・別にただ仲良いだけじゃない」
思わず自分の気持ちとは反対の言葉が出た。僕はそう言いながら自分に言い聞かせていたのだった。
「でも、ただ仲良い生徒を車で送ったりするのかな」
碧海は二人から目を逸らすことなく軽く笑みを浮かべながら続けた。
「怪しいよね」
「・・・別にそうだったとしてもあの二人の自由だろ」
碧海の真っ黒な目が僕を捉えた。
「自由・・・?教師と生徒の恋愛なんて誰が許すの?」
トーンの変わらない静かな言葉が怖かった。さっきまでの、二人が関係をもっていたら、ということへの動揺とは違った。碧海からは、龍ヶ江のような鋭い強さとはまた異なる力を感じるのだった。
それは、重くて動かせないものに囲まれてしまったような威圧感、もうここから一生出ることができないかもしれないと思わせる苦しさだった。
「な、なんで俺にそんなこと言うんだよ」
絞り出した言葉は揺れていた。自分よりも体格が一回り小さい相手に萎縮していたのだ。
「だって、
「は・・・」
碧海はそう言うとにっこりと笑顔をつくり、去って行った。
僕は動けなかった。
相島陽菜と斎藤はもうどこかへいなくなっていた。
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