第26話 王太子は愛を誓う

宿泊している部屋に戻ると、アレクシスは設えられた鏡の前にニナを座らせた。その白く細い首に繊細な細工が施された首飾りを着けてあげながら、アレクシスはうなじにキスを落とす。見る間に鏡の中のニナの顔が上気していき、薄紅色に染まる頬と、首飾りにあしらわれた蒼玉のコントラストの美しさに酔いそうになる。

「ニナ、すごく綺麗だ。愛してるよ」

後ろからニナを抱きしめて、耳元で囁く。

「私も、愛しています。アレクシス様」


「もうすぐ正式に結婚するんだし、そろそろ”様”はいらないんじゃない?」

何故だか無性に敬称が煩わしく感じて、アレクシスは言った。もっとニナとぴったり寄り添いたいのに、小さな邪魔者が入り込んでいるような妙な気分になったのだ。抱きしめた腕に添えられたニナの手に甘えるように指を絡め、ニナの頬に唇を寄せると、ニナがくすぐったそうにちょっと身を捩った。

「そ、そうでしょうか…。でも、ご結婚後も敬称をつけて呼んでいらっしゃるご夫婦は多いのでは?フェリシア様たちだって…」

「うん。もちろんそういう夫婦も多いよ。むしろ、そっちの方が多いと思う。でも僕は、2人だけの時はニナにアレクシスって呼んでもらいたい。何だか今、すごく”様”が邪魔で、いらないなって思っちゃって。僕たちの間には何も入ってきて欲しくない。駄目?」

こんな風に子どもみたいな我儘を誰かに言うのは初めてだった。幼少の頃、母である王妃にすらも言ったことはない。いつだって第一王子として、そして王太子として恥ずかしくない振る舞いを心掛けていたから。けれど何故だか、ニナならどんな自分も受け入れてくれるような気がして、思わず本音が漏れてしまった。


「ええと…それじゃあ…アレクシス?」

そんなアレクシスの我儘をなんの躊躇いもなく受け止め、恥じらいながら名前を呼ぶニナが愛しくて仕方ない。自分の名前がこんなに甘い響きを持っているなんて知らなかった。

『やっぱり、ニナはちゃんと受け入れてくれた』

ニナへの思いが胸いっぱいに広がり、苦しいくらいだ。絡めた指先に力が籠もる。

「もう一度、呼んで」

鏡越しに見つめ合いながら、甘く請う。

「…アレクシス…」

「もう一度」

「ふふ…アレクシス」

自分の名前を紡ぎ出す桜色の唇に、アレクシスは堪らず口づけた。甘く柔らかな唇を味わううちに、ニナの表情が蕩けていくのが鏡に映り、ますます堪らなくなっていく。

『もっともっと、僕に溺れて、ニナ。僕と同じくらいに』


「アレクシス…も…駄目…私…溺れてしまいそう…」

ニナの呼吸が荒くなり、吐息とともにまるでアレクシスの心の声を感じ取ったかのような囁きが聞かれ、アレクシスは唇を離してニナをぎゅっと抱きしめた。

「僕こそ、君に溺れているよ、ニナ。ずっと一緒だ」

アレクシスの胸に身を預け、ニナも頷く。

「はい。ずっと一緒です。アレクシス」

窓の外には満天の星。穏やかに微笑み合う2人を見守るように、バトン領の夜が静かに更けていった。



一月後、婚姻の儀は厳かに、そして盛大に執り行われた。

アレクシスは祭壇の前に立ち、父ブルーノにエスコートされながら一歩ずつ自分のもとへと歩みを進めるニナを見つめる。ふわりと広がるプリンセスラインの純白のドレスに身を包んだニナは、さながら妖精の姫の如く可憐だ。

『ああ、ニナ。本当に綺麗だ』

愛する人を妻に迎えられる。その幸せで胸が震えた。ブルーノからニナを託され、アレクシスはニナの手を取る。ヴェール越しのニナの瞳と目が合い、微笑み合った。

誓いのキスを交わし、その耳元にそっと囁く。

「ニナ。心から愛している。僕の生涯を掛けて、君を幸せにするよ」

ニナが喜びの涙を浮かべながら頷いた。


儀式を終えた2人がバルコニーに立つと、待ち受けていた儀式の参列者や祝宴の招待客、そしてバルコニーが見える広場に集まっていた大勢の国民たちからの大きな祝福に包まれた。

空に舞う色とりどりの花びらを目にした瞬間、以前この場所でフェリシアとヨアンの姿を涙を堪え見送ったことが頭を過る。その頃は、自分にこんな幸せな未来が訪れることなど想像もつかなかった。

隣に立つニナを見つめ、その頬にキスをする。

「この場所に心から愛する人との結婚を祝福される立場として立つのは、こんなにも嬉しいことだったんだね。これまでの辛さも悲しみも、すべてが昇華されていくような気分だ。全部、ニナが教えてくれた感情だよ。きっと、僕のこれまではニナと出会うためのものだったんだと、今ならわかる。ニナに出会えて、本当によかった」

「私も、アレクシスに出会えなかったら、誰かを愛し愛することの幸せを知らないままでした。本当に、ありがとうございます」

再び見つめ合って微笑みを交わす。

「王太子殿下、王太子妃殿下、万歳!!」

鳴り止まない拍手と歓声に包まれ、2人はぎゅっと手を握り合って観衆に応えた。



――婚姻の儀から数年後。

今やアレクシスの政治手腕は、国王からも貴族たちからも絶対的な信頼を置かれている。アレクシスの打ち出した政策によりこれまで貧困に喘いでいた地方の暮らしも上向いたとあって、国民からの人気も絶大だ。きらきらと輝くような美貌はそのままに、その面持ちには努力と自信に裏打ちされた頼もしさが加わり、以前に増して国中の女性を魅了している。

アレクシスの立場も支持も盤石であるため、国王も退位を考えているようだ。

「そろそろアレクシスに王位を譲ろうと思っている。退位後はバトン辺境伯が私たちに別荘を用意してくれるそうだから、妃とともにバトン領と王都を行き来しながらのんびり隠居生活を楽しもうと思う」

一度バトン領を訪れ、温泉と食事をとても気に入った国王は、嬉しそうに話していた。


「ミカエル、妹のマリーだよ。可愛いだろう?兄としてしっかり守ってあげるんだぞ」

「はい!僕、マリーを守ってあげられる強くて立派な兄になります!」

アレクシスとニナは一男一女に恵まれた。

誕生したばかりの妹の顔を嬉しそうに眺めながら、その小さな手をそっと差し出して指を握らせている愛しい我が子に、アレクシスは目を細めた。無事に出産を終え、娘マリーの横で同じく目を細めてその光景を見守っているニナの手を握る。

「ニナ、頑張ってくれてありがとう。愛する妻と可愛い子どもたちがいてくれる。これ以上の幸せはないよ」

「私もです。アレクシス」


二児の母になったというのに、ニナは結婚前と変わらず愛らしい。アレクシスの愛を一身に受け、充実した毎日を送っているせいか、年々美しくなっていると評判だ。元々小柄で童顔だったこともあり、ニナを知らない者が見れば、まだ未婚の令嬢だと言われても疑いもしないのではないだろうか。王都でも手に入れやすくなったバトン領の温泉水の広告塔なだけあって、肌も艶々と輝いている。


ニナは王太子妃となった後も周囲に請われ政務に携わり、アレクシスを支えている。前例のない賢妃としてアレクシス同様国民人気も高く、王太子妃自らが貴族女性の可能性を広げたことで、王城に出仕し勉強をする貴族令嬢も増えた。バトン領をモデルに地方の改革も進んでいる。

2人の絆はより強固なものとなり、国中のみならず他国にもその仲睦まじさは評判を轟かせていた。


「そういえば…バトン領から相談がきていた件はどうなりましたか?産気づいてそのままになってしまって…」

マリーを抱きながらニナがふと思い出したように尋ねた。

「その件なら、僕が指示を出しておいたから心配しないで。もう対応を始めたようだよ」

「アレクシスが対応してくださったのなら、安心です。ありがとうございます」

ニナは一点の曇りもない笑顔でアレクシスを見つめ礼を言った。心の底からの信頼が伝わり、アレクシスはベッドに腰掛け、ニナの肩を抱く。

「アレクシスもマリーを抱っこしますか?」

ニナに尋ねられ、アレクシスは優しく目を細める。

「うん。君ごと抱っこする」

マリーを抱いたニナを引き寄せ、その頬にキスをする。もう一方の手で、隣でその光景を見上げていたミカエルを抱きかかえた。

「僕の大切な宝物たち。この幸せを守るためなら、僕はどんな困難にも立ち向かえる。愛しているよ」

ニナとミカエルが嬉しそうにアレクシスに身を預け、真ん中でマリーが小さく声を上げる。

窓から差し込む穏やかな光に包まれた部屋に、家族の幸せそうな笑い声が響いた。

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傷心王太子は辺境の純朴令嬢に癒やされる 彪雅にこ @nico-hyuga

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