えいひれ:映画館や映画のこと

 昔は映画をたくさん見た気がする。

 単館上映系の映画館に週三、四回ぐらいのペースで通っていた時期もあったのだからそこそこ見ている方だろう。

 どうして単館上映なのか、それは単館上映をやる映画館の常連とかいうと賢そうに見えるにちがいない、賢そうに見えたらモテるとでも思っていたのだ。

 毎度毎度のことだが、本当に私は単純である。

 このエッセイを通じて自分を見つめ直すまで気が付かなかったのだが、私はここまでバカなのかと本当に思い知らされる。


 とはいえ、いくら動機が不純でも面白い映画や印象に残る映画はたくさんあった。

 蔡明亮の『西瓜』は無理やりつきあわせた相手にはえらく不評であったが、私は好きだった。

 『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』でヘンリー・ダーガーを知った。

 『低開発の記憶』(キューバ映画)、『クロッシング・ザ・ブリッジ』(ドイツ・トルコ映画)などは映画館がなければ目にすることもなかっただろう。

 ターキッシュヒップホップまじかっけーという素敵情報を知らないままだっただろう(でも、かっけーと思うだけで結局詳しくなれなかった)。

 ジャン・ルーシュの記録映画ではない映画を見られたのも単館上映の映画館のおかげである。


 同時にレンタルビデオ屋にいって、五本一週間一〇〇〇円でホラー映画を借りたりもしていた。養生した家(おそらく予算の都合なのだ)の中で繰り広げられるゾンビ映画とかまじありえねーとか言いながら一人真っ暗な部屋で観ていた。


 単館上映の映画館もレンタルビデオ屋もいまや絶滅危惧種である。

 とても便利になったが、意図せざるところからガツンとやられる経験は相当に減っただろう。


 考えてみれば案外楽しい時期に青春モラトリアムを過ごしていたようだ。

 今は常にゆるい地獄と快楽に包まれているように見えてしまう。いきなり殴られたりする機会が少なそうなのはもったいないなと思う。

 ただ、どこかで揺り戻しもくるとは考えている。

 多くの人が目もくれない作品に出会い殴られる機会が当たり前のように訪れる日が再びくるだろう。

 それを願いながら、私は今日もアマゾンプライムとネットフリックスでアニメを観る。

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