魚人のロティ マヨネーズソース添え:それは食ってもよいものなのか
私は読んだことがないのだが、ファンタジー小説で人間がオークを食べるという話があるのだそうだ。トールキンもびっくりと言いたいところだが、漫画の『ダンジョン飯』でも人に近い姿を持つ魔物を食べるかどうかというネタがあったので、それなりにポピュラーなネタなのだろう。
人の姿に近いものといえば、猿を食べる民族はいる。
人が人を食べるというのは特殊な状況以外では報告されていなかったと思う。
供犠やら復讐やらあるいは緊急避難的状況で人を食うという話で、映画『人食い族』みたいなのは基本ありえない。
とはいえ、ここらへんに関しては私はあまり詳しくないので間違っているかもしれない。
さて、貧乏小市民な私は変わった食事にはあまりありつけない。
昆虫にせよ、ジビエにせよ、大抵の場合はスーパーで私が買う食材よりも高いのでよほどのことがない限り私の口に入ることはない。ザリガニだって半額のシールがついていなければ買えなかった。この手のものは忌避する方も多いかもしれないが、私はどちらかというとウェルカムである。食べて良いのか悩むのではなく、買って(も私の懐具合は)良いものかを悩むだけである。
私が食べてよいのか悩むのは別種のものである。
学生として一人暮らしを始めた頃、最初のうちは誰も何も送ってくれなかった。
一人暮らしの子どものところに食べ物等の詰め合わせを送る。そして、子どもは「こんなに食べきれないよ」とか言いながらも嬉しそう。
これは定番の光景ではないか。それなのに、父も母も何も送ってくれなかった。
帰省のときにこう文句をつけて以降、母はたまに食べ物を送ってくれるようになった。
段ボール箱をあける。
わくわくしながら、中の食べ物をあらためる。
次は「こんなに食べきれないよ」と言わなくてはならない。
ふと賞味期限に目がいく。再度箱をあらためる。ことごとく賞味期限が切れている。
「こんなに食べきれないよ」というのは私ではなくて母だった。
次の帰省のときに文句をつけた。
「なんで全部賞味期限切れてんだよ」
「大丈夫よ、食べられるから」
「だったら自分で食べてよ」
「え? だって賞味期限でしょ、切れたら美味しくないじゃない」
その日の夕食には賞味期限切れの納豆が出た。
母は自分では賞味期限切れのものを食べない。
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