子どもの記憶
@toshitoshitoshichang
第1話
院生用の共同研究室のある9号館からマフラーに首を埋めながら歩いていると、校舎に併設されたコンビニが目に入る。昨日から大学は冬休みに入り、学生の姿もほとんど見かけなくなっているが、大学院生にとって冬休みは無いに等しい。早く教授のところへ行かないと、と歩き出そうとしたが、電気の付いていないコンビニなんて珍しいなと踏み出した足にブレーキを掛ける。そのコンビニは1号館の地下に入っていて、外からでも緩い階段を下れば直接入ることができる。僕はコンビニを見下ろしながら、頭の中で熱いインスタント味噌汁を想像する。最近は共同研究室でインスタント味噌汁と節約のため持参したおにぎり2つで夕食を済ましてしまうことが多い。おにぎりを何で流し込もうかと少し寂しく感じながら、
「今日は、コンビニ休みか」
頭に浮かべたのか、声に出したのか分からなくなり、慌てて周りときょろきょろと見回す。その時ふと目に、工事中の防音壁に道が塞がれているのが留まった。冬休みの間に4号館を新しく作り直すのだそうだ。卒業を3月に控えた僕にとって、このサグラダファミリアは邪魔でしかない。どのように通り抜ければ良いのだろうかとよく見ると、巨大迷路の入り口のように防音壁で作られた歩道があった。その歩道を作る防音壁には、未来の4号館完成図と、黒板が掛けられていた。
「#before_i_die をつけてつぶやこう」
大きな黒板にはこんな言葉が印刷されていた。
「ビフォア、アイ、ダイ」
また少し周りを気にしながら、今度ははっきりと声に出しながらつぶやいてみる。もちろん、この黒板の言う「つぶやいてみよう」は、実際に声に出して呟くということを言っているわけではないのだろう。しかし、天邪鬼な僕は「つぶやく」ことをしていない。みんなやっていることはしたくない。
――― こんなことを言うと、
「みんな持っている。ってよく言いますけど、みんなって誰なんですかね」
と、誰かが言うと、
「みんな、ってのは、アメリカの研究で3人以上のことを指すんだそうですよ」
と律儀に返してくれる、クラスメイトの福岡さんのセリフが頭をかすめる。「つぶやく」ことをしている人は3人程度ではないことは確かだが、僕はブームに乗り遅れたってこともあって、今更始められない。
――― 「ビフォー、アイ、ダイ。私が死ぬ前に」
もう一度、大きな黒板に目を向ける。新4号館建設中のため、4号館を囲むように真っ白の大きな壁が現れたのは僕らが入学する前後であった。殺風景なこの白い壁には、建設経過の写真を貼って、新校舎ができるまでの成長アルバムがあったり、新校舎の完成予想内装が描かれていたりしている。その間にあるのが、この大きな黒板だ。黒板の右下には先ほどから見ている言葉を拡散する意味の「#before_i_die 」の文字があり、黒板の中心には外国語大学らしく、色々な国の言語で「私は―――― がしたい。」と白文字で印字されている。黒板の右にはプラスチックの筒がフックで掛けてあり、中には色とりどりのチョークが入れてある。蓋も鍵も無く、不用心だ。
「鍵でも閉めないと、すぐ盗まれますよ」
と、僕はクラスメイトで中国人留学生のゆきさんが自転車の鍵をかけずにいたのを気に留めて言った。
「日本は盗まれません。それに、古いから盗まれても良いですよ」
と、ゆきさんが外国人らしい日本語の発音で答えた。
――― 。ふと、先日5号館の前にある駐輪場での一場面を思い出す。確かにチョークを盗む人もいなければ、盗まれても良いかもしれない。
死ぬ前にしたいこと。死ぬ前に僕は、自分のことを書き留めたい。このままでは、本当に死ぬまで誰にも話さずに終わってしまう思い出を書き留めたいと思った。
「私は、自分の物語を書き留めたい」
目の前に構える黒板を少し見上げ、書いてみようかなと目を細めてみる。英語、中国語、スペイン語、フランス語… と外国語が署名シートのようにブランクを開けて並んでいる。
仮に何も下書きのない深緑色の黒板に、
「自由にあなたが死ぬ前にしたいことを書いてみよう」
と書かれていると、僕は書けないかもしれない。自由が自由過ぎると、その自由は僕に恐怖を与える。白紙を与えられ、「自由に感想を書いてみよう」と言われても何も書けずペンを紙の上でふらふらさせるだけだ。そこに罫線が引かれ、原稿用紙となり、書く場所を与えられると初めてペンが右上から左下に向かって動き始める。罫線が横にしか引かれていないと、何の疑問も持たずに左から右に書き始める。自由が欲しいなんて言いながらも、いざ自由が与えられると家でぼーっと目線をふらふらすることしかできないことを僕は気づいている。目線を動かすためのタクトは必要である。しかし、この大学の学生は違った。律儀に並ぶ外国語なんて無視して、赤いチョークで大きく真ん中に、
「I ♡KUFS! 」
と、書きなぐられていた。KUFS と言うのは僕が通う大学のイニシャルなのだが、与えられた自由の中の規律を乱し、主張を訴える。僕には無理だな、とマフラーに口まで埋めて苦笑する。僕は規律が好きだし、言われたことをしたい、誰かが敷いたレールを歩きたい、責任は負いたくないが目立ちたい。敬虔な宗教家では無いが、道端のお地蔵様は蹴れないし、おにぎりを踏むこともできない。他人の何気ない一言で傷つき、他人の目を気にし、常に最悪を想定する性格である。そして、何より、傷ついたことはおそらく一生忘れない。28年も自分をしていたら、自分の性格なんて熟知しているし、今後変化することもないだろうと想像がつく。自分の、この28年間で心に残っているエピソードを当時の自分と28歳の自分で再認識していくことで、何か自分のルーツを見つけられるかも知れない。それが、自分の物語を書き留めることに繋がる。
これが僕の、「before_i_die 」に、したいことだ。
2
一番古い記憶は、小学校に入る前のラクダのお店での母とのやり取りだ。
ラクダのお店は、専門店と総合スーパー施設との複合施設で、いわゆるデパートだった。通称「ラクダのお店」と呼ばれる所以は、1階エントランスに設置された2階まで届きそうなくらい大きなラクダのモニュメントがあったからだ。このラクダは決まった時間になると大きな音とともに、変形ロボットさながら、胴体部分が開き、中から小さな鼓笛隊人形が姿を現し、軽快な音楽を奏でる。僕は幼いころこのラクダが分解されていく姿が怖く、音楽が鳴り出すと母親の陰に隠れていた。
屋上にはゲームセンターと少しの遊具が置かれている。小さな観覧車、小さなメリーゴーラウンド、そのほか小さな乗り物が所狭しと置かれていて、僕は遊園地に来た気分に浸れる屋上が好きだった。5歳の僕が小さいと感じるくらいだから、屋上から飛び出ないように、本物の遊園地ように造られたものとは違い、色々と工夫があったのだろう。そんな製作者の努力も空しく、屋根のない屋上に設置された遊具たちは雨風にさらされ、どれもこれも錆びついていた。上空3メートル辺りに屋上の淵に添うように張られた一本の鉄の棒を、ペダルを漕ぎながら辿るテントウムシを模した乗り物がキィキィと音を上げていたのが印象的だ。
その日は雨が降っていたので、テントウムシは飛んでいなかった。仕方なく、ゲームコーナーへ僕は走る。
「お母さんはここで買い物してるから、これで遊んでおいで」
と、300円を僕に握らせる。「分かった」と、答える頃には僕はこの300円で何をしようかと考えを巡らせ、母さんも晩御飯のメニューに考えを巡らせていた。
ゲームコーナーには流石に屋根がついており、子ども向けのメダルゲームから、付き添いに飽きた大人たちが時間を潰すためにか、パチンコなども置かれていた。僕はこのメダルコーナーの隅にある、液晶に映るゲームとは一線を画した、赤いランプのみでグー・チョキ・パーを示すだけのじゃんけんゲームが一番のお気に入りだ。さっそく100円を12枚のメダルへ両替させて、枚数を数える。僕は、1枚のお金が12枚のお金となり、お金持ちになった気がして、嬉しくなる。握った手の中でその重量感を味わう。十分に味わってから、その中の1枚をじゃんけんゲームに投入する。
「じゃんけん― 」
子どもの声が録音されたテープ音が流れてくる。この音に合わせて画面下部にそれぞれグー・チョキ・パーの絵が描かれたボタンを押すと、
「じゃんけん―― ぽん!」
と、赤いランプがパーを示す。僕はグーを選択していた。
「かたー」(僕にはこう聞こえる。)
ゲームから、紙を切るカッターを早口で発音したような、無機質な勝利宣言が聞こえる。このゲームが持つ返答には3種類用意されている。さっきの勝利宣言の他に僕が勝ったときには、
「フィーバー!」
と、じゃんけんの手を示した周りを囲むように書かれた数字の上を、小さな白いランプが時計回りにルーレットのように点灯しながら回り始める。そして、止まったところに書かれている数字の枚数だけのメダルが吐き出される。最高枚数は20枚なのだが、勝つことも少なく、さらにその数字の中には1枚や2枚といった数字もある。偶然と信じたいが、これがよく1枚に当たる。子どもながらに僕は、このゲームでメダルを増やすことができないとうすうす感じていた。でも、僕は止めない。今度はメダルを入れると同時にチョキを連打する。
「じゃんけ― ぽん!」
と急かされた機械は、前置きを言い終えないうちに「ぽん!」と発音する。
2回戦、赤いランプはチョキの手を示した。
「あいこで―― 」
と、3種類目の与えられたセリフを吐く。このあいこの声だけが異常に声音が高く、子ども心をくすぐる。この声が好きで、しばらく見つめる。
「あいこで―― あいこで―― あいこで―― 」
次の一手を決めるまで、合いの手が続く。一通り満足して、もう一度チョキを押す。
「勝ったー」
「くそっ」
と、悪態を付く。その後も、フィーバーが聞けずに12枚のメダルは無残にも機械の中に全て吸い込まれた。
「もう一度100円をメダルに両替しようかな。それとも、別のゲームにしようかな」
と、辺りを見回す。子どもは丸いものを見ると興味を惹かれる。そのため、子どもに人気の出るキャラクターは丸みを帯びたもの、顔全体が丸いものが多い。僕は、パーツの全てが丸だけでできた、アンパンを模したキャラクターのゲームの前に進む。そのゲームは先ほどの無機質なじゃんけんゲームと同じくじゃんけんをするのだが、3歩ほど時代が進んでいた。
1歩目は、液晶画面で様々なキャラクターが色とりどりに笑顔でこちらに手を振っている。
2歩目は、なんと一回100円だった。勝てばキャラクターのカードがもらえる。そのためには、じゃんけんに勝てば良いだけではなく、3歩目のあっち向いてホイがある。これは、じゃんけんに負けただけで100円を失うことが忍びないと思った大人の配慮かも知れないが、前に進むことしか考えられない子どもにとって2回も勝たなければいけないルールは厳しかった。
「あと、200円か」
ポケットに手を入れ、残りの軍資金を確かめる。キャラクターカードを数枚持っている僕には、先ほどのじゃんけんの負けた気分も相まって、あっち向いてほいをする気にはならなかった。たまには、やったことないゲームでもしてみようかなと思い、遊技場を見て回ることにした。すると、ある一つのゲームが目に留まった。正確に言うと、ゲームではなく、その中に横たわっている人形に対してだった。ゲームはどのゲームセンターにもある普通のクレーンゲームで、景品として入れられていたのは、パンを模したキャラクターに負けずを劣らず、特に男の子に人気の正義のヒーローだった。
「欲しいなぁ」
クレーンゲームは大人のゲームだった。やり方もよく分からないし、背が低い僕はクレーンが今どの辺りを動いているのかがよく分からなかったからだ。
「やったー。お父さんすごい!」
後ろを振り返ると、僕より少し年上と思われる少年と、おそらくそのお父さんであろう男性が笑顔で向かい合っていた。少年は一通り体で嬉しさを表現した後、クレーンゲームの下についている穴から犬のぬいぐるみを取り出した。
「やっぱり、大人しか取れないのかな。でも、1回だけやってみよう」
100円で12回遊べるじゃんけんゲームに比べると、大きな決断だったかもしれない。100円を投入すると、ゲームセンター全体を包む音楽より、さらに身近に音楽が流れ始める。この音楽は自分のために鳴っていると思うと、少し大人になったような気がして誇らしい。
1番のボタンを押すとクレーンは右にゆっくりと進み始める。と、思った。
「あれ?」
クレーンはぴくっと、
「よーい、どん!って言ったらスタートな」
と、幼稚園の先生が冗談で言ったときに、体が少しだけ反応してしまう、そんな僕に似た反応を示しただけで、それからはピクリとも動かない。仕方なく、2番を押す。また、少し反応を見せるだけで、クレーンは一向に正義の味方をすくってくれない。僕の大切な100円が10秒もたたないうちに消えた。どうして良いか分からず、周りを見回すが、誰も教えてくれない。
「100円だと、あれくらいしか動かないのか」
と、自分なりに答えを出し、もう100円を入れるか、じゃんけんゲームに戻るか迷う。その時、向かいのクレーンゲームを何気なく見てみると、母くらいの女性が買い物袋を左手に下げながら100円を投入するところだった。そのクレーンゲームの景品は小さなタオルが筒状のケースに入れらた物だった。
「いったい、何円でタオルまで届くんだろう」
と、母よりアクセサリーの多い、その女性を見守ることにした。
「えっ!」
なんと、クレーンがゆっくりと右へ進み始めた。これだ、これが僕の想像していた本来のクレーンゲームの動きだった。いったいいくら投入したのか、お金持ちだなと思いながら、女性のクレーンゲームへ近づく。横から覗いていると、ふふっと笑顔を向けてきた女性と目が合う。顔を赤くして、正義のヒーローに隠れる。そっと目だけを出して、女性の手元を見る。
「わっ!」
女性の手は2番のボタンを押したまま、離していなかった。すると、クレーンも女性から見て、奥へ、僕のほうに向かってくる。
「押し続けるんだ。100円で取れるんだ」
操作方法が分かったところで、簡単に取れるほど世の中は甘くない。あっさりと最後の100円を失ってしまったが、自分の2倍以上ある巨大な機械を操作することができた満足感があった。もう一度したいと思った。しかし、お金はもうない。デパート1階にある生鮮食品売り場へ走った。屋上から1階までは、階段で1階分下りてエレベーターに乗り、1階まで行く必要がある。子どもにとってその距離は長く感じるが、使命に燃える僕にとっては朝飯前だった。母と子の間には何か神秘的なものがあるのか、子どもにとってスーパーで買い物をしている母親を探すことは容易である。その他大勢の母から、自分の母は浮いている様に見え、遠くからでもすぐに発見することができた。例に漏れず、精肉コーナーの前で牛肉を買おうとしている母親を見つけた僕は、
「お母さん、100円ちょうだい」
と、単刀直入に伝えた。
「あれ、もう無くなったの。いつもより早いね。」
母は、もう少し買い物があるから遊んで待ってて、と言いながら100円を取り出し、僕に渡してくれた。急いで来た道を戻り、またヒーローが眠るクレーンゲームの前に来た。都合、僕は3度この道を往復することになった。3度目の折り返し地点で母は僕を止め、
「何をしてるの、今日は。いつもこんなにお金かからないでしょ?」
と、質問を投げかけた。
「ヒーローのぬいぐるみが欲しい」
と、僕は母を見上げながら伝えた。母親はちょうどレジで支払いを済ませ、ビニル袋に晩御飯の材料を詰めているところで、
「お母さんも一緒に行くから、ちょっと待って」
と、言った。母と一緒に屋上に来た。鬼に金棒、屋上遊技場に親、である。これでいくらでも遊べると意気揚々にクレーンゲームの前に母を連れて行く。
「これ、これをしたけど、とれない」
僕は、母の袖を引っ張りながら言う。母はクレーンゲームの中に横たわるヒーローに一瞥をくれ、100円を投じた。僕は、あっけに取られた。母は、僕がヒーローのぬいぐるみが欲しいだけで、クレーンゲームがしたいという発想には至らなかったようだ。そしてまたすぐ僕はあっけに取られる。
「とれたよ」
母自身もびっくりしている様子で、あっさり最初の1回でヒーローをすくい、僕の胸に抱かせてくれた。そのぬいぐるみは見た目ほど柔らかくなく、硬い素材で作られた人形に薄いフェルトを張り付けたものだった。肩や腰の装飾は、さらに薄い布を、乾くと透明になるボンドで貼り付けただけだった。
僕が何度挑戦してもできなかったことを母はたった一発でやってのけた。子どもながらに、やはり母は強し、ヒーローを救うヒーローなんだと思った。
――― それからしばらく、そのヒーローは母の車の運転席の背中側にに設置された雑誌ポケットから僕たちのドライブを見守っていた。高校生くらいまでその定位置にいた。その頃には、装飾用の布がはがれ、乾いたボンドでチクチクする肩が露出し、プラスチックで作られていた片目が取れていた。母は幾度となく、捨てようと言ったが、なぜか僕はそれに賛成することはできなかった。
いつしか、母の助手席に座ることに恥ずかしさを覚える思春期を迎えてからは、顔を合わすことが増えた。そのたびに、この幼少期の記憶が蘇る。微笑ましい記憶としてではなく、青年期の僕の言葉を借りるなら、「虚無」を感じてしまう。お金が何かも分からず、無邪気に必死に浪費する自分がやけに惨めに感じ、その浪費を諫めることなくヒーロー救出に協力してくれた母の気持ちを考えると、何かやるせない気持ちになるのだった。
そして、なぜかこのぬいぐるみは捨ててはいけない気がしてしまう。
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