第20話

 あの夜から一週間後。

 ヘイエルダールの居城に、見慣れた顔の母娘が訪れてきた。

 長い黒髪に鮮やかな唇が目立つオーエンナと、その娘で縮こまったような挨拶をするアン。


 でっぷりと酒で太ったオーエンナに対して、アンは細く顔色の悪い様子だった。食べ物はあっても、栄養が偏っているのだろう。


 オーエンナは私を見ると、大きな目を見開いて、さも親友のような顔をして手を開いて抱きしめてきた。


「クロエさん! こんな田舎に引っ込んだものだから、元気にしているか心配していたのよ? 挨拶もなしに離婚しちゃうなんて寂しかったわ」

「オーエンナさん、人前です……」


 周りに騎士の方もメイドの方も、いろんな人がいるというのに、目に入っていないのだろうか。私が体を離すと、彼女は大げさに不満そうに肩をすくめた。


「何よ。私が気に入らないの? いつも拗ねたような顔をして子供っぽいわね相変わらず。で、セオドア様はどこ? 挨拶をしたいのよ。この子を見せてね」


 彼女は娘アンの手を引っ張り、にっこりと笑顔を作る。

 私は騎士の方に目を向ける。彼は礼儀正しく礼をして言った。


「セオドア様は本日は終日、魔石鉱山の視察に向かっております。ストレリツィ侯爵夫人と御令嬢のご案内は、私がさせていただきます。こちらへ、部屋をご用意しております」

「なんだ。私が来る日なんだから、空けてくれてたっていいじゃない。ねえ? クロエさん」


 私に振られても困る。

 困っているのは私だけでなくアンも同じようで、母親から見えない位置で周りの人にぺこぺこと頭を下げていた。彼女は母親がどれほど不躾なことをしているのか理解している。恥ずかしいだろう。私は胸がずきりと痛む。


 私は先を進むオーエンナに声をかけた。


「オーエンナさん」

「何よ」

「娘さんをお借りしていいですか? これから私は家庭教師としてのお勤めをしますが、セオドア様の養子の皆さんと年頃が近いので、ぜひ子供たち同士で親睦を深めていただけたらと思いますがいかがでしょうか」


 親睦を深める。その言葉にオーエンナの野心的な目がぎらりと輝く。

 早速喜々として娘の背中を押して送り出した。


「行ってきなさい。これでもかと仲良くなってくるのよ」

「……はい」


 アンは申し訳なさそうに私についてくる。

 廊下に入って二人っきりになったところで、私は彼女に笑いかけた。


「勝手に誘ってごめんなさい。疲れているのなら、一人で休める部屋に案内するわよ」

「いえ……大丈夫です。ありがとうございます。あの……クロエ様。私の母が申し訳ありません」

「親の事を子供が謝らなくていいのよ。責任を取るのは貴方の役目ではないわ。それよりも楽しみにしてて。セオドア様の子女の皆さん、とても楽しくて親切だから」


 授業にいつも使っている部屋に向かうと、彼らは私のつれた娘を見て目を輝かせた。


「先生、その子が領主父様が言ってた子?」


 立ち上がるセリオに、私はぴ、と指をたてる。先生モードだ。


「はい。本日はストレイリツィ侯爵令嬢、アンお嬢様に礼儀正しいご挨拶をすることから始めましょう。可愛い女の子を前にして紳士淑女の挨拶を忘れる気持ちはわかりますが、皆さんのかっこいいところをアンお嬢様に見せて差し上げましょうね」

「はーい」


 彼らは顔を見合わせて笑い合い、気持ちを切り替えてぴしりと背筋を伸ばす。

 隣のアンを見た。わくわくとした、期待に満ちた目をしているのを感じた。


(ここにいる間だけでも、どうか彼女は……母親の世話から解放されてほしい)


 オーエンナはその日から居城に住み、賓客としてもてなされていた。

 晩餐会や昼食会などに精力的に参加して、ヘイエルダール辺境伯領の貴族たちと繋がりを作ろうとしているのは明らかだ。

 何かと無礼なことをしたり、城下町で平民相手に揉め事を起こしたりもしているようだったが、ハラハラする私に対してセオドア様は毎晩葡萄酒を傾けながら

 

「策あってのことだ」


 と微笑むばかりだ。


「心配せずともよい。臣下にも彼女のことは言い含めてあるし、領民にもフォローをしている。しばらくは苦しいだろうが、彼女を好きにさせてやってほしい」

「セオドア様が……そうおっしゃるのならば」


 私はそんなセオドア様の策というのがわからなかったが、彼を信じて頷いた。

 信じてほしいと真剣な目で伝えてくれた彼を、私は心を強く持って信じなければ。

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