第14話 ※愛人視点
「あんたは確か……あのクロエの執事だったっけ」
「サイモンと申します、奥様」
背筋を伸ばした綺麗な所作で、老紳士は頭を下げる。
「本日は別邸の管理をしておりましたので、奥様にご挨拶をと」
「そう」
オーエンナはサイモンに興味はなかったが、退屈凌ぎの話し相手は欲しかった。だからオーエンナはサイモンに話しかけた。
「あんたクロエの執事だったのに、どうしてここに残ったの?」
「はい。屋敷の管理については、私が残らなければ対応できる者がいないからです」
「クロエと一緒で、あんたも真面目ねえ。自分のお嬢様を不幸にして、マクルージュの領地も取っちゃったこの家に忠義なんて尽くさなくったっていいでしょうに」
クロエの冷遇の原因になったオーエンナが言える言葉ではない。
しかしオーエンナはそこで言ってしまえるような女だった。
ずけずけとしたオーエンナに対しても、眉ひとつ動かさずサイモンは答える。
「私は私の役目を果たしているだけでございます」
「あっそ」
つまらない男。
オーエンナはそう思いながら煙草に火をつける。
そして話のついでに、サイモンに続けて訊ねた。
「クロエはどこに行ったの? 兄ーー現マクルージュ卿は王宮魔術師でしょ? 身を寄せる場所なんてないんじゃない?」
「クロエお嬢様は今、ヘイエルダール辺境伯領にいらっしゃいます」
「……ヘイエルダール?」
オーエンナは知らない土地だ。
「王都から馬車と汽車を乗り継いだ先、王国北端の山岳領です」
「ふぅん……そんなど田舎によく行くわね」
「ええ。なので二度と、ストレリツィ侯爵領には戻ってこないでしょうね」
その時。なんとなく匂わせたサイモンの言葉の温度にオーエンナは反応した。
「戻ってこないって、どういうこと?」
「ええ。ヘイエルダール辺境伯はマクルージュ侯爵家と深い縁のあるお方。その上若く独身でいらっしゃいます。……私としては、このままお嬢様が再婚してくださることを望んでおります」
「再婚って……冗談でしょ? あの地味な女が、そう上手くやれるわけないわ」
サイモンはここで言い返さないと思っていた。
しかしオーエンナの予想を裏切り老紳士は微笑んだ。
どこか勝ち誇った様子すら覚えるほど、晴れやかな笑みだった。
「辺境伯は情深い方です。お嬢様はきっと幸せになるでしょう。魔石鉱山もありますし、ストレリツィ家で暮らすよりも、よほど裕福に……おっと、失言でしたね」
わざとらしいサイモンの言葉に、オーエンナは身を乗り出す。
気だるく煙草を吸っている場合ではなかった。
「魔石鉱山ってこっちにもあるじゃない。何が違うの」
「同じ魔石鉱山でも、こちらは全て国のもの。しかしあちらは国境防衛の特例で、魔石鉱山の収益はほとんどそのまま辺境伯領のものとなるのです。なので掘れば掘るだけ豊かになるということで。いやあ、羨ましい」
「……なんですって……」
ずっと見下していた、クロエという正妻。
貧乏くじばかりを引いた、馬鹿な弱い女。あんな女が自分より幸福になるのかと思うと、オーエンナは腹の底からふつふつと苛立ちが湧き上がってきた。
子供もいないくせに。私が生んだ子供を自分の名前で養子に出して、白い結婚なんて気楽な結婚生活を送って、正妻として呑気に暮らしてきたくせに。
オーエンナはクロエの苦労を知らない。知ろうともしない。
だからオーエンナは急に、クロエがいいところ取りをする卑怯な女に思えてきた。
「あんな守られてばかりの弱い女が、幸せになるなんて許せない」
サイモンは何も言わない。
オーエンナが立ち上がって室内に入ろうとすると、ばったりアンと出くわした。
「お母さん、どうしたの」
「アン。準備をしなさい。旅行に行くわよ」
「えっ」
目を丸くするアン。オーエンナの背中にサイモンが声をかけた。
「ご旅行でしたら、旅券の準備などは私が行いましょう」
「任せたわよ」
「えっ……え、どういうことなの」
狼狽するアンに、オーエンナは酒で血走った目で告げる。
「旅行よ。元正妻が今どんな暮らしをしているのか見に行くの。貴方もついてらっしゃい」
「え……待って。私、一体何がなんだか……」
「旅行ってのは建前よ。貴方を売り込むのよ、25歳の辺境伯に」
ギラギラと光る母親の眼差しに、アンは絶句する。
「私を……いきなり?」
「そうよ。あんたは器量も悪くて養子の行き先もなかったんだから、良縁で母さんを楽させなさい」
「ま……待って、お母さん!」
二人の様子を、サイモンはただじっと佇み、モノクルの奥から見つめていた。
「奥様。突然のご旅行を、旦那様にはなんとお伝えするのですか?」
「正直に言っちゃっていいわよ。娘を売り込みにいってるって。うまくいけばいったでいいし、うまくいかなくったって損は無いでしょ?」
「承知いたしました」
バタバタとメイドたちに準備をさせるオーエンナを見つめ、老紳士は眼鏡の奥の瞳を細めた。
「本当に損がないと……よろしかったのですけれどね」
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