第106話 ◆栞の誕生日 朝
預かっている合鍵で高原家の玄関を静かに開けて忍び込む。忍び込むと言うと人聞きが悪いけど、事前に許可はもらっている。いつでも勝手に入っていいと言われているけど、それはそれ。私のことを信頼して預けてくれているのだから、そこはちゃんとしなきゃって思うんだ。
涼のお弁当作りをするようになってからは、こんなに早朝に訪ねることはなかったので、こうやって入ってくるのは久しぶり。
水希さんとお母さんに試験前は勉強に集中しなさいと言われて、今週はお弁当作りはお休み。だからこの時間に来ることができた。お母さんには早起きしてもらうことになったけど。
台所に意識を向けると、人の気配がする。涼の部屋に向かう前にまずは挨拶をしておくことにした。
「水希さん、おはようございます」
「おはよう、栞ちゃん。今日は早いのね。涼ならまだ寝てるわよ」
水希さんは予想通り、朝食とお弁当の準備をしていた。こっそり入ってきたけど水希さんにはばれてたみたい。
今日が私の誕生日だって水希さんも知っているはずだけど『おめでとう』とは言わない。私が最初に涼から言ってもらいたいって察してくれてるんだと思う。
「それじゃ起こしてきますね!」
「お願いね〜」
ひらひらと手を振る水希さんに見送られて、台所を後にする。
勝手知ったる高原家。向かうは涼の部屋。足音を殺して階段をのぼる。何度も何度も訪れた部屋。というかほぼ毎日ここにいるよね、私。
なんかこういうちょっと特別な日というのは色々と考えてしまうもので。
涼の部屋のドアを前にして目を瞑る。
友達になってから初めて入った時はすごくドキドキしたっけ。初めて想いを通じ合わせたのはリビングだったけど……。初めてキスをしたのも、初めて身体を重ねたのもこの部屋。だいたいは一緒に勉強したり、他愛の無い話をして笑い合ったりしてるだけなんだけど。
初めて入ってからまだそれほど時は経っていないはずなのに、すでにたくさんの思い出が詰まっている。
と、今はそれよりもその思い出をくれた本人だ。きっとまだ気持ちよさそうに眠っているはずの私の大好きで大切な人。ドアの向こう、すぐそこにいる。
色んな想いで胸をいっぱいにしながら静かにドアを開ける。物音で起こしてしまっては台無しだ。私の声で目覚めてほしいから。
そっと部屋に入ると、涼は壁の方を向いて眠っている。残念、顔が見えない。寝顔可愛いのになぁ。ベッドに寄り、腰を屈めて顔を近付ける。
「りょ〜う?朝だよー。起きてー?」
「うう〜ん、しお、り……?」
涼はゴロリと寝返りをうってこちらを向く。まだ目は開けてくれない。
ん?でもこれは……
「きゃっ──」
私は短く悲鳴をあげた。突然涼の手が伸びてきて、ベッドに引き込まれたのだ。腰を屈めていたので力が入らずされるがままに。
涼は私を優しく抱き締めて、おでこにキスをしてくれる。それだけなのにどうしようもなく嬉しい。涼に限って、私はとんでもなくチョロい子になってしまう。
けどね、これは確定だ。
「ねぇ、涼?起きてるでしょ?」
ゆっくりと目を開けた涼はいたずらが見つかった子供のような顔をしていた。
「バレてた……?」
「バレバレ。どれだけ私が涼のこと見てると思ってるの?」
「そっかー。栞はすごいな」
「もう……。私が起こしたかったのに……」
私が涼から誕生日どうしたいかを聞かれて出した答え。当日はいつも通りに。私達が一緒に前を向いて手に入れた、今の日常を改めて噛み締めたい。何がお祝いをしてくれるなら後日に、というものだった。プレゼントはどうしても当日渡したいっていう涼の意見を尊重することになったけど。
だから今日も私が涼を起こすつもりだったのに。
「ごめんごめん。栞のこと早くお祝いしてあげたくて目が覚めちゃって。誕生日おめでとう、栞」
「もう……そんなこと言われたら怒れないじゃない。けど、ありがと」
ちょっとだけ拗ねそうになってしまったけど、お祝いの言葉とともに頭を撫でられて、そんな気持ちは吹き飛んでしまった。
「早速だけどプレゼント渡してもいいかな?」
よいしょと呟きながら涼が起き上がる。
「え?もう?」
「ダメかな?」
「ダメじゃないけど……いきなりすぎない?」
「それもそっか。俺もまだこんな格好だし。待ってて、準備してきちゃうから」
私の返事も待たずに涼は部屋を出ていってしまった。
「もう、せっかちなんだから……。でも……ふふっ」
自然と笑みがこぼれた。だって涼ったら、早く私の反応を見たくて仕方がないって顔してたんだもん。
ベッドに腰掛けて、ぼんやりと涼の部屋を眺める。この部屋も最初に比べるとだいぶ変わった。
まず、私と一緒に勉強するためのローテーブルが増えた。私の私物もちょこちょこ置いてある。今は見えないけど、クローゼットの中にはいつでも泊まりにこれるように私の着替え一式が入っていたりする。ついこないだ持ってきて置かせてもらったんだ。
一緒にいることが当たり前になったなぁなんて物思いに耽っていると、涼が戻ってきた。
「お待たせ。ってまだ着替えはこれからだけど」
よほど急いでたのだろう。全然寝癖が直っていない。前髪はなんとかなってるけど、後ろはひどいもんだ。
「寝癖、直ってないよ?しょうがないんだから。ほら、椅子に座って?直したげる」
「いやっ、あとで自分で直すから。栞は誕生日なんだからそんなこと──」
「いいから座るの。私が涼の髪いじるの好きだって知ってるでしょ?」
「それは知ってるけど……」
まだぶつくさ言っている涼を無理やり椅子に座らせて、鞄からヘアブラシを取り出す。涼の寝癖はなかなかしぶとくて、ブラシで梳いたくらいじゃ元に戻ってしまう。私が使っているワックスも使って、どうにか整えて。ちょっと動きをつけて無造作ヘアにしてみた。
うん、悪くないんじゃないかな。短いのも爽やかで格好良いけど、今の長さも整えればお洒落なんだよね。
私もだけど、涼の髪はだいぶ伸びてきている。これはこれで色々いじれて楽しいけど、そろそろカットする時期かも。
「できたよ。私のワックス使ったからおそろいの匂いだね?」
そう言って軽く肩をポンと叩くと涼は顔を赤くするけど、まんざらでもないみたい。
それから着替えを手伝ってあげて(1回は断られたけど強引に寝間着を剥ぎ取ってやった)準備は完了。
「なんか本当にいつも通りだね。こんなんでよかったの?」
「いいの。私が望んだことだもん」
「ならいいけど……。じゃあプレゼント、渡すよ?」
涼はクローゼットを開けて、身体を半分くらい突っ込んでその奥から紙袋を一つ取り出した。
どんだけ奥に隠してたのよ……。
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