第50話 2人きりに戻った夜に
昼ご飯を食べたせいもあり、午前中よりも眠気に襲われるが、楓さんが栞に頬をつねられたりしながらがらも勉強会は続いた。つねられ過ぎた右側の頬だけ、やや赤くなっていたりする。
日が傾きかけた頃、ようやく遥が最後の問題を解き終わった。
「お、終わったぞ、涼」
「うん。お疲れ様。頑張ったじゃん」
「お前らのおかげだ。まさか今日中に終わるとは思ってなかったし」
「柊木君が終わったことだし、良い時間にもなったから、これくらいでやめにしましょうか」
栞が終了を告げると、またもや楓さんはテーブルに突っ伏してしまった。右頬をさすりながら。
「うにゅ〜……もう頭使いたくない……あと、ほっぺ痛い……」
頭から煙でも出そうな雰囲気だ。普段から少しずつやっておけば、こんなことにはならなかったはずなので自業自得だが。
「涼も黒羽さんもまじありがとな。後は俺がこいつの面倒見るから」
俺はあまり手のかからない遥を見ていただけだが、栞はすごく大変そうだったので、後でしっかり労ってあげたい。
「じゃあ、俺達はそろそろ帰るわ。今日は邪魔して悪かったな」
「いいよ。俺もなんだかんだで良い復習になったし。それに今までこういうのしたことなかったから楽しかったよ」
「そう言ってもらえると助かる。この礼はそのうちちゃんとするから楽しみにしててくれ。ほら、彩、帰るぞ」
「うー……しおりん、遊ぶ約束忘れちゃだめだからね?」
「ちゃんと終わらせたら、ね?」
帰り際にまで念を押すなんて、どれだけ栞と遊びたいんだか。まぁ、それを原動力に頑張ってもらいたいものだ。
「じゃあ、またな」
「うん、また」
遥が楓さんを引き摺るようにして帰っていった。
2人を見送って玄関が閉まると、あれだけ騒がしかったのが嘘のように静かになる。少しだけ寂しさを感じてしまったり。
「ね、涼?やっと2人きりだね。私、いっぱい頑張ったから褒めて?」
今日はあの楓さん相手に奮闘してくれていたので、もちろんそのつもりだ。栞は俺の胸に頭をぐりぐりと擦り付けてくる。
それにしても2人きりになった途端に甘えん坊になる栞。いや、あの2人がいても割りとおかまいなしだったような……?
玄関で、というのはちょっと場所が悪いので、栞の手を引いてリビングへ。
ソファに座り膝の上で抱き締めると、栞はへにゃっと顔を溶けさせる。
「私ね、ようやくあんなのも悪くないなって思えるようになってきたよ。でもね……」
「でも?」
「涼とこうしてるのが一番落ち着くなーって」
「……俺もそうだよ」
他の人と関わるのも楽しくなってきたけれど、それはやっぱり栞が側にいてくれてこそなんだと思うから。だから俺は栞を抱き締める腕の力を少しだけ強めた。ちゃんと気持ちが伝わったのか、栞も俺の胸に頬を擦り付けて嬉しそうな顔をしてくれた。
「うーん……すっごく名残惜しいけど、先にご飯の準備しちゃおうかな。と言っても昨日のカレーが残ってるから、お米炊くだけなんだけど。このままこうしてるといくらでも時間が過ぎちゃいそうだしね」
10分ほど経った頃、栞はそう言って俺の腕からぱっと抜け出す。そこで何かを思い付いた顔をした。
「あ!ねぇねぇ、涼?最初にご飯にする?お風呂、先にする?それとも……私?」
楽しそうで、でもちょっぴり悪い顔。
「それ……新妻が帰って来た旦那に言うやつじゃないの?俺ずっと家にいたんだけど……」
「ノリが悪いなー……いいじゃない。答えてよ」
「もし栞って言ったらどうするつもりなのさ?」
「んー……どうしよっか?」
栞は唇に人差し指を当てて、コテンと首をかしげる。蠱惑的な顔をされてドキドキする。栞は恐ろしく切り替えが早い時があるので、昨日の怯えを乗り越えたのか……それともからかってるだけなのか。俺には判断ができない。
「まったく……バカなこと言わないの……とりあえずまずは夕飯でしょ。その後で風呂だね」
「ふふっ。はーい。でも私っていう選択肢はどっかいっちゃってない?」
「じゃあ、その後で目一杯甘やかしてあげるから」
今の俺にはそう言うのが精一杯だった。
「しょうがないから、今はそれで許してあげるね」
ご飯が炊けるまでの間、栞を甘やかすことになったので、結局『最初に栞』ということになっていたり。
夕飯と風呂を済ませた後、今日は疲れたということもあり、2人でのんびりした時間を過ごす。ちなみに昨日の栞のパジャマは洗濯をしていなかったので、俺の部屋着を貸している。栞にはサイズが大きくてブカブカで、Tシャツなんてワンピースみたいだ。俺の服を栞が着ているかと思うと妙なこそばゆさを感じるけど、栞はなんだか嬉しそうだ。
「ねぇ、涼。今日は涼が膝枕してよ」
「ん、どうぞ」
昨日は俺がしてもらったのでお返しにとそう言えば、嬉しそうな顔でコロンと横になった。
「へへ。ありがと。なんか下から見上げると涼がいつもより大きく見えるね。まぁ、私にとって涼はもともと大きな存在だけどね?」
大真面目な顔で言うものだから、少し照れくさくて栞の顔から視線を逸らしてしまった。
「まぁ、確かに俺もされた時ちょっと思ったかも……」
「涼はどこを見てそう思ったのかな?」
逸らした視線がちょうど栞の胸辺りに行っていたので、そんな抗議を受けてしまった。栞は腕で胸を隠すようにしながら、じとっとした目で見つめてくる。
「ち、ちがっ……」
「冗談よ。別に涼なら好きに見て良いんだから」
おどけたように言って、腕をどける栞。これは完全にからかわれてる。
「またそういうことを言うんだから……」
栞の顔に視線を戻して、髪をゆっくりと撫でてあげれば、くすぐったそうに幸せそうに目を細めてくれる。
「これ、ちょっとダメかも。このまま寝ちゃいそう……」
「寝てもいいよ?俺もしてもらった時寝ちゃったから」
「ううん。まだ寝たくないの。あのね、私、涼にお願いがあるんだけど……」
俺を見つめていた栞の目が少しだけ泳いだ。
「その……あの2人ってもうね……」
「あの2人って遥と楓さんのこと?」
「うん。えっと……お願いとはそんなに関係ないんだけど……いや、なくもないっていうか……うーんと……」
やけに歯切れが悪い。いつもならもっとストレートに伝えてくるはずなのに。
「ゆっくりでいいよ。わかるように教えて?」
「うん……」
栞は一度だけ大きく深呼吸をすると、起き上がりポケットへ手を突っ込んだ。そこから取り出されたのは……俺が渡したあの鍵。
さすがにそこまでされて意味がわからない俺ではない。でも怖がってたのに大丈夫なのだろうか、もしかしたら楓さんから余計なことを吹き込まれたりしたのではないかと心配になる。
「えっと、いいの?」
コクリ、と真っ赤な顔で栞は頷く。
「昨日の今日でって思われるかもしれないけど……」
「栞はもう怖くないの?後悔したりはしない?」
俺はそこだけが心配だった。俺は栞が第一なのだから。
「後悔だけは絶対しないよ。涼への気持ちはきっとこれからも変わらないから。怖いのは……たぶんいつになっても一緒だと思うし……でも涼は優しいから大丈夫かなって。ダメ……かな?」
「ダメじゃ、ないけど。栞がそこまで言うなら……」
栞はほっと安堵の息を吐く。それから俺の手を取って立ち上がる。その目にもう怯えの色はない。
「なら、涼の部屋、行きましょ?その……私の決意が鈍らないうちに……」
俺の手を引いて、どんどん先へ行く栞。栞は一度これと決めたら行動が早い。そんなところに俺はよく振り回されていたりするわけで、今回も同様だ。でも引っ張られるだけなんて情けないことはできない。
そう思ったから、俺は栞と手を指を絡めてしっかり繋ぎ直して横に立つ。同じペースで進むために。
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