#56 木枯し紋次郎の昭和47年

もう半世紀も昔の事になるのですね

1972年 〝木枯し紋次郎〟というTV時代劇がスタートしました

第一回放送の日 父が「市川崑がTVドラマを監督した!」と

大慌てで帰ってきて(ビデオもTVerもありませんから)見たので

一緒に見たら暗くて汚くて でもすごい迫力だった事を覚えています


NHKの番組で取り上げてるのを見たら なんとそれは1月1日の事で

正月元旦にあの暗い番組の初放送したのか と改めて驚きました

      父が元旦から家におらず 出先から急いで帰ってきたのは

      別に普通の事でしたが


オールロケで撮影された 山河の映像の美しさや迫力は今見てもきっと

素晴らしいと思いますが 内容が コンプラ引っ掛かりまくりなので

今では見る事は出来ないでしょうね


ここで描かれた〝渡世人〟(旅のyakuza)は徹底的にリアルで 

三度笠はボロボロ合羽はドロドロ 立ち回りはまともな刀の持ち方もせず 

膝も腰も曲げた格好で刀を振り回し 隙があれば逃げる! 

飯の食い方も 飯茶碗におかずの目刺しと味噌汁をぶっかけて 箸は

ぐーの手の握り箸で かき混ぜて掻っ込む といった感じ

そりゃあ どんな状態で育ってきたかや あてどもなく旅を続けてる事を

考えればそれが現実でしょう


その昔の 東映時代劇での〝渡世人〟は 

三度笠も縞の合羽もいつも新品 髷も月代もきれいだし 

ケンカになれば 立ち姿も美しく 踊るような立ち回りで悪人共を

バッタバッタと切って捨ててました

御大おんたいと呼ばれる〝重役俳優〟ともなれば 母が

「いやあ 親分でもないのにあの着物 絹物やんか」と言った風体の渡世人が

闊歩していましたね


今でも続いている〝必殺仕掛人〟もこの年にスタートしたといいます

虚無的で正義一辺倒でない主人公が 相次いで暗めの画面に現れたのは

時代の反映なのでしょう


70年安保延長が決まり 学生運動が下火になっていわゆる活動家が

行き場を失い暴走した 昭和47年 あさま山荘事件も連合赤軍事件も

この年の出来事と言えば時代の空気は伝わるでしょうか


とはいえ 令和の今〝大炎上〟とか〝非難殺到〟とか言っても 本当は

ごく一部の人の暴走に過ぎないのと同じく 大学紛争 全共闘といっても

一部の学生に過ぎないのです

私の学校でも 二回のロックアウト(バリケードで校門を開かないようにした)

はありましたが 基本的に 母校は右派勢力が強くて

「木刀持ってバリケード破っちゃる と思ったが 一日二日で収まるから

 と学校側に止められた」 と後から バリバリ右派の先輩から聞きました 

        この先輩には キャンプ場で毎朝 国旗掲揚をさされました


そんなんですから あさま山荘事件の時は10人ほどでスキーに行ってました

何日間も 全く動きのない山荘を映したTV画面が流され続けていて

折角 長野まで来て 一日中同じ画面のTVを見ていた仲間もいましたが

私は滑りに行きました あの時 白馬のゲレンデにはBGMではなく 

あさま山荘の実況放送が流れていました 

「あっ 警察に動きがあるようです」 「窓に人影が見えました」

というようなBGM? 聞きながら滑っていたのです 

まさに 前代未聞 空前絶後  の体験です

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