#55 車が当選したらお祭り騒ぎ

いつ頃でしょうか 多分小学校も低学年だったと思います

少なくとも 3C(クーラー・カラーテレビ・カー)が

揃えたい物と言われるようになる ずっと前です


近所のおじさん(30代だったけど)が車を当てたとそれこそ

町中の噂になりました


どういう募集だったのかは知りませんが ヱスビー食品が

当選者3名にスバルを進呈したのです

母が聞いてきた話では 当選してもまず自分名義の運転免許が

ある事 免許証の住所に駐車できるスペースが確保できる事

等々 厳しい条件があって そこで当選資格を失った人も

いたそうです 当時運転免許なんて持ってる方が珍しかった

ですからね 


やってきた車を見て びっくりしました 丸っこい車体はまっ黄色で

〝S&B〟の赤い文字が 横にも屋根にも一杯のサイズで書いてある

車といえば 黒の時代です 白だって目立ったくらいなのに

1年間は このまま走る事も当選の条件だったそうです


そのおじさんは児童劇団の主催者で趣味の本なども書いていた

ちょっと変わった人だったから 平気だったでしょうが

あの頃の 普通のサラリーマンならそこで辞退してたかもです


当選条件はさらにもう一つあって

まっ黄色の車体にモールを一杯飾り付けて三台連なって

銀座通りを当選パレードしたんだそうです


車の事は詳しくないので 当時の車の値段とかは分からないけれど

プロ野球選手とかが表彰された時も 副賞で車 というのが

モール飾りやら どでかい鍵やらで 贈呈されてて

「すご~い!」と思った時代はその後もしばらく続いたから

あの時のスバルは きっと高価なものだったんでしょうね

     今は野球でもサッカーでも 車なんていらないでしょ

     と思いますもんね


車の思い出をもう一つ これは大学の頃ですが

うちの大学に〝アメリカ研究会〟と〝自動車研究会〟という

がありました


〝アメ研〟の活動はハワイで合宿というだけのクラブです

初任給2万足らず 1ドル360円の時代に(途中で変わったかな)

〝夢のハワイ〟に合宿て あ~た(はい ひがんでますよ)


〝じどけん〟(なんでも縮める)は 車が一家に一台の夢が

ようよう かない始めてきた時代に自分用の車を持ってる

ボンボンの集まりで しかも それを改造しちゃう


そこの車の記憶なんですが

ビートルと呼ばれた 丸っこい車の後ろに手作りの大きな

ゼンマイねじをつけて 車が動くとそのねじがゆっくり回る

ように改造してて(外車やでぇ~) 

それが めっちゃくちゃ可愛らしかったんですよね


多分 違反なんでしょうね あれ以来 一度も見かけませんからね

でも 本当に可愛らしかったですよ 今でも覚えてるくらい

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