#54 昭和中期の卒業式やはれの日

はれの日 と打ったら晴れの日と出てきましたが

もちろん 天気の話ではありません


昭和30~40年代 学校に〝はれの日〟は沢山ありました

入学式 卒業式はもちろんの事 始業式 終業式 開校記念日

みんな〝はれの日〟でした

      開校記念日は休校だったけど 朝は登校して式典があって

      校章の焼き印押した 紅白まんじゅうをもらって帰りました 


始業式 終業式は特別の日で〝晴れ着〟一張羅いっちょうらを着て登校します

女子はワンピースに髪にリボンを飾って 男子は… 記憶があいまいですが

〝普段着〟ではなかったです

       普段着とは 身に合わないお下がりだったり 洗いざらしの服

       つぎはぎまではいきませんが 縫って修理した跡があったり

       セーターはほどいた編み直しで糸の色や太さがバラバラだったり 

       というイメージです 通学にブランド子供服着ていく現代では

       〝晴れ着〟も〝普段着〟もありませんね


最近は修業式の日も半日普通に授業すると聞きましたから 尚更ですよね

先生もスーツではなく ジャージだったりするらしいし

もちろん昔はスーツ 先生は男女問わず年中スーツでした


小学校の入学式は胸に白ハンカチを縦に四つ折りし さらに半分に折ったものに

名前を書いてピンで止めてたと思います

   それから 名札が出来て その名札も消えていきましたね


小学校の卒業式は私の時は 全員新しい中学の制服で参列しました

特に決まりではなかったですが 毎年の申し送りのようになってました

親の負担を減らす意味もあったのかも知れません

我が子世代 昭和末期の卒業式は文字通りの〝晴れ着〟でした そうです

七五三ファッション系です 令和と違うのは男子は半ズボンにハイソックス

だった事でしょうか


今と比べて特徴的なのは むしろ父兄の方でしょう

父兄といっても 父も兄も全く参列しませんよ

当時 成人式の振袖がほぼ白地で〝白い蝶〟と言われたのに対し

入学式 卒業式に参列する母親を〝黒い蝶〟と呼んでました


ほぼ全員が 着物の上に〝絵羽織〟(通称えば)を着用していたからです

これは 黒い羽織の背中に一つ紋をつけて 様々な絵柄を背面に描きます

まあ この紋が 染め抜きか縫い紋か とか絵柄が染めか描き絵柄か

黒生地の種類が無地か地模様があるかとか 格差はありますが


一端 座ってしまうと黒一色 その風景が式典の記憶です

今になって思うのですが 落語などでも八つあんが仕事着の上に

羽織を着ればご挨拶に行けるように 着物は普段着でも黒絵羽を羽織れば

それでOKだったら 貧しくても堂々と参列できますよね

羽織は着物より安いし 借りてもサイズの問題がない

結構 あの時代の日本人の知恵だったのかも知れません 


そう考えると 日本が豊かになっていくにつれて 黒絵羽が消えていった

というのも納得できますね

私も子供の入園式が着物着ていった最後でした 後は洋装です

正直 支度する気分というか式の重々しさが 少し軽くなった気はします


最近の卒業式は 送辞も答辞も学年全員で言うし 

簡略だけど全員が校長先生から卒業証書を手渡されるらしいですね

昭和中期は 送辞や答辞は学年代表が読むもので 

卒業証書は総代が一人で受取るものでした 

徒競走も手を繋いでゴールとか 学芸会に白雪姫が6人とか

格差防止策が進んでますが 

そういう目くらまし的な方法が格差是正の正解じゃない気がします

じゃあ どうするんだ と言われると情けなくも黙るしかないのですが

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