#47 昭和40年代テレビ局は戦国から統一へ

昭和40年代に私は学生アルバイトとして関西テレビ制作部に

雇われていました(半世紀前だから話しても叱られないかなと)

創立10年そこそこのテレビ局のドタバタを どんなに不便で

みんながどんなに頑張っていたかを書く前に当時の概況を記録

しておきたいと思います


まず世間的には 最先端企業でカッコイイ感じだけど何やってるか

よく分からないし先行きも見えなくて地に足がついていない印象で

まだまだ 娘は嫁にやりたくない という感じ

(20~30年前のIT企業みたいなものかな)

バブル期を迎えるまでは 一流企業とは認識されてなかったですね


東京に民放ができると各地域にもその土地の民放局が続々と誕生します

群雄割拠です これは一つ一つが独立した会社組織です

系列局と言われていても たとえば関テレはフジの子会社ではありません

時代と共に放送時間が伸びていくと それを埋めるだけの番組を自社だけで

作れない事などから 次第にいくつかのネットワークに集約されていったのです

徳川家康が織田信長と共に武田軍と戦ったからと言って 織田の家来

ではなかったのと 同じ感じです(よけい 分かりにくいか?)


私がアルバイトに入った頃 まず初任給男女同一賃金制に驚きました

当時の新卒募集は初任給 男子 ○○円 女子 ○○円と 数割の差が明記

されているのが当たり前だった時代ですから

       格差の理由としては 男子は家賃も払って一人暮らしだけど 

       女子は親元にいるだろ というかそもそも〝自宅通勤〟が

       応募条件だったりして

       費用をかけて育てても結婚すれば辞めていくから無駄になる

       とか言いつつ 年功序列制では長く在籍すれば女子といえども

       給与が上がっていくので〝寿退社〟圧力かけて 人件費を

       抑えようとしたりしてましたね 


まあ 現実には徹夜の収録や出張などは男子のみで その為給与の手取り額

や昇進に 男女差はありましたけど 寿退社圧力があまりなくて結婚後も

仕事している女性もいました(これだけでビックリの時代です)


一応 他部署は皆スーツで仕事していましたが 制作部ではスーツ姿は

上役だけで 現場の人はポロシャツにGパン姿(今と変わらない)で 

初めて見た時は この人たちが会社員? とビックリしました

       ちなみに 全員 正社員です


制作部のアルバイトはミーハーで入ってきてもらっては困る

という(風に聞きました)事で 女子バイトは確かな人からの紹介制で

数人がシフトで毎日2~3人がいるように組まれてました

私がよく一緒だった人は 当時の人気脚本家花登筐先生の定宿の女将さん

の娘さん(年上)と 系列新聞社の編集委員の娘さん(年下&ミーハー)

私は系列映画会社に父がいて そこの社長の妹婿が制作部副部長で

大阪でバイトしてくれる身元確かな人探してる と言われて行きました

       男子は大体 ADさんの後輩とかが多く スタジオでは

       その頃のカメラに繋がっている沢山のコード(太くて重い)

       が絡まらないように 画面に映らないように 

       地面を這うようにしてほどき続けるのが主な仕事で 

       上階の部室には来てませんでした

       でもそこで気が利くと認められたら 直接入社スカウトも

       あったと聞いてます


若いADさんからすると アルバイト学生といえども どんな人に繋がってるか

分からないので 本当に扱いは丁寧で優しかったので 実に居心地のいい

職場でした 次はそこで見た事 やった事を記録します 

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