#45 私のテレビ創成期

私が 初めてテレビを見たのはいつだったか? 

二つ思い浮かんで どちらが先かは分かりません


一つは〝街頭テレビ〟

昭和30年代頃 映画館は大通りにあり人が並ぶのを想定して

通りから引っ込んだ位置に劇場があって前が広場のようになって

いました(郊外のコンビニの駐車場みたいに)

そこに高~い台を置いて街頭テレビが設置されました


やっていたのは プロレスかプロ野球で興味はなかったですが

放送中はいつも人(主におっさん)で埋め尽くされてました 

その外側から覗いたテレビは20センチ四方位に見えました 

テレビの正面には観音開きの扉があって放送のない時は鎖が巻かれて

南京錠がかかってましたね

       映画館が場所を提供していたのは今思うと皮肉な話です


もう一つは 近所のおばさんちへ 見せてもらいに行ってたテレビ

 近隣で一番早くテレビが入った家は いつも着物姿のきれいなおばさん

の一人住まいの家でした 国会議員のお妾さんと言われてましたが 

近所づきあいは普通にしてたんですよ

 そこに週一回 一番組だけ子供何人かで見せてもらいに行ってました

我が家にテレビが入ったのが小3の頃なので その前です


テレビの生き証人黒柳徹子さんも言ってたように

全部が生放送ですから残ってなくて回顧されることもありませんが 

宮城まり子さんの〝てんてん娘〟だったと思います

中身は全く覚えていませんが ♬て~んてん娘はてんころりん

という一節だけは歌えますから 全集中して見てたんでしょうね


うちにテレビが入ると 一緒に見に行ってた子たちがうちに来るように

なり 見てたのは〝チロリン村とくるみの木〟 という指人形劇です

生放送だったのかどうだかは分かりません

黒柳徹子さんがピーナッツのピー子ちゃん の声を担当してました

玉ねぎのトン平くんとクルミの??ちゃんとぴー子ちゃんのトリオが

主役で 大量の野菜果物キャラクターが次々登場してました

サングラスをかけたモグラのタコチューというのもいたなあ

言い出したらきりがない程 覚えてる

    うちに見に来てた子のお父さんはK大病院の○科部長

    「テレビを見ると 子供がバカになる」と言って

    テレビは買わなかったのでお母さんがせめて一つ位

    見せてやりたいと うちに来させてた訳です 

    今も昔も 似たような話がありますね


うちにテレビが入った時は NHKとNHK教育(Eテレ)と日本テレビと

ラジオ東京(TBS)の4局 その後フジテレビと日本教育テレビ

(テレビ朝日)が開局して6局になりました がこれ東京の話で

全国ネットワーク完成前は スキーや一人旅の宿ではNHKの2局しか

うつらないのはざらにあった事で 民放があっても

「わっ 先週見たドラマの続きがここでも見られる!」と思ったら

一週かそれ以上前の回だった なんていうのもアルアルでした

     この仕組みについては 私がテレビ局でバイトして

     知った話を 後ほどまとめて記録する予定です


日本にテレビが普及したのは 現上皇様ご成婚の生中継見たさにで

カラーテレビは 東京オリンピックの時期に と言われています


でもご成婚とテレビというと

近所のおばさんがうちに大挙押しかけて

本物のお姫様が見たかった子供の私は全然見られなくて

ふてくされて返事しなかったらメチャメチャ怒られた

という記憶とセットになってるんですよね

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