#43 婚儀にまつわるETC そしてバブルへ

パスポートやビザの為 結婚式より先に入籍すると

じゃあ式の前でも 一緒に住んでもいいんじゃないか となって

人生の切り替わるポイントとしての〝結婚式〟の意味は薄れ

披露宴に重心が移っていきます 


おりしも日本の景気は右肩上がり

20代前半で結婚した親の子が同じ年代で結婚するから

親はまだ現役世代 というか年功序列で人生一番高い地位にいる

昭和の初期6~7人はいた子供の数は2~3人になっている

その子の一世一代の披露宴に親は費用を惜しまない 


花嫁は2度 3度とお色直しをして 白無垢 大振袖 カラードレス

と着替えるので ほとんど席にいない…

そこへ 新郎までお色直しをするようになり 時間がないからと

新郎新婦が空席のまま祝辞を述べさせられた 

なんて話も普通にありました 


式の主賓は父親の会社の社長や重役 母親の知り合いの議員さんとか

が呼ばれることが多く 主賓の挨拶が父親の功績を誉めるだけなんて

まだいい方で自分の会社の自慢で終わったりするのも全然ありました

       不肖 私の披露宴にも父の勤める会社の大阪支社長が

       来てました(主賓は私のゼミの教授でした)

       私はその日に初めて会って 以後一度も会ってません

       母の関係していた会のおばさまたちも来てましたね

とはいえ 費用は親掛りだから文句は言えません


そこで 登場するのが会費制の二次会です 人数の都合で呼べなかった

友人たちも集まって 新郎新婦もリラックスして盛り上がります

みんな知ってる人だから〝披露宴〟の意味はない訳ですが


親の顔=家と家 から仲間で祝福=個人の結婚 に切り替わる途中の

折衷案 これは昭和の50年前後の話です


その後 昭和の終わり頃のバブル前夜の派手婚は出席した事がない

んですが 出た人によると 新郎新婦が人力車に相乗りして入って来たり   

スモークがたかれる中 ワゴンで天井から降りて来たり 演出がすごくなり

ウエディングケーキもどんどん大きくなって 平成バブルに突入です

     スモーク焚き過ぎると 床が濡れて滑りやすくなるとか

     限界超えたウエディングケーキは 発泡スチロール製で

     入刀する場所だけ 三角に切れ込みがあってそこに

     スポンジケーキがはめてあり「ここにナイフ置いて」と

     指示されたそうです 

     経験者の友人の話ではクリームすら塗ってなくて

     そこだけ黄色かったとか なんか侘しくなりますね

     発泡スチロール製という事は 使いまわしてたんでしょうか?


ここで 昭和初期の式後のしきたりで知ってる事メモですが

お嫁さんは婿側の家に同居が当たり前の時代

親は 嫁ぎ先に行く娘にその家に住む一人一人に宛てたのし付きの手土産を

持たせます(両親 祖父母 兄弟姉妹 下手すると曾祖母とかいます)

そうしてひと月だったか もう少し後だったかは忘れましたが

今度は 嫁が実家に里帰りする習慣があって その時は婚家側が同じように

手土産を持たせて 家紋の入った着物を新調して着せて戻します

      一つ紋の(里)帰り小袖 と言ってましたね

      祖母は 糸問屋に嫁いだので 丁稚が一人荷物持ちで

      ついてきたそうです 

つまり この人はうちの紋を継いでいく うちの人間になりました宣言

みたいなもの だったんでしょうね 


昭和40年代でも まだ最初の里帰りの時には 小袖の代りに 

嫁に来る時に持ってきた物ではない 服や靴やバッグを新調して

里に帰すおうちはありましたよ

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