#42 婚儀にまつわるETC  式即旅行

結婚式の変遷は家同士の関係から個人のセレモニーへの流れと

高度経済成長期ががっちりタッグを組んで進んでいったと思います


本来  結婚式(入籍)⇒ 新婚旅行 ⇒ 同居 ⇒ 出産 は

決して前後してはいけない流れでした

      今は全くのアラカルト 順不同ですが


昭和中期には結婚式が終われば 即日新婚旅行に出発するのが普通で 

なぜかと言えば出席者による〝お見送り〟が慣例だったからです

      もう一度集合して という訳にはいかないので 


本当に例えが悪いのですが 葬式の参列者がそのまま故人に

付き従って火葬場に行くような と言えば分かりやすい?

会場で見送って駅まではいかない人がいるのも似てるかな


お見送りします と手を挙げるのは近い親戚と友人が主で

行くと言ってくれた人にタクシーを手配し 列車の出る駅の

入場券を渡すのも 親の大事な仕事でした

      当時国鉄では〝寿入場券〟なる物も発行され

      JTBとかで 寿周遊券(新婚旅行パック)を予約すると

      お祝い と言ってプレゼントされたりしました 


着替えを済ませ 見送り客の前に現れる時の新郎は新調のスーツ姿 

新婦はピンクや水色のスーツにトーク帽にハイヒール 

白い手袋でブーケを持ってたり 襟にコサージュをつけていたり 

皇室の方の外出時の服装のイメージです

二人を囲んでホームは盛り上がります 新郎は友人に胴上げされ

新婦はなぜか 女友達と泣いて別れを惜しみます


そんなにホームを占領していいのか?

騒いだ後 列車に乗ったらきまりが悪くないか?

ご心配なく 結婚式を終えてから乗れる列車は限られていますし

新婚旅行は一等車(グリーン車)ですから

あっちもこっちも 新婚さんを囲む輪ばっかりです

       だから 二人っきりで出発なんてなったら寂しいだろうと

       親戚も友人も頑張って 駅に行ったんです

式が集中した大安吉日など 一両全部新婚さんなんて事もあったといいます

関東ではその日のうちに着ける熱海 関西だと白浜 がよく聞きました

少し費用をかけると 夜行列車で宮崎へ フェニックスハネムーンが

はやりましたね 観光バス全員新婚さんとか


それが崩れ始めたのは 昭和48年に1ドル=360円 という固定相場制が

廃止されたからでしょうね 

       子供の頃のナゾナゾに〝ハンドルの値段は?〟〝180円!

       1ドルの半分だから!〟というのがありました

       その位当時の常識は 1ドル=360円 だったんです


既に それより10年ほど前に海外旅行は自由化されてはいましたが

        60年前までは観光目的の海外旅行が禁止されてたの 

        ご存じですか?

なんたって 初任給が2万円くらいの時に 1ドル360円では手が届かない

まさに〝夢のハワイ〟だったんです 


それが 変動相場制に変わって 円がみるみる高くなると

一生一度の新婚旅行だ 海外に行こう!!

という流れが出てきます となると 飛行便はそんなに都合よく飛んでない

じゃあ 式を挙げたホテルでまず一泊して翌日出発という事になる

       それでも当時は 翌日みんながんばって見送りに行ってましたよ

       まあ 飛行機見るのも珍しい時代でしたから楽しんでもいましたが

さらに海外のホテルをMr&Mrs で予約するには 

パスポートやビザの申請より前の入籍が必要になる訳です

こうして 決して揺るがなかった伝統が崩れ始めるんです

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