#38 富士急ハイランドは草っ原

何か ちょっと出てた糸を引っ張ったらズルズル ずるずる出て来て

と言う感じですが あと一回だけ多分あまり見た人がいない風景を

書き残させて下さい


今や絶叫マシンで超有名な富士急ハイランドです

この前身の施設を大型遊園地にするという構想が立ち上がった頃

(1960年代でしょうか)広告デザイナーとして父もいっちょ噛んでまして 

まあ、父の仕事は詳しく知らないんですが


一度、現地を見てくれという時に、家族で招待された事がありました

 当時そこには国際スケートセンターがあったので、スケート好きの娘が

喜ぶと 父は思ったのではないかと思いますが 

でも当時の私は「家族でぇ~? うへぇ~」でした 

 現地視察に家族でという招待を受けるなんて不器用な父の愛情表現だったんだ

なあ と今は思います ごめんなさい


 母は私の相手をするのが本当に嫌な人だったので いつものように友人の娘を

私の遊び相手に誘って4人で現地に向かいました


父の仕事終わりに列車を乗り継いで現地に着いた時はもう真っ暗

駅を出ると広大な平地 舗装もされていない石混じりの地面が広がっていて

草っ原と言ったのは〝そうげん〟ではなく ぽそぽそ雑草の生えてる地面

のイメージです 

駅から見える所にホテルが建っていたので そこをめざしてデコボコ道を

歩いて行きました。

街灯やホテルの明かりで 建物の左側に富士山が見えました 

「わあ 暗いけどよく見えるわねえ」と母が言ったのを覚えています


翌朝 部屋のカーテンを開けると広い窓一杯に富士山が見えました

すばらしい風景でした でも位置がおかしい…

朝食後(和室で旅館風の)父は仕事関係の方と出かけ 私たちはスケートに


ホテルを出てすぐ気が付いたのは 昨夜闇の中に浮かび上がっていた〝富士山〟は

記念写真用の板パネル(しかも絵)だったという事でした

あの場所から見る本物の富士山は想像の数万倍大きかったです


広い空き地には ホテルと屋外スケートリンクと平屋建ての遊戯施設が三角の

各頂点にぽつんぽつんとあっただけでした

リンクはとても立派なものでしたが 富士山からの吹きおろしはメチャ寒かった

リンクの向こうはず~っとすすきヶ原


もう一つの遊戯施設は細長い平屋で 半分が5レーン程のボーリング場

残りの半分がビリヤード場でした とにかく人がいない!

母はついて歩くだけだし 母の友人の娘はよう知らんし

言っちゃいけないんだ とその時も思ってましたが つまらなくて

ここが こんな辺鄙で広すぎる所がどんな遊園地になるんだ?

と思ってました 今の姿を見ると信じられないというか 

私ってつくづく 想像力が貧困です


一つだけ 大切な思い出があります それは父がビリヤードするのを初めて

見た事 スポーツ系全部ダメな人だと思ってたのに 滅茶苦茶上手かった

戦前 ハルピンで絵を学びながら映画の仕事もしていたというので

多分 その頃に覚えたのでしょう 

球を突く父の姿は絵画のように目に焼き付いています 

あれ見られただけで プレ富士急ハイランドに行ってよかったと 

今は思っています

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