#26 女で十文は恥だった

尺貫法というのが町から消えたのは小学校中学年位だったかと思います

一日で 肉屋の百匁何円の表示が 100g 何円

に変わったのを よく覚えています

映画関係の仕事をしていた父は夕食を家で食べることがほぼなく 

母と私だけの食事に百匁(400g)の肉は多すぎて とはいえ

冷凍庫などない時代 買い置く訳にもいかず

「五十匁くれ」と言うのが貧乏くさくてすごく嫌だ

と言ってた母が「これからは200gで言いやすい」と

喜んでいた記憶があり 我が家ではポジティブ変換でした


学校では初めから mやgで習っていたので 私世代でも

授業で習わなかった 尺貫の単位は身についていません 念のため

   まあ 和服の仕立てや土地には 今でも残っていますよね

   個人的には マンションの広さは㎡ 戸建ては坪 単位が

   サッとイメージできます


で もんは 尺貫法とは違うのかな? よく分かりませんが

靴のサイズを指す単位です 確かめたことはありませんが一文銭を

並べた長さ と言われてました

九文(ここのもん)が22cm  九文三分が22.5 

九文半が23 で 九文七分が23.5  

十文(ともん)は24cm で当時女の足では規格外

その証拠に 靴の作られる数は九文三分を中心に偏差値グラフ様に

並んでいて 十文の婦人靴は店頭にはなく 聞いても奥から数個

「うちにはこれだけしか」と言われて持ってこられる…


はい 私は小学校高学年で165cm越え 足は24cmであったと思います


「思います」と言うのは「十文なんて 恥ずかしくて聞けない」と母が言うので

ずっと 九文七分の靴を履いていたからです

めっちゃきつかったけど 十文にしてくれとは言えなかった

だって とっても恥ずかしい事だと思ってたから

    今 140センチない孫が24の靴はいてます

    ビックリだし よかったなと思ってます


結果 何が起こったかというと

親指以外の指が グーの形に固まって 指の頭が地面に当たるのでタコができて 

親指はそっちに曲がれないので 上に反る方へ曲がって底側の関節がタコになって

靴は 反った親指の爪が当たる位置 靴の上側が破れて穴が目立つので 

底は全然減らないうちに買い替えてました

今にして 思えば体育の成績が思わしくなかったのもそのせいかも知れません


中学の頃は「なんのこれしき 中国には纏足てんそくがあるじゃないか」

死にゃあしない とそのまま頑張ってました

高校生になって 母から離れ祖母と暮らすようになった頃にやっと

十文が24に変わり ローファーのようなデザインなら店頭にも並びだし

履かずに「これ 下さい」で買えるようになって 私の足は解放されました

     とはいえ 足の指は固まったままで その後も過ぎ

     意識的に伸ばす運動をするようになったのは定年後の事 

     最近裸足で立つと 上から指の爪が見える事に感激しています 


今はこの上背(170)で「24cmです」と言うと 靴屋さんが訝しむんです

そして 履いて見せると 「足 」と言われるのが

めちゃくちゃ くすぐったいです

大足の女は貰い手がない なんてからかわれる時代がなくなって 

本当に良かったです 


 

 余談ですが 大学時代神戸芦屋で纏足の老婦人を実際に見た事があります

ベルトを両手で持って端と端を寄せた時のように

指とかかとがギュッと寄せられていて その間の甲が上に褶曲したまま固まって

布製の絹の靴は10数センチ程で 曲がった足の甲の高さもその位で

ずっと使用人の女性につかまって歩いていました

女性の纏足は男性の宦官に等しいむごい習慣であったのだと知りました







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る