#22 東京オリンピック 巷の思い出(中坊の秋1)
老若男女 ほとんどの日本人が生まれて初めて
世界レベルのアスリートの試合を目の当たりにした二週間
あれは 本当に大事件でしたね
都立区立の学校は開会式が休校になっただけでなく
本物のオリンピックを見なさい というので
全校全生徒人数分 何かしらのチケットが配分され
まあ 人気種目ではないですよ もちろん
我々は ホッケーの試合を見に行きました
国同士 仲の悪かったインドとパキスタンが強い種目で
宗教系の白い頭飾りに長いひげを巻き上げたスタイルの
眼光鋭い選手同士の試合は 殺気あふれる肉弾戦で
今にも スティックで殴り合うんじゃないかと…
コワッ! と思いながらも目が離せない迫力の試合でした
実はわが校には 何種類かの日本ではマイナーなスポーツ
の他に 数十枚だけバスケットボールのチケットが来てて
一クラスだけという訳にもいかん とかなんとか言って
バスケットボール部と〝引率教師〟がいったです クーッ
授業終わりには何度も何度も 代々木の選手村に行きました
次の次のミュンヘンオリンピックで選手が殺されるテロ事件
があるずっと前ですから 一応ゲートがあって許可証を提示
して入村するのですが 入り口は遊園地のゲートみたいな
スタイルで送迎バスは その外側の広場?に止まるので
特にガードなしでゲートまで歩いていく選手を見たり
サインをもらったりするのが自由にできました
友達につられて 私もいくつかのサインをもらいました
まったく 初めて見る国の文字に驚いたり
よ~く みると名前の横に Pressとあって
取材記者さんのサインもらっちゃってたり
一番 感激したのは アフリカ系の選手だと思うのですが
自分の名前を英語で綴ったメモを出して 一生懸命それを
見ながら サインをしてくれた事です
多分 初めて日本に来て 日本の子供たちに分かるように
自分の名前の英語での書き方をメモして持っていたのでしょう
日本人とは見た目が違う外国人がちょっと怖かった
江戸レベルの中坊が 優しい人 一生懸命な人 普通にいるんだ
と知った秋でした
柔道は今でも日本のお家芸と言われてますが
東京オリンピックで初めて正式種目になった時は
それって 開催国に対するサービスみたいなもんでしょ
だって 世界に柔道する人なんて そんなにいないし
ほらほら 金は日本ばっかりじゃん
と 思ってたら 最後の無差別級でヘーシンクが勝った!
あの時 締め技がきまってしまうと抜けられないから
普通は「参った」の合図をするのだが 神永選手は
それをせずに落ちた(失神した)と柔道部の子に教わって
彼の無念を思い 共に涙したのですが
後に あの敗戦こそが 柔道が世界の柔道になった瞬間
だったと言われるようになって
確かにそうだ このことが神永選手の救いになるといいな
と思いました あっ もちろん 女子柔道はありませんでしたよ
マラソンもね その話を続きで
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