第12話 電話がついて歩くようになるまで

電話話は 一度でちょっと書き足りなかったので

続きです

中学当時は東京にいましたが市内(区内?)通話は

時間無制限で〝一回〟10円

ただし 市外通話は分単位で料金がどんどん上がるし

その金額は物理的距離も加味されてて高くなってたから 

大阪の母の実家には用件メモを作ってから電話してました


公衆電話には 当初10円玉の投入口だけですから

東京では公衆電話に10円玉を積み上げて 投入し続けながら

田舎に電話している人をよく見かけました

その代わり と言うのもなんですが

市内の友人とは10円入れたら何時間でも話せた 

家での長電話は叱られる友人が公衆電話から電話かけてきて

〝そっちはいいだろけど こっちは怒られるよ~〟なんて事も

ありましたね


大学時代は関西にいましたが 

先輩には金持ちが多くて 自動車電話なんてえのも見ました

運転席と助手席の間(車には疎いので)今は小銭入れみたいな場所に

無線機みたいな電話がはめ込んであって 受話器は家電話の形

つながるっちゃつながるけど 結構ブチブチ途切れると聞きました

電話料金が法外だったので 恐くて使った事はありませんがね

    ちなみに〝外側だけ自動車電話〟も存在しました

    通信契約もしてないし電波も飛ばないけど 側だけの

    自動車電話を車に積んで 見栄張るヤツがいたんですね

それを 引っこ抜いて肩から掛けて持ち歩けるようにしたのが

携帯電話の始まりだとか そうとう重かった様ですが


この辺から 平成が混じるんですが

ポケベルが普及して最初は 営業マンが会社から持たされました

それまでは スケジュールボードに『商談』と書いて会社を出たら

あとは自由自在 喫茶店で涼んでてもパチンコ屋入ってても

営業車木陰に止めて爆睡してても シッポはつかまれなかったのに

突然 ポケベルが鳴ると有無を言わさず 会社に電話を入れなきゃならん

もちろん パチンコのBGMなんて もってのほか

ちょっと位なら無視もできるけど 事務は返事来るまでかけ続けるから

あんまり返電しないと戻ってから 釈明を求められる 

ずいぶん窮屈になったなあと見てたら

すぐに 携帯電話になって 営業天国は完全に終焉を迎える訳です


携帯電話が普及し始めても 頑として持たない人は沢山いました

脛に傷がある  のかどうかは知りませんが 縛られたくないようで

それは関西においては 平成7年の阪神淡路大震災で一変します

電話回線はパンク状態で繋がらず つながりやすいと噂の流れた

公衆電話には信じられない程の人の列… のなか携帯はつながったんです

    東日本大震災の時は つながりにくかったと聞きましたが

    多分 普及率の問題ではないかと

これで 関西では一気に個人的に携帯を持つ人が増えましたね

 (私の周り調べ ですが)

私自身もこの辺りでしょうか


今の会社は知りませんが 会社側がその気になれば

位置情報もキャッチできる 現在地の映像も見られる時代 

〝♫サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ!〟

の昭和はとおぉ~~くなりましたね お疲れ様です

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