第9話 風呂談義(昭和初期篇)

母は昭和元年生まれ 

母の祖母は大阪北新地で料亭を営んでいました

料亭というのは宴会コーディネート&場貸業という感じ

きれいに整えた座敷を用意して

芸者の置屋から客の要望や店の見繕いで芸者さんを呼び

料理屋に客に合わせた料理を注文して料理を運ばせ

それを提供するので 店には住み込みの仲居さんだけで 

板前や芸者はいなかったそうです


当時は 置屋で待っててもお呼びがかからない芸者さんが

料亭の小部屋で 何かの拍子に声がかかるのを待っていて

(これを〝お茶を引く〟と言ったそうです)

当時12~13歳の次期女将の母を相手によもやま話を

したそうで その聞き語りの一つです


芸者さんはいい旦那さんがつくのが出世の必須条件

だから いつだって清潔は一番 風呂屋にはマメに通います

浴用石鹸はあったみたいだけど その他に〝うぐいすのふん〟が

使われたと言います

母も使った事はなかったらしいけど しっかりした絹地の袋に

〝うぐいすのふん〟を入れて体をこすっていたのだとか

「乾燥させて粉になってたから匂いはしなかったよ」と言ってました

私は現物を見た事はありませんが ガラスの引き戸があるような

個人経営の薬屋の その戸に〝うぐいすのふん〟と達筆で書いた紙

が張ってあるのを見た事はありますから昭和30年代にも使っていた人

はいたのでしょう


母が芸者さんに習って 私にも厳しく言っていた事があります

さっと体を洗うと洗い残す盲点を 石鹸で体を洗って流した後

親指で擦れというのです 場所は 耳の裏側 鎖骨の内外

膝の裏側  アキレス腱の両側からくるぶしの下側を通って

足の小指側 親指側に連なる地面ギリギリライン

一度 試してください 垢が一つも出ない人少ないと思います

あまり 長く洗い残すと黒ずんできますよ

風呂から上がるといつも母にチェックされて ポロっとでも垢が出たら

風呂場に逆戻り だったので今も習慣になってます


そんな母は人を見て「ええイヤリングしてても耳の裏側 真っ黒や」

「見てみ 膝の裏黒ずんでるわ 短いスカートはかなんだらええのに」

「あの子のくるぶしの下黒いん 汚れか? 垢か?」とまあ

「シーッ」と言いたいほど ズバズバ言ってました


自分では見えない黒ずみは ちょっとこわいですよね

一度 温泉で友人の背中を流そうとしたら

背中に黒ずみ三角があって 黙って一生懸命流しましたが

考えるに 体を洗う時にタオルを左右の肩と腰で斜めに洗い

腰を横に洗った 洗い残しの三角だったみたいです


思えば 昔は風呂の入り方や体の洗い方を教えてくれる人が

いましたね 

風呂屋という文化も役に立っていたのかもですね

今は ボデイシャンプーの洗浄力が上がって 大丈夫なのかな

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