第七話 回想

「メェ、メェ──」

山羊達の怯えた啼き声にテラたち三人は目を覚ました。時計はちょうど真夜中を指していた。


ピカッ。稲妻が闇夜を切り裂き、辺りが明るくなる。

三頭の狼が山羊の囲いに近付いているのが一瞬見えた。


アヴァンは猟銃と松明を手に持ち、山羊の囲いへと急いで出て行った。テラとエルサへは決して外に出ないように言って。

エルサは家の戸締りを隅から隅まで確認している。

テラは格子戸の下ろされた窓からアヴァンを見守ることしかできない……。

アヴァンの持つ松明がゆっくりと離れていく。囲いを照らす。山羊たちの怯えた声が時々聞こえる。

「ワウゥ──、ワウゥ──」

狼の鳴き声が聞こえてきた。テラは窓枠を力強く握り締め、お父さん、どうか無事でいて、と天へ願った。


アヴァンは柵の中に入って、上空に銃身を突き上げる。

「バァ────ン」と轟音が闇夜に響き渡る。テラは思わず耳を塞いだ。アヴァンが狼に向けて威嚇射撃したのだろう。後ろからエルサの手がテラの頭を優しく包み込んでくれた。

山羊と狼の声が混ざりあって聞こえてくる。

アヴァンが声の方へサッと松明を向けた。

一頭の山羊が照らし出された。

血を滴らせて、全身はぐったりと弛緩し地面に横たわっていた。


ああ、さっきまで元気そうに干し草を食べていたのに……。先程、餌をあげたとき、山羊が鼻先をテラの手に押し付けてきた感覚が蘇った。

テラの頬から一筋の涙が零れ落ちる。エルサは無言でテラの震える肩を抱きしめてくれた。


再び稲妻が走る。

倒れた山羊の後ろに血を滴らせた狼が牙を剥き出しアヴァンを威嚇している。

どうか父を助けて……。

ただ見つめることしかできないテラは、ひたすら天に祈った。

強く握り合わせた両手からは血の気が失なわれ真っ白になっていた。


三頭の狼は松明の火に怯えて近づいてこないが、逃げもしない。二者の距離は縮まりもせず、広がりもせず絶妙な均衡を保っている。


「バウ、バウ」


家で飼っている猟犬の鳴き声が聞こえた。それが両者の均衡を崩す。

一頭の狼が大地から跳躍し、アヴァンに飛びかかる。跳躍と同時にアヴァンの猟銃は火を吹いた。

「お父さん!」

テラは思わず声をあげ、目を瞑る。

おそるおそる目を開けると狼が全身を弛緩させて地に臥していた。胸からは大量の血が止めどなく流れ出る。アヴァンの放った銃弾はちょうど狼の胸を貫いていたのだ。


「くっ……」

アヴァンが自らの左腕を押さえた。左腕は血が滴っている。三本の深い傷があった。向かってきた狼が倒れる前に引っ掻いたのだろう。

なんていう生命力なの……。


狼は残り二頭になった。一頭が斃されたにも関わらず二頭はアヴァンの様子をしきりに窺ってい続ける。

まだ逃げないの……。狼の肋骨がはっきり見てわかるくらいまで浮き上がっている。かなり飢えているんだわ。

今年はいつになく寒さの厳しい冬だった。山中で動物たちが凍死していた。そんな姿をテラは数多く見つけた。この三頭はそうした厳しい環境を乗り越えて生き残ったのだろう。餌の少なくなった山から降りてここまで……。



「あなたは何があっても決して家から出てはいけないわよ!」

エルサはそう言ってテラを力強く抱きしめると家を飛び出した。エルサは犬小屋に向かう。

犬小屋の猟犬はいつもはおとなしくて、人を見ると手を舐める甘えん坊だが、今は殺気立って、しきりに唸り声をあげている。

エルサは犬小屋の扉を開け放った。猟犬は勢いよく小屋から飛び出し、アヴァンのいる方へと一目散に走って行く。主人の危機を察知して、急いで駆けつけようとしているのだ。


「ガルルルル……」

猟犬はアヴァンを守る盾のように、狼の前にその身を晒して、低い唸り声を上げる。少し遅れてエルサはアヴァンの隣に立った。

「エルサ……来るなと言っただろ!」

アヴァンは狼から視線を外さずに怒鳴る。

エルサはそれには応えず、アヴァンと同じように狼を睨みつけ、包丁を構える。包丁は小刻みに震えていた。


エルサが来たことで、アヴァンの萎んで見えていた背中が大きくなった。

アヴァンは猟銃を力強く握りしめ、鋭い眼差しを狼に向けた。


「ヴァオオオォ……」

と狼は吠え二人に向かって吠えた。

狼の後肢の筋肉の筋が浮き上がり、力が入ったのが見える。飛びかかろうとしている……。


稲妻が光った。


「やめて────!お願い!」

と叫び声が雷の轟音を切り裂いた。

テラは気がつくと窓を開け、声が枯れんばかりに叫んでいた。

テラは恐怖で何もできなかった。何もできないことが、ただただ悲しかった。必死で両親の無事を祈り続け、気付いたら叫んでいた。


2頭の狼はハッと大きく眼を見開くと、怯えたように森へ立ち去った。


「怖かった……」

エルサは小声で呟いて、アヴァンの腕に捕まった。恐怖で脚がガタガタと震えている。立っているのがやっとの様子だった。

「助かった……」

アヴァンは猟銃をゆっくりと下ろす。


「おーい!アヴァンさん、大丈夫ですかー?」

村長の鋭い声が響いた。

アヴァンは声の方を振り返るといくつかの松明が見えてくる。

村長が村の男衆を集めて駆けつけて来てくれたのだ。テラの必死の願いが通じたのか、はたまた、駆けつける村人を発見したのか、狼は山へ退散したのだろう。


二人が家に戻るとテラは大声でワンワンと泣きついた。アヴァンとエルサはテラを力強く抱きしめてくれる。二人の大きな背中に包まれながらテラの意識は暗転した……。

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