第五話 王都トレドへ3

「こんな時こそいろんな国が協力しあって、リヴァイア帝国に立ち向かわなければならないのに……」

アヴァンの唇から血が滴っているのを感じる。ソランの話を聞いて思わず唇を強く噛んでしまったのだろう。

背後からは何も知らないテラとエルサの弾んだ声が聞こえてくる。


「ミネア侯国が同盟を裏切って、リヴァイア帝国の侵略を積極的に受け入れたそうですよ……」

ソランは上を見上げる。緑の天蓋の隙間を縫って丁度差し込んだ光が顔に激しく射しこんだ。ソランは手で庇を作る。

「なぜそんなに事情に詳しいんですか?新聞には全くその情報は載っていませんでしたし……」

「実は……」

ガタンとソランの馬車が大きく跳ねた。車輪が木の根でも踏んだのだろう。

「ミネア侯国にはわたしの妻の実家があるんです……最近、妻とはうまくいっておらず、妻は実家に帰っているところでした。度々妻から手紙は受け取っていましたが、もう東域連合のイルス王国には戻らないと、最後の手紙にありました……」

ソランは顔を上げたまま続けた。もう日は差していないが手で庇は作ったままだった。

「もう、妻と私は敵国同士になってしまったのです……あの時、妻に一言声をかけていれば……」

ソランの声は消え入るように、森に吸い込まれていった。そこで会話は途切れ暫く沈黙が続く。一行は何事もないように先へ先へと進んでいく。


「アヴァンさん、なぜ争いは無くならないのでしょう?」

ソランは呟いた。それは独り言なのか、アヴァンに問いかけているのかが分からない。

アヴァンは自らに問いかけられたと思って返事をした。


「人は自由に生きていきたいと思う、一人では生きていけない。必ず誰かの助けが必要になる」

アヴァンはいつも料理を作ってくれるエルサ。仕事で疲労した時にテラの笑顔で疲れが溶けるように消えていったこと。そんなことを思い出しながら続ける。

「自分の行動に誰かの意思が介在する分、必ず思い通りにいかないことが起こります。そんな時、人は自由を奪われたと思って抵抗し、時には争いを起こす──」

アヴァンは思いついたことを言った。


「アヴァンさんって結構哲学的な人だったんですね」

ソランが驚いたように言う。


「いやいや、お恥ずかしい。ふと思ったことを言っただけですよ。ところでミネア侯国はどうしてあんなリヴァイア帝国なんかに……」

「東域連合から見ればリヴァイア帝国は悪に見えるかもしれませんが、本当にそうなのでしょうか?リヴァイア帝国領では天災が起きないという噂もありますしね……」


今世界では、洪水や火山の噴火、地震などの大規模な災害だけでなく、肉を喰らう植物群の突然発生や巨大な魔物の出現など不可思議な出来事が日常茶飯事に起きている。


「そんなことがあり得るのでしょうか?」

アヴァンは疑問を投げかける。


「リヴァイア帝国領とは音信不通になってしまうので、あくまで噂ですが、帝国領になると天を突くほどの巨大な柱が建てられ、それによって天災を防いでいるとかなんとか……」


アヴァンはこのエルボの森の天蓋をなしている巨大な樹のような柱が聳え立つところを想像する。


「おっと」

ソランの馬車の進む方向が少し右に逸れており、馬車が巨大な木の根を踏んで、ガタンと大きく跳ねた。


話に夢中だったソランは馬車の操作が少しおざなりになっていたのだろう。熱中すると周りが見えなくなる……ソランの良いところでもあり、悪いところでもある。


アヴァンは手綱を握る自分の手を見つめた。戦争の絶えない世界で妻と娘を守らなければならない。いつか、平和と呼べる時代が来るのだろうか。それまで、俺は家族を守り抜くことができるのか?手綱を握る手に力が籠る。

アヴァンは薄暗闇の中をどこまでも続く道を睨みつけるが、道の先は闇に溶けてはっきりとは見えなかった。


しばらくアヴァンとソランは無言で馬車を進ませた。アヴァンの馬車からテラの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。


「そういえば、娘のテラはもう今年で十歳になるんですよ。この前まではあんなに小さかったのに。ソランさんのところにも確か息子さんがいましたよね?テラと同い年だったと思いますが」

荷台で楽しそうに話すテラの姿を思い浮かべ、アヴァンは笑顔で訊ねた。


「そうです、息子のロムルスも今年で十歳ですよ。しかし、息子も妻と一緒にミネア侯国に帰っているので、今は私一人だけです……」

ソランはそれきり言葉をつぐみ、ただ目の前の馬の背を見つめ続けていた。


「ちょっと隊列から遅れているようです。急ぎましょう」

アヴァンはそう言って、馬に鞭を当て馬車の速度を速めた。

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