第8話「宿屋訪問」

 

 くだんの宿屋は、ギルドからさほど離れていない場所にある。

 理由は簡単。この町を開拓していく際に、一番最初に出来た宿だからだ。いわば、初代冒険者の宿・・・・・・・って奴だな。


 既に暗がりが周囲を支配する往来だが、ギルドの近くでは魔法ランプが確保されている。ギルド自体は下町に建てられているから、下町にとっては貴重な光源だな。

 それ故に、ギルドの周りには店が多い。酒場ではむつくけき男どもがどんちゃん騒ぎを起こしているし、夜中に嘔吐した子どもを抱きかかえた母親が、診療所に駆け込む姿も見て取れる。

 そして、目的地はその向こうだ。医者が近いというのも、この宿屋が信頼されている一つの理由だな。

 改めて、その名を【竜の息吹亭】。町一番と俺が保証する宿だ。


「……ちっちゃい」


『まぁ、見てくれはな。それでも最高だぜ?』


 初代宿屋と言うだけあって、その外装は質素なものだ。

 簡素な石壁、木製の屋根。塗装もなにもしていない、パッと見は普通より大きい民家って感じだ。

 しかし、それは表面から見た構図だ。この宿屋は奥に広く、部屋数はそこそこにあるのである。

 それに、多少の実力がある者が見れば、この宿屋の安心度が見て取れる。


 壁に使われている石材は、ゴーレムから引き剥がされた超硬度の石材。屋根に使われている木材は、古妖樹エルダーエントから採れる素材である。こんなん、冒険者ギルドでも使ってないわ。

 これらは、この宿屋の旦那さんが冒険者時代に採ってきて建築していたのだから凄まじい。当時若造だった俺は、そんな夢のような素材で宿が建てられていく光景をワクワクしながら眺めたもんだ。


『さ、早く入ろうぜ。中には風呂だってあるんだからよ』


「僕、体を蒸らすんじゃなくてお湯に浸かるの、初めてです……!」


『これから二十日は入り放題だな』


 二人でにへらと笑い合い、ハノンはドアに手をかける。

 その瞬間、極小の魔力感知がハノンと俺の身体を通過していったのがわかった。しかし、ハノンはそれに気づかない。

 うぅん、これ、害意のあるやつが触れたらわかるっつってた結界の類か? こんな感じだったんだな……生前の俺でもこんな感じに魔力が通ってたなんて気づかんかった。

 角兎の感知能力、侮りがたしだな。


「し、失礼しま~す」


「はいよっ、いらっしゃい」


 カランコロン、とカウベルみたいな音と共にドアが開く。目の前には、簡素だが落ち着いた雰囲気の木製カウンターがあった。

 そのカウンター内に立っているのが、竜の息吹亭が誇る最強の肝っ玉母ちゃんこと、ベローナさんだ。

 見た目で言っちまうと、歳を取ることに誇りを持った老け方をした女性だな。俺よりも年上の彼女は現在50と3つになるが、背は真っすぐとヒマワリのごとく伸びており、胸をドドンと張っている。


 後ろで団子にした髪型で、白髪もシワも誤魔化そうともしていないが、彼女から感じる活気は全く老いを感じさせない。垂れ気味だが大きな瞳に、シワの癖になる程大らかな笑顔が、帰ってきた冒険者を安心させてくれると評判だ。

 どこぞの若作りババアにも見習ってほしいくらい快活とした熟女だ。俺も、ホントだったらこんな風に歳を取りたかったもんだぜ。


「あ、あ、あの、どうも! その、冒険者ギルドで紹介されてきましたっ、ハノンです……」


「あぁ、アルバートの坊やが言ってた子だね? 話は聞いているさ。込み入った事情なんだってねぇ」


 ハノンが取り出した紹介状を受け取り、ベローナさんは何も聞かず受け入れてくれる。

 すでに警戒心を解いているのは、最初の結界で悪意のない存在だとわかっているからだろう。


「既に20日分、三食付きの料金は受け取っているからね。今日からここをアンタの我が家だと思って使っておくれ!」


「ふぇぁ!? あ、ありがと、ござ……ぃます……」


「はっはっは! なんだいなんだい、畏まっちゃって可愛いねぇ。ウチに来る子は大概やんちゃだったから随分と新鮮だ」


 ベローナさんは、この宿屋のルールを軽く説明してくれる。

 まぁ、簡単なもんだ。三食付きで支払われた料金だが、飯を食わずに外で済ませたりすると、その分料金が宿泊費に回される。大体5回食事を取らなければ、1日分くらい宿泊が伸ばせるな。

 そして、泊まり込みの依頼とかで帰らない日が続いた場合、その分の宿泊費は取らない。

 相当にお優しいルールだと言えるだろう。


 しかも風呂は無料で、いつでも入れる。そんかし、石鹸や布なんぞは購入かセルフサービスだ。

 個人用の小さな風呂が各部屋にあるし、なんなら大浴場に入りに行ってもいい。こんな宿屋、王都にもそうそう無いぜ。


「あとはそうさねぇ……坊ちゃんには難しいかもしれないけどね? うちの旦那にビビんないでやって欲しいかね! あの人見た目で損するタイプでさぁ」


「は、はぁ……」


「それと、うちの娘とは仲良くしてやって欲しいってくらいさ! 簡単だろう?」


「は、はい、その……えと、お風呂、ですけど……契約獣は……」


「当然許可してるよ。毛なんかの掃除は自主的にやってもらうけどね!」


「も、もちろんです!」


 そこまで言って、呵々大笑するベローナさん。相変わらずよく笑う人だ。こっちまで笑顔になっちまうな。


「じゃあ、早速夕食にしようかと思ったんだがねぇ。どうにもあんた等、臭うねぇ! まずは一風呂ひとっぷろ浴びておいで! 話はそれからさ!」


「わ、わかりました! 失礼します~!」


「っとと、待ちなよ! これは部屋の鍵。それと、石鹸ね! 1つはサービスさっ」


「は、わ、ありがとうございますっ」


「はっはっは! さぁ、自慢のワンルームを見て腰を抜かすんだねひよっこ! あんたの冒険に幸あれってね!」


 俺たちの部屋は、二階の角部屋か……おいおい、一等地だな。ギルドが窓から見える位置だ。

 アルバートめ、どんな交渉したらここが取れるんだっての。


「す、凄い人でしたね……」


『あの人にかかりゃあ、鬼人だって殴り合いをやめて縮こまっちまうさ。強さってのは腕っぷしだけじゃないってこったな』


「はは……」


 苦笑しつつドアのカギを開け、中に入るハノン。

 部屋は、けして広いとは言えないものだった。それでも、ベッドの横にカーペットが敷かれ、テーブルを置けるくらいの広さがあれば充分だと言える。


「……凄い、なんかこう……安心します、ね」


 そうだな。

 窓の淵に置かれた、一輪の花が咲く植木鉢。石壁だった外壁の内側に張られた、温かみのある木造の壁。

 床は一切軋まず安定感があり、どことなく部屋全体が温かい。

 ベッドは硬すぎず、かつ柔らかすぎない。巨大羊の毛で作られた品物だ。品質保持の効果を持つため、適度な手入れで一生使える高級品である。

 そして、ベッド手前のドアを開ければ、竜の息吹亭ご自慢の個人用浴室がお出ましである。


 魔力を籠めれば水が湧き出す、湧貝わきがいを加工し、温度調節機能を取り付けたオーダーメイドの浴槽。これ一つで家が建つとさえ言われてるってんだから恐ろしい。

 うん、結論! この部屋に永久滞在したいんなら、金貨級になるんだな若き冒険者よ!


『ま、とはいえ施設の割に格安なんだよなぁ……「元は取ってる」っつってよ』


「す、凄いですね……聞けば聞くほど、こんな部屋にいていいのかって気分になります……!」


『いいんだよ、俺の報酬で払ったんだから。主人であるお前の金みたいなもんだ。……それより、早く風呂に入っちまおうぜ。もうそろそろ苦情くるだろ』


「は、はいっ!」


 そしてその後、俺は久しぶりの、ハノンは初めての風呂を堪能したのであった。

 なんだな。アイツ、やはり鍛えてやらんといかんな。肌なんか真っ白で女みたいだったぞ。

 痩せてるくせに、所々肉付きが変に良いしよ……あれは共同の大浴場には連れていけんな。他の男に毒だわ。

 

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