第9話「思い出の味 ~ドラゴンステーキ~」

 

「……さっぱりした……凄かったぁ」


『おう、この後にグイッと呷るエールがまた最高なのさ』


 俺とハノンは、湯上がり特有のホコホコとした湯気を体から迸(ほとばし)らせつつ、廊下を歩いていた。

 ハノンは現在、パリッとした部屋着に着替えている。いつもの服は、入浴中にベローナさんが突然乱入してきて、「汚い服だねぇ! 見てらんないよ! 洗って縫っとくから代わりにこれ着ときな!」つって持って行ってしまった。

 ハノンのやつ、いっちょ前に前隠して真っ赤になってやがったぜ。


『さて、風呂上がったら飯にするって、ベローナさんが言ってたのは覚えてるな?』


「はいっ、楽しみですっ」


『そうかそうか。ま、覚悟しとけよ?』


「?」


 キョトンとするハノンを尻目に、俺は食堂まで先導するため歩を進ませる。

 この宿屋は奥に広いと言ったが、一度奥に進めば建物は凸型になっており、スペースが大きい。

 まぁ、この宿屋の形に合わせて他の家が建っていったようなもんだからな。パズルみたいに組み合わさって、傍目にみたら小さく見えるわけだ。

 んで、その凸型の左っかわが食堂である。ドアの向こうでは既に準備が進んでるのか、なんとも芳醇な香りが漂ってきていた。


「……ゴクリ」


『うんうん、もう我慢できねぇだろ? ここの飯は、ギルドで貰ってたであろう飯とは一線を画するぜ?』


「は、はやく行きましょうっ」


 辛抱堪らんって感じだな。けど、そんなに急に開けたら、多分心臓に悪いぞ?

 まぁ、あえて言わないけどな。俺ってば少し意地悪なのだ。


「し、失礼します……」


 食堂は火の心配をしているのか、やや石材の多めな空間だった。

 それでも、木製のテーブルに椅子。カウンター席など、温かみを忘れないのがこの宿らしい。なにより、ドアを開けた瞬間に溢れてくる匂いがもう反則だ。

 煮詰めたスープの香り、香ばしい肉の香り。ツンと来るスパイスの香りなど、それら全てが概念的美食と化し、まずは鼻を満腹にしようと襲い掛かってくる。

 だが、その香りは逆に、胃袋を直撃して空腹を刺激する悪魔の芳香だ。


「あ、あのっ、すみません、ご飯を食べに……」


 現在食堂には誰もいない。貸し切りだな。

 しかし、カウンターの奥。調理場からのっそりとある人物が出てきたのを確認して、ハノンは硬直した。


「…………」


 その人物を一言で表現するならば、鬼人オーガが付着したあごだな。

 生前の俺ををやすやす超える体格。若干の猫背。太っているわけでもないのにだだっ広い横幅。もはや人間かどうか疑わしい上腕二頭筋。

 それだけでも小便案件だというのに、傷だらけで超強面こわすぎる顔が乗ってんだから笑えねぇ。

 しかも、そもすれば顔半分は顎なんじゃねぇかってくらいに突き出ていやがる。かつて物語にて描かれた、フランドケインの怪物って歌劇に出てくる怪物がこんな感じだった気がするぞ。

 当然、この旦那を見たハノンの反応は一択だ。


「ひ……ひぇぇぇぇ……!」


 腰を抜かし、悲鳴にならない悲鳴を洩らす。顔は青ざめ、まるで手籠めにされる寸前の村娘のようだ。

 っくく……! ここまで予想通りだとやっぱり笑えてくるな。


「あ~、やっぱり坊やにはちと荷が重かったね! ほらアンタ、そっぽ向きな! 泣いちまうよ!」


 俺たちの後ろで声がする。まぁ見なくてもわかるが、ベローナさんだ。

 彼女の言葉に、大男は肩を落としながらため息をつき、厨房の奥に引っ込んでいく。

 その背中には、明らかな憂いがあった。


「ほれ、立ちなよ坊や! 見た目以外は怖いもんじゃないさっ」


「あ、あわわわ、すみませんベローナさん……! あ、あの方、もしかして……」


「まぁ、もう気付いてると思うがね。ありゃあ私の旦那さ。名前はオゴス。ナリはあんなんだけど大人しい奴だからね、安心しとくれ!」


「……フスッ」


 嘘つけ。何が大人しいだ。

 人間4人分の重量はありそうなハンマー持って、どんな敵でも正面から打ち砕いてきた元金貨級の活躍を知っている俺は小さく鼻を鳴らす。

 しかし、それを言ったらハノンが余計にビビりそうなんで何も言わない事にした。いいリアクションも見れたしな。


「ご、ごめんなさいオゴスさん! 僕、失礼なことを……」


「…………(グッ)」


 ハノンの素直な謝罪が嬉しかったのだろう。おっさんはサムズアップを決めて頷いた。

 そして、一瞬後に「じゅわぁぁぁ!」という音が上がる。

 どうやら、最後の調理が始まったらしい。


「さぁさ、座っとくれ! うちの看板メニューを御馳走するからさ!  初めての食事では、これを出すって決めてるんだ。肉は大丈夫かい?」


「あ、は、はいっ」


「いいねぇ、上等さ。だったら堪能しておくれ!」


 肉の焼ける匂い。それと同時に漂う、芳醇な調味料の香り。

 これは、東洋で作られてるっつう、大豆を原料にした液体調味料だな。黒いくせして美味いんだあれが。


「…………(コトっ)」


「わぁ……!」


 程なくして、俺たちの前に巨大な肉塊が鉄板皿でお披露目される。

 この店の看板メニュー、ドラゴンステーキだ。

 おっさんは、こんな見た目で従魔師でもある。そのおっさんの相棒である、美味竜っていうけったいな竜の尻尾を焼き上げた逸品だ。

 俺のは胃袋を考慮して、小量な先端部分を使ってくれているらしい。さすがおっさんだ。


「さぁ! 召し上がれ!」


「い、い、いただきますっ」


「フシッ」


 ハノンがナイフを肉に通すと、レア気味の身から一気に肉汁が溢れ出す。

 付け合わせの野菜にその味を染み込ませていく光景でさらに唾液が分泌され、ハノンは溜まらず切り分けた身に食いついた。


「お、おぃひぃ……!」


「はっはっは! そいつぁ良かった! 気に入ってくれたんなら冥利に尽きるね。なぁお前さん?」


「……(ぐっ)」


 うん、本当にうめぇ。

 まず、噛んだら染み込んだ調味料の風味が広がる。黒い大豆の調味料は、特有の豊かな香りと塩気を堪能できるのだ。

 そして、噛めば噛むほどに湧き出してくるのが、美味竜本来の旨味である。

 舌に絡みついて、全体を刺激してくるかのような美味さ。その肉汁を吸った野菜も格別だ。

 初めてこいつを食ったのは、銅貨級になった祝いとして、一日だけこの宿に泊まった時だったな。美味すぎて目を丸くしながらひたすら食ってた記憶があるぜ。


「うっ、ぐす……んむ、んっ」


 ……流石に泣きながらは食ってなかったけどな。


「おかわり……は、あんたの身体にゃ重いかね? また明日も用意してやるから、バンバン食いな!」


「ふぁい……!」


 その涙を指摘するでもなく、拭ってやるでもなく、二人は黙って見てくれていた。

 ただ、静かに微笑んでいる。……だからこの二人の宿屋は信頼できるのだ。

 俺もまた、肉を咀嚼しながら泣き続けるハノンを、ジッと見ていたのだった。





    ◆  ◆  ◆




「もう、食べれない……」


 ハノンはその後、部屋に戻ってベッドに寝転んでいた。

 あれだけの労働をこなし、風呂でその疲れを癒し、腹を満たしたのだ。もはやスイッチが切れるのは時間の問題だろう。

 だからこそ、俺は聞いておかねばならなかった。


『ハノン』


「ふぁい?」


『明日のことだ』


「…………は、はひ」


 俺の雰囲気を感じ取り、ハノンはベッドに正座する。

 唇を結び、見下ろす瞳はわずかに揺れていた。


『明日はいよいよ、教会に行ってお前の能力値を視覚化してもらう。その後、装備の購入だ』


「は、はいっ。あ、あとあと、その、カイルくん達にお土産も……」


『そうだな。それも買わねぇとな。……だが、行かなくてもいいぞ?』


「え?」


『ただ土産を買って、金を降ろして、ひっそりと生活するっていう選択肢もある』


 スラムの清潔化。こいつは、流されるままにこれだけの事をしてくれた。

 だから、俺もこいつの気持ちを尊重したい。

 冒険者の精神的最底辺は見せた。だが、次からは間違いなく、命を通貨としたやり取りが始まる。

 それを隠すことなく、俺は説明した。


『このまま冒険者をやめるってんなら、俺は明日朝一でアルバートに相談しに行く。お前に不便はさせないと誓おう。……どうだ? やめるなら、今の内だ』


「……え、えと……」


 一日付き合ってわかった。

 こいつは大真面目で、与えられた仕事の義務感に応えてしまうたちだ。それが恩返しとかだと、尚更強い意志を見せるみたいだしな。

 自分の実力以上に、頑張っちまうタイプだ。その手の奴が冒険者を続けていたら、死ぬリスクが高まる。

 だからこそ、今選ばせた方が良い。今は責任とかは、気にしなくていいんだからな。


「……た、確かに、まだ、命のやり取りっていう、覚悟はない……かも、です」


『だろうな』


「……怖い、のも、確かです」


 ……決まったな。

 アルバートをなんて言って納得させるか。俺はそれを考え始めていた。

 しかし、ハノンが続けた言葉は、俺の予想を裏切るものだった。


「けど、けど……その、続けちゃ、ダメですか? 冒険者……」


『……本気か? 冗談抜きで、死ぬかもだぞ?』


「……守ってくれるん、ですよね?」


『……っ』


「その、あの……一日、お仕事して……カイルくん達からお礼言われたのも、そうだし……自分で初めて稼いだお金も、嬉しかったです。なにより……」


 ハノンはもじもじと指をいじりつつ、頬を赤らめる。

 しかし、一瞬後には俺に向き直り、言葉を紡ぐ。


「その、ヴォルさんと、まだ一緒にいたいんですっ、教えて貰いたい! 貴方に、生き方を……その、強くしてもらいたいんですっ」


「……フスッ」


「あ、あ、それにそのっ、今日のステーキ、まだいっぱい食べたいって……あ、はは……」


 ……まったく、こいつは。

 思えば、こいつはこいつで、情報屋を探して何か知りたいって思ってたようだしな。選択させるタイミング、ミスったかね。

 東の土地か……少しアルバートに調べておいてもらおうか。

 とはいえ、ハノンが自分で出した選択だ。それを尊重こそすれ、否定するつもりはないさ。


『わかった。じゃあ、冒険者続行だな』


「よ、よろしくお願いします!」


『明日は忙しくなるぞ。覚悟しとけ』


「は、はい!」


 任せとけよ、雛鳥ひよっこ

 この剛健のヴォルフガングの全てを詰め込んでやる。その小さな体にな。


『それじゃあ就寝! 明日は早ぇぞ!』


「お、おやすみなさい!」


 こうして俺達は眠りにつく。

 明日も、冒険者として生きていくための準備だ。非常に大事な一日になる。体力を戻しておかねぇとな。


『……ところで、なんで俺を抱いて寝るんだ?』


「え? 気持ちいいので……」


『……まぁ、良いんだけどよ』

 

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