第27話

 雷が鳴った。明滅は同じ場所で何度も繰り返され、灯台のように無言のメッセージを発している。それは天の怒りのようでありながら、その実地上から天を貫かんとする反逆の槍だ。

「まあ、ただで終わらせてはくれないよね」

 窓の外を見遣って、カルドは静かに、誰に向けるでもなく言う。

「僕たちが契約を交わしたから諦めますってわけにもいかないだろうからね。僕に響君の魂を食べさせなきゃそれでいいわけだし。綺麗に事を済ませるには、やっぱり元を絶たないと」

「穏健派の英雄が動くか。荒れるな」

 その横に座って何事もなかったかのように窓の外から目を離さない俺は、努めて平坦な声で、至って普通の言い回しを考える。……正直な話、いつもの自分のテンションがわからなかった。

「……響君さあ、」抵抗虚しく、疑惑の念がこもった視線が向けられている。「……まあいいや。とりあえずその呼び方やめてもらっていいかな」

「え、嫌なの? 気恥ずかしい的な?」

 いつもの感じを心がけていたら、いつもの感じでうっかり首の向きを変えてしまう。目が赤いどころではない予感がするので人の顔をあまり見たくなかったのだが。からかわれそうだし。

 ……と思って覚悟していたのだが、カルドは特に何かを見咎めた風にするでもなく、至って普通に──ともすれば一周回って普通でなく思えるほどのスルーを決め込んで話を続けた。

「そういうわけじゃないけど、別に誰のために強敵倒しましたってわけでもないのに、そんな大層な呼び方される筋合いないじゃん」

「だったら認めるのね? あなたが『悪魔狩り』の創始者であること」

「言っとくけど名前つけたのは僕じゃないから。僕はただ、そうした方が人間守れるんじゃないですかって天界に入れ知恵してあげただけだよ。天界に出入りできる悪魔も僕ぐらいだろうしね。穢れある者は天界の門をくぐった段階で塵も残さず消し飛ぶようにできてるから」

「……お前それ、天界の門くぐってワンチャン消し飛ぼうとか考えてたやつだろ絶対」

「流石は僕のマスターだね響君! その通り、完璧な正答だよ」

「これだけ当てて嬉しくない設問も珍しいよマジで……」

 手を叩いて喜ぶ穢れなき悪魔を横目に、眉間を押さえる俺。まあ、相互理解が深まっているのはいい傾向なのだろうが。

「天界は人間第一主義みたいなとこがあるからね。だからこそ人間を間違った方向に導く悪魔をやたら敵対視するし、逆に自己満でもなんでも、『自分たちが人間を守っているんだ』って実感が得られればそれでいいんだよ。単純で羨ましい限りだ」

「悪魔だって性格によるでしょう。現にあなたみたいな極度のお人好しもいるのだし。自分を迫害した同胞を守るために一つの組織を設立したとなれば、もはや病気ね。ボランティア精神も大概にした方が、世の中生きやすくなると思うけれど」

「キミに言われたくはないかなあ。その病人が考案した組織のいち部隊長で、今や譲渡禁止の魔力結晶を他の悪魔に譲り渡した大罪人には、ね。……一体これからどうするつもりだい? まず降格は免れないし、組織を追われる可能性だって十二分にある。キミみたいな能力の持ち主が現代で人間との契約を取りつけるのは、割と至難の業だと思うんだけど」

「え、それ結構ヤバくないか」

「ヤバいねえ」

 まるで恩義を感じていないかのように平然と返した後、カルドはニタリと笑った。この笑みを浮かべられて反応しないなら、天界の門とやらはもうフリーパスも同然なのではないか。そう天界の警備システムを本気で心配する程度には邪悪だった。

「でも、僕たちならいい手土産を調達できる。こっちがわざわざ追いかけなくとも向こうから突っかかってきて、なおかつ悪魔界隈だけじゃなく、天界の大好きな人間──それ以前に生物の概念をぶち壊すような革命を起こそうとしている、いけない悪魔の身柄をね」

「それって……」

「リクリス・ウィート。ま、簡単に言えば僕のストーカーだ」

 なんてことのない言い方をするが、あの悪魔の執念も相当なものだろう。実際に対峙し言葉を交わして、攻撃を受けたからこそ断言できることだ。

 だが、そもそもリクリスの行動理念の順位づけがわからない。不老不死の実現か、カルド個人を嬲るように痛めつける行為そのものか。どちらもあの悪魔の目的であることは間違いないだろうが、どちらが動機として先立つか、リクリスの中で大きな割合を占めているかによって、対応の仕方や危険度も違うような気がしてならない。

 そんな俺の心配を知ってか知らずか、カルドはその動機を片方に絞った言い方をする。

「奴の狙いは僕の魂そのものだ。まあ魂じゃなくて僕の身体でも実験はできるだろうけど、やるなら質の高い材料を使いたがるのは当然のことだね。……で、悪魔の魂は未完成ゆえに、その中心に空白がある。丸めのグラスなんかを想像してくれればいいし、僕らはこれを『器』とも呼ぶ。この器を特定の魂で満たすことができれば、晴れて完全なる魂の完成。正式な死を迎えられる。リクリスがやろうとしているのは、特定の魂が収まるべき場所に自分の魔力を注ぎ込むことだ。悪魔の魂は持ち主の能力や性質といった全ての根源だから、そこに莫大な魔力を流し込めば、リクリスの言うような水銀の完全な化学反応が起こる可能性もゼロじゃないってこと。元々、魔力っていうのは誰かの願いを叶えるために存在する変容の力でもあるわけだしね」

「色々言いたいことはあるけど、ひとつ質問」

 俺が軽く挙手すると、カルドは教師のように俺を指名する。

「はい響君。何かな?」

「不老不死のことはまあいいよ。リクリス本人からも意味わかんないながら話は聞かされたからな。悪魔が本来持つべきでない銀の力と、錬金術で使われる水銀の力。それが上手いこと噛み合ってるからいいんだろ? だからあいつは、その源であるお前の魂を狙う。でも、それを阻止することと、ルーラの今後を保証することがいまいち繋がらないんだよな。リクリスの身柄ひとつでそこまで決定的な組織へのアピールになるか?」

 俺の質問は想定の範囲内だったようで、カルドは言葉に迷う様子も特には見せなかった。

「不老不死が人間の手に渡ったら、人間は死ななくなるわけでしょ?」

「ああ。そりゃそうだな」

「そしたら悪魔はさ、食べ物を全部奪われることになるんだよね。平たく言っちゃえば飢饉だよ。悪魔が生きられる唯一の道がなくなる。……と同時に、誰も自分の『死の鍵』が得られなくなる。魔物として死ぬしか、悪魔に道は残されない。いくら『悪魔狩り』で働く悪魔が天界の魔力結晶で生き永らえてるからと言っても、流石に全悪魔に配給するほどの大量生産はできないだろうし。……だから不老不死の拡散っていうのは、生物の在り方を根本的に覆す革命でもあるし、悪魔を残らず化け物に堕とすテロでもあるわけ。そして悪魔が全て魔物に堕ちるってことは、魔物堕ちを処理する悪魔もいずれいなくなるってことだ。天界にとってはジリ貧ものだよ。魔物堕ちが魂を求めて人間を襲うのはキミも知っての通りだ。だから人間を守ることが使命であるところの天界にとっても、この事態は不祥事以外の何物でもない。無論、始末をつけるのも天界の仕事になるわけだしね」

「……なるほどな。だから俺たちが先にリクリスを捕らえて突き出せば、天界も俺たちに頭が上がらないと」

「そういうこと。もちろん手柄は全部ルーラに持たせるけどね。僕らはあくまでも影の存在に徹する。要は隠密作戦ってことだね。……それでいいよね? ルーラ」

「待ちなさいよ、私はここで待ってるだけだって言うの? 何もせずに得た手柄で今まで通りの地位を保ったところで、私は──」

 ルーラの弁ももっともだったが、カルドはそれすらもわかりきったように、無言のまま手だけで言葉を遮った。そのくせ口を開けば軽やかに舌が回るものだから、つくづく自分の魅せ方を理解していると思う。

「いいかい? 元々これは僕のストーカー被害の案件なんだ。悪魔の世界に警察はないんだから、個人で自衛をして、正当防衛で片付けるのが普通なんだよ。たかがストーカー一人に仲間引き連れて寄ってたかって暴行なんてしてみなよ、こっちが犯罪者扱いされかねないだろう? まして僕は『銀の悪魔』なんだし。リンチだよリンチ。僕が昔受けたいじめと同じ。被害者は加害者と同じ過ちを犯さないように努めるものじゃないか」

「……お前時々マジでエグいこと言うよな……」

 ウィットと言えば聞こえはいいかもしれないが、こいつの場合は経験が重すぎて笑えない。

「……まあ、とはいえ僕ももう独りでは背負わないよ?」

 急に意味ありげに魔性の笑みを浮かべたかと思うと、カルドの腕が俺の肩に絡む。言い寄るように徐々に加わっていく体重とそれに従ってずれる重心のせいで、俺の身体は少しずつ傾いていった。

「……なんだよ」

「初めての共同作業ってやつ? やってみたいじゃん」

 俺は重々しくため息を吐く。色気も何もない、「どうせ承諾することになるんだろうな」のため息だ。

「ストーカー縛り上げるのがそんなに楽しいかよ」

「でっかいケーキ一つに刀持ち出すよりは穏便だよ。それにほら、穏便にするためにキミの力が必要なの、わかるでしょ?」

 どうせいずれは首を縦に振る展開になるとはいえ、丸め込まれるのが早かった。俺はむうと唸り、体幹をさらに傾かせる。

「お前がやると殺しちゃうからってか? でも俺の力も元はお前のもんだろうし、魔力だってシェア状態なんだろ? それでも俺に聖性はないって言い切れる?」

「出力が違うから大丈夫だよ。……と言いたいところだけど、断言できるかまではちょっと微妙なところかな。響君って、あの指輪をイメージの起点にして力を発動させてるでしょ? まあそういう風に僕が仕向けたのもいけないんだけど、それが術者の体内にある状態ってたぶん前例ないから、事故が起こっても責任取れないというか」

「え怖っ」それってつまり、次に鎖を出そうと思ったら胃の中を突き破って出てくる可能性も存分にあるってことじゃないのか。「やっぱ俺降りていい……?」

「今試してみればいいじゃない」

 ソファーの肘掛けに腰掛けたルーラが、上からくすぐるような声を落としてくる。

「本番で使えなくても困るでしょうし、今なら最悪身体が裂けても治療はできるわよ。穴塞ぐ程度だけれど」

「ルーラさん、やっぱ俺のこと恨んでません……?」

 いい意味も含まれているかもしれないが、明らかに前より遠慮がない。悪魔らしく──なのかはわからないにしても今のは絶対嫌味が入っているし、薄くたたえた笑みは口元だけだ。目は明らかに笑っていないし、炎どころか氷のような視線が俺に突き刺さっている。

「当たり前じゃない」開き直ったと言ってもいい彼女の表情は、いつもよりも清々しく、豊かに見えた。「仮にもずっと好きだった相手を取られて、微塵も恨まないなんてあり得ない話よ。言っておくけれど、私の信念は『出会うべき人がいるから諦めて』で引き下がれる程度の安いものじゃないの。あなたは私よりも純粋な想いを持っているのでしょうけれど、私だって憎いけれど忘れられないぐらいの情念をこの男に抱いていたのよ」

「それ僕の前で言う……?」

 オブラートもなしに指をさされて、流石のカルドも端整な顔を引きつらせる。

「言うわよそりゃあ。気づかないあなたでもないでしょう。果てはストーカー被害で悪魔の世界も人間の世界もひっくり返るかもしれないとか、一体あなたは何がしたいのよ。トラブルメーカーもここに極まれりじゃない。いい加減にしなさいよ」

「……いや、僕だって好きでトラブル引き起こしてるわけじゃないし。そもそも──」

「やめろカルド」俺は咄嗟にその口を塞ぐ。俺の内に宿る弟センサーが危険信号を発していた。「まずは聞こう。そして頷け。返事ははいかイエス、それ以外は死あるのみ」

「何その標語……」

「とにかく!」

「はい大変申し訳ございません!」

 脊髄反射で接客という名の軍隊式の返事をかます俺をよそに、ルーラは視線をつと滑らせて小さく息を吐いた。それから少しして向き直った彼女の眼差しは、聖母のように凛として、どこまでも柔らかかった。

「感謝する気持ちがあるなら、恩は返しなさい。それと……これからはちゃんと幸福を噛みしめて生きなさい。あなたたちはそのためにケリをつけに行くのよ。それだけで私は充分。できることなら、あなたたちの歩む先を一緒に見届けたいとは思っているけれど」

「ルーラ……」

 握り込む拳に自然と力が入った。俺たちの幸福は俺たちの力だけで掴めたものじゃない。周りの誰一人欠けても、きっと最善を選び取ることはできなかった。人は案外、どう足掻いても独りにはなれないのかもしれない──そんな風に、今までの願望と矛盾した他人の温度を胸に刻む。

「──さて、行こうか。僕は借りは極力作らないし早めに返す主義だからね。利子がついたら、後で何を要求されるかわかったものじゃない」

 傍らでやれやれといった感じの吐息が聞こえる。本当に素直じゃない。素直ではないけれど、通常運転がなんだかんだで一番落ち着く。

 だからまあ、俺も無理には気張らず。でも置いて行かれだけはしないよう。ちょっとだけ見栄を張って、立ち上がった。

「ちゃんと俺も混ぜろよ? せっかくの共同作業なんだから」

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