第21話

 青い空に響き渡るような、高く澄んだ音。

 鈴にも似た、でも決して弱くなく、小さくもなく。ガラスが割れるような突発性と、少しだけ暴力的な鋭さを感じる。

 そんな音が鼓膜を伝って脳を揺らして、瞼が開いた。

 壁があった。鉄格子のような、反対側をも見通すことができる、壁。

 ──淡く光るそれは、鎖でできている。

「魔術……? まさか、」

 淡い光が受け止める電光の向こう側で、青い瞳が驚嘆に染まっていた。


「──間に……合った、みたいだね」


 背後から聞こえたその声は、弱々しくも苦笑混じりで、明らかに強がっていて、泣きそうで。もう何を想っていいのかもわからない。

 ただ、この世の何よりも美しくて、頼りたくて、それでもやっぱりか弱く見えて、守らなければと心が奮う。

 そういう複雑な感情でもって、俺の視界は確実に滲んだ。

「ああ──……」

 その嘆息は、迷い込んだ暗闇の中で母親を見つけた瞬間のものに似ている。もう二度と目を覚まさないと覚悟していた最愛の人が目を開けた瞬間のものにも、おそらくは。

 名前を呼ぶ。それだけできっと、言葉にならない想いの全てが伝わると思った。

「響君……その力は今からキミのものだ」

 だが、激しくも神々しい金の順光を受けた、その笑顔はあまりにも完璧すぎた。

 寂しさも切なさも恋しさも悲しさも──弱さも覚悟も。

 全てを受け容れる清々しい笑顔は、最期を飾る最適解にしか見えなかった。

「僕は何があっても必ずキミを守り抜く。だから──」

 遠くで差し出された両手は掴むことを許さず、身勝手な願いを押しつけていく。

「──だからどうか、僕を終わらせてね。醜い僕を愛してね」

 そして、返事を待たずに落ちていく。大空を飛ぶ飛空艇から、夜空に聳える塔の上から。

 そんな幻想を見る。後ろ向きに堕ちていく先は、どう足掻いても狂気の底なのに。

 次の瞬間には、カルドの姿は消えていた。

 その場に水銀とも銀ともつかない金属光沢のドームが出現する。それは高速で本体の周りを旋回する銀の帯であり、水銀の球だった。やがてその中から二本、薄く鋭い刃となった銀が触手のように飛び出す。あまりの速度に、俺の両脇を駆け抜けていく風だけを肌で感じ、振り返ることもできないまま──背後に展開されていた鎖の壁が砕ける音を聞く。

 ──それと、人の呻き声。バチバチと電流が弾ける音が瞬間的に増大するが、すぐに硬いものに叩きつけられるような衝撃音にねじ伏せられる。

「……これは、手厳しい」

 遅れて俺が振り返ると、道路のアスファルトがひび割れ、浅いクレーターが出来上がっていた。その中央には両腕を雷光で覆った悪魔が、苦々しい笑みを浮かべて片膝をついている。だが、肉眼で捉えきれないスピードで迫る猛毒の凶器を、リクリスは捌ききっていた。出血はなく、銀の聖性に冒された様子もない。電気を纏った両手で受け止められた銀の刃は、その魔力によってか部分的に水銀に変えられ、リクリスの出血の代わりと言わんばかりにボタボタと滴り落ちている。

「たかが一人の人間のために自我まで捨てるとは……正気の沙汰ではありませんね。──いえ、正気でないからこその凶行と言うべきでしょうか」

 リクリスは先程とは打って変わって真剣な思案顔になり、一瞬黙する。……目の前に立ちはだかる脅威と排除すべき人間とを天秤にかけ、自分の限界を算出している。思っていたよりもずっと慎重で冷静なその様子を目の当たりにして、俺は密かに息を呑んだ。

「魔物に堕ちた直後は魔力量も跳ね上がった暴走状態──お世辞にも勝てる相手とは言えませんね。一度退いた方が賢明でしょう」

 撤退を宣言した直後、リクリスの手から電気の矢が放たれた。狙いはなおも道路に突っ立っている俺に向いていた。

「──ッ!」

 俺が身構えるよりもずっと早く、銀の帯が盾になった。熱された鉄板の上で水滴が蒸発するのに似た音が、鼓膜に小さく響く。電気製の矢が当たった跡の形に、帯が溶けていた。水銀の雫が地面に落ちる。

「では、落ち着いた頃にまた」

「あ、てめっ──」

 リクリスの声が聞こえた時には、それらしき光はずっと遠くに見えていた。

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