第1話
「お前じゃ話にならん! 店長を呼べ!」
夜が更けても、闇に浮かび上がるように明かりを照らすコンビニには休みもない。従業員には当然休みは存在するが、勤務中に心休まる時はない。
現在もまた、俺の心は少しも穏やかではなかった。
俺の目の前には、自分の思い通りにならないと気が済まないタイプのおっさんがいた。俺がこうやって状況整理をしている間にも飽きず怒鳴り続けている。その原因というのが、おっさんの後方、雑誌コーナーにたむろし騒いでいる不良集団だった。
曰く、うるさくてまともに買い物ができないと。
それはわかる。俺だってできることなら静かな空間で仕事したいし、そもそも過度な立ち読みは厳禁だ。俺だって気分が悪いし、ここの店員としての責務を果たすために注意ぐらいした。
だが、この世の中、自らの行動をその場で改められるできた人間だけで構成されてはいない。むしろ、咎められればカッとなる者のほうが多いのではないか。さらに不良とくれば予想通り、注意したこちらが被害を受ける。今回も例に洩れず、今さっき彼らにもキレられたばかりである。
おまけにこのおっさん、店員の俺には容赦なく罵声を浴びせるくせに、その不快の発生源である不良たちには一言も声をかけないのである。これだけ大声を出せば当の不良に突っかかられてもおかしくないのに、不良に目をつけられることなど恐ろしくもないといった様子で、ひたすら俺にだけ怒りを撒き散らす。そんなに怖いものがないなら文句は直接言ってほしい。
「申し訳ございませんが、店長の野中は不在でして……」
これは事実だが、どうか帰ってくれという願いを切に込めて俺は言った。
しかし、「いないから帰って」と言って素直に帰るなら店の中で怒鳴らないわけであって、そんな言い訳が通るなんてのは望み薄もいいところだ。
案の定、おっさんは帰らなかった。どころか、顔を真っ赤にして余計にエキサイトし始める。
「ふざけるなよ! 店長もいないってのに開店してるなんておかしいだろ!」
いやいやお客様? コンビニって二十四時間開店してますし? そんでもって常に店長いたらそいつ人間じゃないですよ? サイボーグかなんか?
「そう仰られましても、不在なものは不在ですので……」
目を伏せるついでに救援を求められないか隣のレジを盗み見るも、向こうは向こうで不穏な空気を醸し出していた。どうやら不良集団はただの時間潰しだけでなく食料も求めていたようで、食料班と思しき数名が適当なおにぎりやパンを漁って隣のレジにやってきている。商品の数は多いし、支払いは嫌がらせかというほどの小銭の山だ。コミュ力の高い後輩の応援は期待できそうにない。
何かおっさんの溜飲を下げる材料がないかと無い知恵を絞っていると、ふいに自動ドアが開いた。続けざまに店内に鳴り響く平和なメロディが、今ばかりはやけに間抜けに聞こえる。
「…………い、いらっしゃいませ……」
こんなタイミングで来るとは向こうもかわいそうだなと新たに入店した客を憐れみつつ、超絶小声で挨拶をする。もはや聞こえたかどうかもわからない。とりあえず様子を窺おうと、俺はわずかに顔を上げた。
「──あ、」
知り合いなどではない。ただよく来るというだけで、名前も知らない。だが、印象だけは鮮烈に残っている。白い礼服、白い髪。
「あれ」
例の赤い瞳と視線がぶつかった。
白い男はそのまま視線を横にずらす。おっさんのいる方向だが、どこかいつもより鋭い眼光を宿らせて見える赤い目は、おっさんそのものではない別のところを見ているようにも感じた。
「──あれ、お久しぶりですねぇ!」
瞬間、男の表情が180度変わった。おっさんを値踏みするように見ていた凍てつく眼光が瞳の奥に沈み、冷気を閉じ込めた瞳そのものを覆い隠すように目が細められる。パッとその場に光の花を咲かせるような柔らかくも眩しい笑顔と声で、男はおっさんの肩に手を置いた。
白手袋をはめたその手の動きは流れるように自然で無駄がなく、相手に存在を気取られる前に仕掛けた、という感じがした。そして彼が触れた瞬間、おっさんの目は一瞬だけ、感情を失ったみたいにフラットになった──ように俺には見えた。
意味もわからず、背中が粟立つ。
「────あ、えっと……」
血が昇って真っ赤だったおっさんの顔が、一瞬にして「普通の人」のそれに戻る。不意に声をかけられて、振り向いたら見覚えのない人が立っている。しかし相手はどうやら自分と面識があるらしい。思い出せない。どうしよう。……そんな困惑する胸中がこちらにまで聞こえてくるようだった。少なくとも、もう怒りの感情は忘れ去っている。
「嫌だなあ、私ですよ。先日お仕事でご一緒した『ナツキ』です」
白い男は今度は目を大きく開き、長身の高さから呑み込むようにおっさんを見下ろした。その瞳は変わらず飴玉のように真っ赤だ。……だが、何かがおかしい。そりゃあ赤い瞳なんておかしいに決まっているのだが、外見上の引っかかりではない。
眼光が揺らめいている。ロウソクの火でも眺めているみたいな、我を忘れて朦朧としてくる感覚。……に襲われそうになる。洗脳、支配、浄化──そんな言葉の断片が脳裏に浮かんだ。
「あ──ああ! 『ナツキ』さんね! この前はどうも! それで……ええと、俺何しにここ来たんだっけな?」
おっさんは誤魔化しなどではなく、本当に頭の引き出しの中に「ナツキ」を見出したらしい。スッキリしたと言わんばかりに、豪快な笑顔を浮かべていた。それと同時に自分を取り囲む景色を思い出して、このコンビニに来た目的を忘れていることにも気づいたようだ。
「あ、申し訳ありません。もしかしてお買い物の邪魔をしてしまいましたか?」
白い男が再び紳士的な笑みを浮かべる。その中にはしっかり「申し訳ない」という言葉に沿った苦々しさがブレンドしてあって、それもまた様になっているのが憎らしく感じ──しかしどこか、嘘っぽかった。
おっさんは不信感の欠片も抱いていない様子で、「まあいいって!」と豪快に笑う。
「コンビニなんてどこにでもあるからな。思い出したらまたどっか寄るわ」
それじゃあまた、と軽く手を挙げ、おっさんは踵を返す。自動ドアが開き、メロディが鳴り、難は勝手にいなくなる。
「あ、ありがとうございました……?」
俺もまた機械的な挨拶を口にするが、いつも以上に身が入らなかった。言葉に込めるだけの心が──余裕がない。
──この男、なんなんだ?
本当に仕事であのおっさんと関わっていた? それにしてはなんだかこう……腑に落ちない。
というか、あまりにも不思議なことが多すぎるのだ。そもそもこの男に「仕事」という言葉が似合わなすぎる。生活感がないというか……人間感がない? 掴みどころの欠片もなく、夢の中の存在と言われても簡単に受け入れてしまいそうな。
……それに何より、俺は見た。聞いた。
あのおっさんの肩に男が手を置いた瞬間、ジュッという音がわずかに立ったこと。そして手を離した時、男が触れていた肩から何か煙らしき、靄にも似た視界のバグが生じたこと。
それを認識したあたりからだ。あのおっさんが怒りを忘れて、「ナツキ」と名乗る男に対して戸惑いを見せたのは。
それじゃあさっき俺が思い浮かべた言葉の通りじゃないか。洗脳、支配、浄化──
「すみません、いつものを頂いても?」
「あ──はいっ、ただいま」
柔和な声が俺の思考を寸断する。謀ったかのようなタイミングに動揺して、体に染みついた動作すら狂いそうになった。
「あの……さっきはどうも」
品物を渡す際、一応礼儀をと思い、小声でそう言った。
男はしばしの間ぽかんとしていたが、やがて一番嘘っぽくない笑みを浮かべて「いえ」と短く応えた。
「困っている人を見かけたら助けるのが基本ですから」
「はあ」
「仕事相手」じゃなくて「困っている人」を見かけたから声をかけたんですか。そうですか。しかも「助ける」って。おっさんじゃなくて俺か?
……やっぱりわかんねぇな、この男。
「じゃあ、また後で会いましょう」
「はあ。………………は?」
今度、とか、明日、とかではなく?
聞き返すために顔を上げたその頃には、開ききった自動ドアといつもの電子音が残るばかりだった。
「センサーには反応するんだもんなぁ……」
独り小声で嘆息していると、隣のレジから「大丈夫ですか?」と声をかけられた。
見れば、藤沢の方も既に片付いていた。店内をたむろしていた不良たちも外に出て合流したらしく、改造されたと思しきバイクや車のエンジン音がガラス越しに聞こえてくる。このままスムーズにどこへなりとも移動してくれればいいが。
「大変でしたね、急に個性的な方がたくさん」
「そっちもな。大丈夫だったか?」
苦笑気味にでも労いの言葉をかけてくれるよくできた後輩に、俺は極力自然で明るめの笑顔を送る。気が抜けたのか、どっと疲れが押し寄せてきた。
「殴られるかと思いましたけどね……」
隙がなく動揺したところなど滅多に見せない藤沢であっても、戦闘力では不良には敵わないらしい。……いや、いざとなったら話は別なのかもしれないが。
「とりあえず残りの時間も頑張ろうぜ。……またああいうのが来ないといいけど」
「そういうのをフラグって言うんですよ先輩。ダメじゃないですか自分から呼び込んじゃ」
結局、フラグは回収されないまま俺たちは業務を終えた。
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