アイソレイション・エレジー
蓼川藍
プロローグ
最近、変な客が来る。
まあコンビニに来る客は他の店の客よりも多種多様な目的を持って来店するのだから、多種多様な人間が来店するのは当然か。買い忘れの食品があったり、料理するのが面倒だったり、急にハサミや筆記用具が必要になったり。通販等の支払いはもちろん、フリマアプリの商品のやりとりやビニール袋の必要性の確認まで業務のうちで、店員としては何もかも任せんじゃねえよと言ってしまいたい状態である。そんなになんでもかんでも引き受けるようになったからか、コンビニ店員をなんでも屋と勘違いする人も多い。
しかし大学生時代から通い勤め、フリーターとなった今でも変わらぬ職場で働いている俺からしたら、多少の無理難題そして理不尽は慣れっこだった。それぐらいに、現代の接客業務は頭がおかしい。本来は慣れてはいけないだろう、無茶振りとか。
しかしながら、深夜帯の時給をせしめるために荒れた客の多いこの時間を好き好んで選んでいる俺は、風変わりな客とは数多く対面せざるを得なかった。そういう理由で夜勤帯の時給は高いのだろうか。もしそうならもう少し高くてもいいと思うし、そうでないなら早急に精神治療費として特別手当を出すべきだと思う。要するに、慣れっこでも傷つかないわけではないということだ。精神的におかしくなってからでは遅い。
が、そう主張する俺がもうすでに手遅れなのかもしれないと、最近になって思う。
変な客に慣れっこなはずの俺にとっても、あの男は非現実的なまでに「変な客」だった。
客の来店を告げるコンビニ特有のメロディが鳴ったとき、俺はフライヤーの掃除をしていた。だから最初の挨拶はその男の姿を見ずにしたのだ。ごく普通に、「いらっしゃいませ」と。俺はバイト店員の「っしゃーせー」みたいな手抜き挨拶が地味に嫌いなので、そこの発音だけは妙なまでに徹底している。
万引き防止だとか誠意を見せるだとか諸説あるものの、俺たち店員には来店した客に目を向けることが奨励されている。一仕事終えた俺はようやく店内を見渡し、今しがたやってきた客に視線を移したのだった。
「……?」
一瞬、結婚式でもあったのかと思った。
その客は、一瞥して他の人と区別できるまでに、真っ白だったのである。白いタキシードに白い革靴、両手にはご丁寧にも白い手袋。こんな恰好、祝福ムード溢れる教会が用意されていてようやく似合うかどうか、というところじゃないのか。
だが待て、俺。こんな時間、こんな場所にめかしこんだ新郎が入ってくるわけないだろうが。そう思い、怪しまれない程度に視線を動かして男の姿を観察した。
端的に言って、新郎ではない。どちらかといえばコスプレイヤーに近いのではないか。
その理由は、まず髪。これまた白い。若いからウイッグや脱色の類だろうと推測するが、人工の色にしては自然で柔らかい印象を受ける。
それから、白に映える赤い瞳。これはもうカラコンに違いない。もしこれで「アルビノ体質です」なんて言われたらたまったものではない。どこかしらの特別要素を俺にも分けてほしい。万年平凡かそれ以下の印象しか与えられず、就職が決まらない俺を救ってくれ。
──と、そんなことを考えていると、いつの間にか俺が受け持つレジに例の男が歩み寄ってきていた。俺は慌てて姿勢を正し、接客モードに入る。
観察していたのがバレて不快に思われていたら申し訳ないなあと思い、男の顔を窺うも、特にそういった気配は感じられない。あくまで表面上の話ではあるが、少しホッとする。
男の白い手袋が、カウンターに缶コーヒーを一本置いた。それから空になった右手の人差し指をぴんと立て、柔らかい微笑を浮かべる。憎らしいほどのイケメンだ。白磁の肌と通った鼻筋は、日本人らしくはない。ではどこの地域の人寄りなのかと訊かれると、それはそれでよくわからないのだが。
「あと、ショートホープを一箱頂けますか?」
「あ、はい」
煙草とか吸うんだ……なんて内心で考えつつも、ポーカーフェイスは忘れない。まあ心がけなくても表情筋も目も死んでいることに定評のある俺ならば大丈夫だとは思うが。
「……」
年齢確認などの作業を行っている間、俺は男の方をまともに見なかった。理由は至極単純で、向こうが俺の方を見てくるからである。
客が待っている間に店員の手元を見るのはままあることだ。それ自体は仕方のないことである。だが、今に限って言えば、俺が相手を見たらおそらく目線がかち合うだろう。つまり、男の視線は俺の手元にではなく顔や胸のあたりに向いている。……と思う。
なぜなのか。何かした? ……したな。めっちゃ見てたな俺。見られてたのが気に障って見返してきたとかそういうやつだろうか。目には目を的な?
できることなら顔も上げたくなかった。が、接客でそんな真似をしたら俺の首がどうなるかわからない。俺は目の焦点を合わせない戦法で商品を手渡す。
「あ、ありがとうございましたぁー……」
接客終了の文言をおずおずと押し付けると、男はこれといって何かを指摘するでもなく会釈をして帰っていった。……何事もなかったかのように、整い過ぎた微笑を浮かべて。
「……なあ、藤沢、藤沢?」
ドアが完全に閉まり、店の中に自分たちしかいないことを確認して、俺はレジ前の棚で品出し作業をしている後輩に話しかけた。藤沢生狛は見た目こそチャラついているが、俺なんかよりも数段優秀で礼儀正しい現役大学生である。
「はい? なんですか先輩」
「さっきのあの白い人さあ──」
「白い人って、今のお客様ですか?」
「そう。それ以外いないだろ?」
「まあ……色白な方ではありましたもんね」
「え、いや色白ってどころじゃなくないかあれ。それ以前に真っ白っていうか……」
藤沢の煮え切らない態度を前に戸惑う俺。頭の上にはいくつもの「?」マークが浮かんでいる。まるで藤沢の目にはあの男が変に映っていなかったかのような言いようだ。もはや嘘やドッキリを疑うレベルなのだが、恐ろしいことにうちの後輩はそういった悪ノリを冗談でも一切しない。背筋に何か寒いものが走った。
「そんなに気にすることですか? ああいうサラリーマンなら普通にいますよ」
「サラリーマン⁉︎ 新郎じゃなくて⁉︎」
「え、先輩さっきから何言ってるんですか。大丈夫ですか? ……そういえば先輩、今日で八連勤とかじゃありませんでしたっけ。流石に休んだほうがいいですよ。おれからも口添えしますから、まずは店長に……」
「いやいやいやいい、いいから! 今のはアレ、その……冗談! 冗談みたいなもので……だからウン、大丈夫。全然大丈夫だから……むしろごめんっていうか……」
ズキリと軋んだ胸の痛みを喉の奥の方に留めて、俺は両手を前に突き出した。まるまる一週間休みをもらっていないのは事実だが、未だ学生の身分真っ只中の後輩に本気で心配される方が、なんなら心にくるものがある。
……それに、俺みたいに「生きる才能」を天から与えられていない人間は、正常に動ける時に生産をしておかないと、そうじゃなくなった時に世間に対して申し訳が立たない。ただでさえ落ちこぼれなのだ、動ける時ぐらい──常人と足並みを揃えていられる時ぐらい、俺に言い訳を用意させてくれ。そう願うのはおかしなことだろうか?
それとも、才能がないなら死んでゆけっていうのが、俺のことを見下ろしているかもわからない神の真意だったりするのだろうか?
「…………悪い、本当に。俺がおかしいんだ」
肺の奥から黒く重い、澱のような意識が口の中へ逆流していくのを感じる。むろん錯覚だから、俺は気にも留めていない風を装って口角を上げた。声の高ささえ自分の手で加工してみせる。
「でも、俺は平気だから、マジで。また変なこと言い出すかもしれないけど、気の利かないユーモアだと思って流してくれればそれでいいから。心配とかは全然、」
大丈夫、と呼吸するように口から吐き出す。そんな俺のことを優秀な後輩が注意深く見つめてくるので、「外の清掃行ってくる」とつけ加えて逃げるようにその場を離れた。
深夜といえども五月にもなればそこまで冷え込むことはなく、一人になった俺は無色の息を吐き出して眉間を揉んだ。
……美しくも奇妙な男。人生に落ちこぼれた人間には白いタキシードの美青年に見え、正常な人間の目にはただの目立たないサラリーマンに映る。
俺は藤沢の言った通り、普通に働いているとは言えない少ない休みの中で業務をこなしている。それに……俺の脳の神経回路は、おそらく普通の人と違う配線になっているから。
だから、視覚情報が変なところに繋がっていてもおかしくはない。働き詰めの疲労が色覚にモロに影響を及ぼしているとしたら、黒のスーツが全部白色に見えてしまうこともあるのかもしれない。タキシードと一般的なスーツなら、形状はそこまでかけ離れていないはずだ。
だから、次来た時には普通になっている。……そう自分に言い聞かせる。
少し休めば普通の人と同じになれると。同じ世界が見えるようになると。
そんな俺の思いとは裏腹に、これ以降も白いタキシードの男は定期的に来店した。週に二度ほど、店内を一通り回った後に決まって煙草を買っていく。銘柄も変わらず青のホープ。必ず俺のいるレジで会計を済ませ、にこやかに去っていく。これの繰り返しだ。
いつ彼が来ても俺には白ずくめにしか見えなかったし、藤沢以外の店員にも彼のことを不思議に思っていそうな者は一人としていなかった。
例の男は幻覚みたいに、正常じゃない俺の目にだけ美しく見えた。
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