ぽんこつ異類婚姻譚



 ある炎天の昼下がり、ひとりの青年が石畳の上に、干からびかけたカタツムリを見つけた。

 昨夜は雨が降っていたから、そのときにい出してきたものが、逃げ遅れて取り残されてしまったのに違いない。今日はこの日差しだ。そのうち乾いて死んでしまうだろう。かわいそうに思った青年は、カタツムリをつまみ上げて、日陰のジメジメした草むらに放してやった。

 これに感激したのはカタツムリである。マイマイという名前の雌カタツムリは、颯爽と立ち去っていく青年の背中を見つめながら、うっとりと頬を赤らめた。もっとも、どこがカタツムリの『頬』なのだか、傍目にはさっぱり分からなかったが……

「ああ、なんて素敵な人なのだろう。

 私はあの人のお嫁さんになりたい。そして一生尽くして恩返しがしたい」

 彼の後を追って、マイマイはえっちらおっちらいはじめた。しかし、のろまなのろまなカタツムリである。彼の家はほんの数ブロック先だというのに、ってもってもたどり着けない。そうこうするうちに日が暮れる。朝になる。また日が暮れる。朝になる。

 どうにかこうにか彼の家の前までやってきたときには、なんと半年もの月日が経過してしまっていた。

 さて、青年が家でくつろいでいると、ドアをノックする者がある。開けてみれば、愛らしい乙女がひとり、もじもじと身をよじりながら青年を見上げているではないか。

「あのう、私、半年前に命を救っていただいたカタツムリです。ご恩返しに参りました。どうか私をあなたのお嫁さんにしてください」

 半年も前のことだから、青年はカタツムリを助けたことなどすっかり忘れていた。しかし目の前にいる乙女は、おっとりとして、とてもかわいかった。それに寂しい一人暮らしにもうんざしりしていたところだったので、言われた通り結婚することにした。

 それから、ふたりの幸せな暮らしが始まった。夫は毎日仕事にでかけ、マイマイは「いってらっしゃい」と彼を見送り、「おかえりなさい」と彼を迎えた。

 家でのマイマイは、夫の役に立とうと必死であった。しかし彼女はあまりにものろまで、どんくさすぎた。朝に料理を始めたら、完成するのは日暮れあと。市場へ買い物にでかけたら、ゆうに三日は戻ってこない。水場で洗濯を始めたら、いつのまにか水に身を浸してとろけている。晴れの日には表に出ることもできず、夜寝るときは壁にくっついて丸くなる……

「ああ、だめ、だめ! こんなことじゃ私、ちっとも恩返しができない」

 そこでマイマイは考えた。こういうとき昔話では、女房が「決して覗かないでください」と言って奥の部屋に籠もり、なにか素晴らしい魔法の品物を作るものだ。それで夫は幸せになるのだ。この方針で行こうと決めたマイマイは、ある日夫にこう告げた。

「私、これから奥の部屋に籠もりますが、決して覗いてはいけませんよ」

「どうして?」

「正体を知られたくないので……」

「カタツムリだろ? うちに来たとき自分で名乗ったじゃないか」

「あっ!?

 そうだった……

 どうしよう。えっと、えっと……

 とにかく覗かないでください! はずかしいので!」

 マイマイはドアをばたんと閉めて、奥の部屋に閉じこもった。

 しかし、何を作ればいいのか分からない。

 マイマイにはこれといって特技がなかったのだ。

 伝え聞いた話によれば、昔、人間の男に嫁いだ鶴は、機織はたおりをして素晴らしい布を織ったのだという。そのマネをして、マイマイも機織はたおりに挑戦してみた。しかしこれが、難しい。本来は何年も修行をして、やっと一人前に織れるようになるのである。未経験の見様見真似でどうにか一枚の布を完成させてみたものの、あっちが歪み、こっちが曲がり、模様は花だかウニだか分からないありさまの、全般的にグチャグチャなしろものになってしまった。

 布はだめだ。料理をしよう。

 これも伝え聞いた話だが、人間の男に嫁いだハマグリは、自分自身を出汁にして、とても美味しい料理を作ったらしい。そこでマイマイも鍋に湯を沸かし、自分の体を煮込もうと思って片足を入れてみた。

っつ!!!!」

 無理だった。

 もう、物を作るのは諦めよう。もっと別の形で恩返しをしよう。

 そういえば、これまた伝え聞いた話だが、人間の男に嫁いだ亀は、夫を龍宮城に連れて行き、盛大な歌と踊りと美味しい食べ物でもてなしたのだという。よし、ならば龍宮城につれていってあげよう。

 しかし龍宮城は海の底にある。

 カタツムリのマイマイは、塩につかると身体が縮んで死んでしまうのだ。

「わーん!! 私ぽんこつだあ!!」

 マイマイは何もできない自分が情けなくて、床に座り込んでわんわん泣き始めた。

 すると、ドアをノックする音がする。

「マイマイ、入ってもいいかい?」

「どうぞぉ」

 夫が入ってきて、泣いているマイマイの背を優しく撫でた。

「もういいんだ。無理しないでいいんだよ」

「でも」

「特別なことなんか必要じゃない。僕はずっと一人で暮らしてきて寂しかったけれど、君がうちに来て、光が差したように明るい気持ちになれたんだよ。毎朝『いってらっしゃい』と言ってくれて、夜には『おかえりなさい』と出迎えてくれる、ただそれだけで、僕は信じられないくらい幸せな気持ちになるんだ。今のままでいいんだよ……」

 どこまでも優しい夫であった。

 それで全ては元通り。

 古来、恩返しに来た動物は、恩を返し終わったら立ち去っていく運命である。だから恩返しのできないマイマイは、いついつまでも寄り添って暮らしていける。のんびりと、ゆっくりと、長い長い時間をかけて、彼女は夫に何より素晴らしいものを――愛を贈り続けるのだ。

 それはそれとして、頑張り屋のマイマイは、何かちゃんと恩返ししようと、今日も懸命に挑戦し続けているという。



THE END.

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