第28話 約3300年前の光

「もう! さっさと連れて行って頂戴!」

 シトレがレイに怒鳴った。

 宴会を終えて帰ろうとするレイの背中にかじり付きながら、腹が痛え、頭が痛え、足が痛え、腰が痛え! と泣き叫ぶあたしに堪りかねたからである。

 接近禁止令? 七日に一度の解禁日を逃そうというこの非常事態で、そんなもの守っている場合ではない。

 部屋からリュックを持ってきてくれたヘンティが、レイにリュックを投げつける。リュックがキャッチされると、明日の昼までにそれを持ち主と一緒に返せ、と粋な注文をしてくれた。

「全身痛いので歩けません」

 あたしは仮病丸出しでお姫様抱っこを要求する。リュックごとあたしを押しつけられたレイは、前抱っこは腰にくるから負んぶで我慢しろと、かがんで背中を差し出してきた。

 お姫様抱っこで退場したかったが、レイにしてみたら負んぶでも大サービスに違いない。あたしはリュックを背負い、レイの背中に乗っかる。

 薄い羽織り越しに伝わってくる柔らかな体温が、あたしの気持ちをふくふくさせた。

 


 レイは離宮を出てからも、あたしを背負ったまま夜道を歩いてくれた。

 離宮から延びる下り坂をぬるい夜気を含んだ風が吹き抜け、素肌の熱を攫ってゆく。腕や脚が少し肌寒く感じたが、その分、レイの広い背中にくっついている胸とお腹まわりの温かさが際立って、あたしは更に幸せな気分になった。

 古代の星空は、とんでもなく美しい。宝石箱をひっくり返したどころじゃない。空を仰げば、ぎゅうぎゅう詰めの宝石箱の中に頭からダイブした気分になる。


 キラキラひかる おそらの おほしさま

 こぼれ おちて おいで 

 わたしの 手にのって

 青いの ほしい 夜空のおほしさま


 上機嫌で歌いながら星空に手を伸ばしていると、レイが笑う。

「それは替え歌でしょう。最後の一節がイマイチでした」

 即席の替え歌にしては上等だろうと返すと、物欲が余計だと言われた。まったくほんとに手厳しいな、と苦笑いを浮かべる。その時、背中にふと、違和感を覚えた。

「あ」

「どうしました?」

「今、リュック、軽くなった」

 確実に、肩にかかる重みが減った瞬間を感じたのだ。

 宴では冒頭の一曲だけ。無意識に歌っていた分は除いて、残りは指揮に徹した。けれど、楽士たちへの指導や練習で結局、なんだかんだ人前でよく歌ったのである。

 今度は何が日本に返還されたのか。何がリュックに残されているのか。確かめるのが怖い。あたしはレイの胸に両腕を回すと、バルの香りがする首筋に温かさを求めて顔を埋めた。けれど体温を感じたことで余計に寂しさが増してしまい、鼻の奥がツンとする。

「あなたの未来で、天文学はどれほど進んでいるんですか?」

 ふいに、レイが訊いてきた。

 とんでもないエリートであれば月へ行ける時代だと説明すると、それは羨ましい、という答えが返ってくる。

 ケメトの神官は、天文学や地質学といった分野はじめ、多くの学問を深め、研究するのだという。つまり学者でもあるのだ。

「音より光の到達時間が早いのは、あなたなら知っているでしょう。雷がそれです」

 レイが瞳をキラキラさせて話す。

 頷いたあたしは、音速と光の速度は八十八万倍の差があると、科学の授業で習った内容をレイに教えた。

 未来人の回答を聞いたレイが、その端正な顔を少年のように輝かせる。

 はやり、あの星明りは我々が思っているよりもずっと遠くにある。

 レイは嬉しそうにそう呟いた。

「あれほど多くの星の光があるのに、夜空は無音。ずっと不思議だったんです。あれほどの輝きを放つ現象が起きているなら、何かしら音が聞こえてきてもいいはずなのにと」

 なら、音が聞こえないほど光源は遠くに存在するはずだ。

 レイは少し興奮気味に、自論を語った。

 恒星の核融合反応の音が伝わらないのは、宇宙空間に空気が無いからなのだが……。そこを説明しはじめると、一晩中質問攻めに遭いそうだったので、大事なランデブータイムの為に黙っておく。代わりに、太陽はおよそ八分前の光を。アンドロメダ大星雲の光は二百五十万年前のもの光を見ていると教えた。アンドロメダ大星雲は、確かカシオペア座を目印にするんだったか……。 

 説明しながら夜空を探したけれど、どれがどれか分かりゃしねえ。あたしの天文知識は予想以上に早く限界を迎えた。一晩中語れるなど、とうてい無理な底の浅さだ。

「あなたの知識はどれもこれも、本当に中途半端ですね」

 えらいすんまへんな。

「だから、女子高生に専門性を求めんで頂きたい」

 レイの肩に額を乗せて情けない声でお願いすると、「これは失礼」と笑われた。替え歌を笑った時と同じく、レイは楽しげだ。

「つまり私が言いたかったのは、それほど昔の光を届ける星が存在するなら、この中に今現在の光をミツが帰る未来に届ける星もあるはずだということです」

 寂しくなった時はそう考えて夜空を見上げたら、少しは慰めになるだろう。

 レイはそう言って、だんだん下にずり落ちてきていたあたしを負ぶり直した。

 超絶毒舌家が、随分ロマンチックな発想を出してきたもんだ。

 あたしはレイの背中の上で跳ねあげられながら、感心した。でも、悲しい事に光は一方通行。未来の光を過去に届けることは不可能なのだ。

 ならやはりあたしは、ここにいることが許されている間に、残せると思えるものを、残せるだけ残すしかないのだろう。そう考えた。

 負ぶり直されたことで、思いのほか体の位置が高くなり、上体が自由に動かせるようになったあたしは、前に身を乗り出す。手を伸ばし、レイの顎に指先を添えて自分の方に引き寄せた。

「置いてけるもんは全部置いてく。だから全部持っていけ」

 そう言って、なだらかな輪郭を描く唇に口づける。

 レイの唇は、微かなアルコール臭とともに、葡萄酒の味がした。



 翌朝。ツタンカアテンは、アテン大神殿前の王宮に開かれた御臨の窓から、三週間後に迫ったアメン信仰の復権と、遷都の開始を民衆に告げた。

 あたしはレイと一緒に、大通りに集まった民衆に紛れながら、ぺル・アアの象徴である冠を被り、精いっぱいせすじを伸ばして目下の市民に王命を伝える少年王の高潔な姿を仰ぎ見た。

 ツタンカーテンの後ろには、アイとホルエムヘブが年若い王の脇を固めるように、一人ずつ、左右両方の空間を埋めていた。






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