第27話 ガラガラピッシャン

 男性ダンサーがバク宙で客席を沸かし、楽士たちが統率のとれた軽やかなステップを踏みながら讃美歌を歌う。繰り返し見ても鳥肌が止まらない映画のシーンを再現できた喜びに浸りながら、あたしは正面で指揮をとる。指揮といっても、一緒に踊っていただけだったが。

 ベートーベン万歳! ゴスペル最高! 

 気分は正に、歌って踊る修道女が。だが、そのゴスペルが悪かったのである。

 ぺル・アアはエジプト神の子。イエス・キリストは他宗教の神の子。あたしはこれを、すっかり失念していたのだ。

 ヒップホップにアレンジされた讃美歌が始まるやいなや、会場の列席者達が揃って眉を寄せ、『ん?』という顔をした。戸惑いながらもノリの良い曲調に頭を前後させ、楽しもうと努める奇特な人もいたものの、結局は誰一人、強烈な違和感を拭えないでいるようだった。ツタンカアテンとアイはぽかんと口を開け、終始仏頂面だったホルエムヘブでさえ目を丸くする始末。レイに至っては、先程までの仏像の如き静けさはどこへやら。お手上げだと言わんばかりに両手で顔を覆って天を仰いだ。

 で、とうとうあたし達が「神だ神だ」と連発したところで、レイが椅子を跳ねあげ立ち上がったのである。

 聖歌隊の前まで早足で進み出たレイは、怒気に圧されて後ずさりながらも指揮を続けるナイスファイトなあたしの額に張り手を一発かますと、同じ手で小さく円を描いて素早く音を握りこんだ。多分、あたしの路上パフォーマンスを見て覚えたのだろう。指揮者の経験もないのに、見事な音の切り方である。

「撤収! いったん撤収!」

 乱入者は音を切った方の腕で聖歌隊を煽り後退させると、反対側の手で本来の指揮者であるあたしの首根っこを捕まえ、聖歌隊ごと会場の外へ引きずり出した。

 悲しきかな。ケメト聖歌隊は、曲が後半に入ろうという頃に、怒髪天を突いた乱入者の指揮によって強制終了させられたのである。



 別室に放り込まれたあたし達は、壁に沿って整列されられた。アテン神殿の楽士とダンサーも仲良く一緒に、である。

 これから一発ずつ、どつかれるのだろうか。

 物凄い形相で睨みつけてくるレイを前に、神殿所属の楽士とダンサー達は縮み上がっている。見事なアクロバットを披露してくれた屈強な男性ダンサーでさえ、キレまくっているレイに慄いていた。

「あれは何だ」

 地獄の底から湧き上がってくるようなどす黒い声で、レイが質問してきた。言葉使いが通常運転時と違うのが、余計に怖い。

「何って――ヒップホップと、ラップ?」

「歌唱方を訊いているのではない!」

 ガラガラピッシャン。

 雷様も太鼓を放り投げて逃げ出すほどの落雷が、あたしを直撃した。あたしの両側にいた神殿ダンサーの男性とシトレが、悲鳴を上げてあたしから身を離す。実際雷が落ちたわけでもないのに、凄まじい威力である。

「この国は今、宗教改革で大きく揺れているのを、あなたも分っているはずだ! そこにまた新たな信仰をブチ込むとは、一体どういう神経をしているんだ!」

 あたしはアワアワとせわしなく両手を動かしながら弁明する。

「でもね。歌を歌っただけでしょ? 布教なんかしてないしね」

「ああそうですか。悪気のないバカとは恐ろしいものですね」

 上手く言い逃れられたのかもしれないが、これはこれで辛い返し文句である。涙がちょちょぎれた。

 楽士やダンサー達から憐みのこもった視線を向けられるのを感じながら、あたしはレイに、スミマセンデシタ……と深々と頭を下げる。

 正面から大きな嘆息が聞こえた。ほんの少し、溜飲を下げてくれたと感じたあたしは、頭を上げる。

 頭を上げたあたしに、幾分落ち着いた様子のレイが問う。

「しかも、あれではまるで陛下に喧嘩を売っているようだ。どういうつもりですか」

「え?」

 歌詞は全て英語だった。なにゆえ理解できたのか。不思議がったあたしに、レイは信じられないと言わんばかりに目を見開く。

「あなたも歌ってたじゃないですか」

「うそやん」

 完全に無意識だった。なんとしたことか。指輪をはめたあたしが歌えば、英語もケメト仕様に翻訳されてしまうのに。

 あたしの反応を見るなり、レイは腕を組んで天井を仰ぐと、また大きなため息を吐いた。

「バカもここまで来ると清々しいな」

 嫌味もここまで突き抜けると快感になりそうだな。

 間髪いれず心の中で嫌味を打ち返す。

 これ以上あたしと話しても無駄だと悟ったのか、レイは次に、ねえや達の訊問に移った。

「あなた方も。こんな讃美歌をなぜ許したんですか?」

 ねえや達が戸惑う少女のように、指先を擦り合わせたりいじったりしながら、順番に答えてゆく。

「だってね……。歌詞は正直、伝わらないだろうと思ったし……。まさかマキノが歌っちゃうとはね」

「マキノが、あたし達にも是非歌ってほしいって言うもんだからさ」

「メロディーもぉ、気に入ったのよねぇ」

『こいつらもバカだったか』

 ねえや達を睥睨しているレイの目は、訊問を後悔していた。

 続いてレイは、「楽士長」と楽士たちの列の端に立っている、ふくよかな女性に顔を向けた。出会った時から終始親切で朗らかだった彼女の笑顔も、流石に今はひきつっている。

「この方の、神を想う気持ちを尊重したくて」

「残念。彼女は無宗教だ」

 申し訳ない!

 あたしは楽士長に、心の中で土下座する。そして少なからず、責任も感じた。彼らに讃美歌を教え、一緒に歌ってくれと頼んだのは、誰でもないこのあたしなのだ。だからここはあたしが体を張って、情状酌量を求めねばならない。あたしは使命感に燃えて、一歩前に進み出た。

「でもね。みんな頑張ってくれたんだよ。ちゃんと英語で歌詞を覚えて、歌ってくれたんだから」

「悪行も努力したなら認めるべきだと?」

「この人達に悪気は無いって分ったでしょ。良い曲は国もジャンルも信仰も関係なく人を幸せにするって信じて、みんな歌ってくれたんだよ」

「もっともらしい言葉でごまかさないでください」

 駄目だ。びくともしやしねえ。

 あたしは早くも限界を感じてしまった。その上、最初の仕事を取ろうとした時の、強烈に頑なだったレイの態度を思い出し、『あたしらの関係、結局何も変わってねえや』とゴール手前で降り出しに戻った双六のような心地になる。楽士長からの「もういいのよ」という優しさからくれた声掛けも、みじめな気持ちによけい拍車をかけた。

 あかん。終わった。

 余興は大失敗。謝礼金は貰えないかもしれない。史上最強にレイを怒らせたから、あたしはきっとフられてしまう。

 あたしは絶望のどん底に落ちかける。

その時、ホルエムヘブが現れた。筋骨隆々の大きな体で、暗い廊下からのっそり部屋に入ってきた軍総司令官は、レイに苦言を呈する。

 勝手に楽士を連れていくな。さっさと次を歌わせろ、と。

「え?」

 予想外の展開にレイは面食らい、あたし達は手を取り合って喜ぶ。中には安堵のあまり脱力し、その場に座り込む楽士もいた。

 早く行け、というホルエムヘブの無愛想な指示に、シトレが「喜んで!」と応じた。ねえや達を先頭に、楽士やダンサー達がバタバタと部屋を出て行く。

 ホルエムヘブはレイにも顎でしゃくって、『お前も早く来い』と合図すると、宴会場へ戻る。

 レイと二人、部屋に残ったあたしは、ほっと息をついた。よかったこれで、みんな給料が貰えそうだし、あたしはレイとのご縁が繋がった、と。

「それでそれで。宴会後はレイ先生様の診療所で、定期健診を受けたらよろしんですかね?」

 ワクワクしながらレイに訊ねる。なにせ今日は、待ちに待った退院七日目なのだ。

 レイは、あたしをじろりと見下ろすと、おもむろにあたしの右手を取り、手首に人差し指と中指を当てた。脈診だ。ところが五秒もしないうちに、あたしの右腕は、ぽいと放り投げられる。

「問題なし! ではまた一週間後にどうぞ!」

 マジか。

「職務怠慢やぞ薮医者!」

 患者の訴えを無視し、レイが部屋を出て行く。あたしは一人、ぽつんと残された。

 こんな悲劇があっていいものか! こんな横暴が許されていいものか! 

「酷いー! 楽しみにしてたのにーっ!」

 遊園地行きを急遽キャンセルされた子供の如く、あたしはその場でギャン泣きした。



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