第26話 最後の大宴会

 どうしてこんなに良くしてくれるのか。

 シトレに聞いた事がある。


 丁度歌い手が欲しかったタイミングで、あたしが独りで歌っていたから仲間に入れてくれたのは理解できていた。けれど、どこにあるか分らない家まで送り届けると約束し、あたしが未来人だと知ってからも見捨てず世話を焼き、仕事では無理な注文にも可能な限り応えてくれる。これでは仲間と言うより、まるで姉。またはレイの言うように、保護者ではないか、と。


「わたしの妹がね、マキノと同じ歳なのよ」


 生きていたらね。


 シトレはあたしの髪を結いながら、悲しげな微笑みを浮かべた。


「前にいた街で病気にかかって死んじゃってね。あたし達の歌い手だったんだけど」


 ミイラ処置をしたところで墓の面倒などみてやれないから、水葬にしたのだという。


 広場で困っているあたしを見かけて、追いかけたのは気まぐれだった。けれど、路上で歌い始めた姿を見て、前の街に残してきた妹が帰って来たような気がしたという。だから、絶対に仲間にするという決意の元、耳慣れない歌に合わせて必死に楽器を鳴らした。


 シトレはあたしとの出会いを、ゆっくりとした調子で語ってくれた。


「いずれ別れの日が来るのは悲しいけれど、死別よりずっといいわ。その日までは、笑ってて欲しいのよ」


 髪を結い終えると、シトレは小皿に溶いた朱色の染料を小指ですくい取り、あたしの唇に乗せた。


「うん。いいわね」


 満足げに微笑むと、鏡を取って見せてくれた。

 磨かれた鏡面には、サイドの髪が丁寧に編み込まれ、アイラインを強調した古代エジプト風化粧を施された、あたしの顔が映っていた。


 そのまま鏡を持っているように指示すると、シトレは机の上に広げてあった色とりどりのビーズがついた髪飾りを手に取り、あたしの頭に被せた。


 シトレは髪飾りの位置を微調整すると、あたしの後ろに回った。これで完成だ、と言うように両肩をぽんと叩く。

 鏡越しに合ったシトレの目元は、鮮やかな緑色のアイシャドウで縁取られていた。


「マキノに出会わなければ、こんな晴れ舞台に立つ事もなかったわ。ありがとう」


 ヌスウェトや国の重鎮達が集まる大宴で演奏する。こんな栄誉に与かれる旅楽士は滅多にいない、と。

 染み一つないまっさらな衣裳に身を包み、控えめなアクセサリーと鮮やかな化粧で飾ったシトレの佇まいは凛として、誇らしげだった。


「あたしだって。三人に拾ってもらってなかったら、絶対道端で干からびて死んでたよ」


「そうね。拾っておいてホントよかった」


 あたしがおどけると、シトレは楽しげに手を叩いて笑った。そして、あたしの髪の一房に指を滑らせ、囁いた。


 あたしが消えるまで、最後まで傍に居る、と。


 やはり帰りたくないという思いが強く込み上げ、涙をこぼしかけた所で、部屋の外から賑やかな声が聞こえてきた。


「ちょっとでいいからぁ。近くで見てあげてほしいのよぉ」


「毒舌かましたらハッ倒すからね!」


 ティイとヘンティだった。


 扉が開き、部屋に明るい光が差し込むと、二人に押されてレイが入って来た。


 いつもの長衣ではなく、丈の長い腰巻に、幅広の襟飾りをつけ、ショールのようなものを羽織っていた。


 美しい。神か。

 

 レイと並べば、ダビデ像など道端の地蔵である。

 彫刻ほどの肉体美ではないが、素材の柔らかさや生命力が感じられる分、レイの圧勝だった。

 羽織りの下から垣間見える素肌と筋肉は、もはや罪。半裸文明、万歳である。


 呼吸も忘れて見惚れていると、レイもあたしの全身に視線を滑らせた。


「よく似合っていると思います。馬子にも衣装ですね」


 指輪の翻訳ミスかと思ったが、ねえや達三人が三人とも嫌悪感にまみれた顔をしていたので、誤訳の線は無いと判断した。


 こういったシーンでは、少女マンガであれば百%、少年漫画であっても高確率に、息をのんで言葉を失うものである。


 やり直せと要求したら、にべもなく断られた。


 やはりここはヘンティの警告通り、ハッ倒すべきであろうか。でもどこを殴ればいいか分らない。


 右手をグーパーしながら攻撃場所に迷っていると、先手を打たれた。


「頑張って下さい。期待しています」


 美しい男神から笑顔と激励をもらったあたしは、ミゾオチ目がけて上げかけていた右拳を、仕方なく仕舞った。

 



 宴会は、ツタンカーテンの計らいで離宮の大広間が貸し出された。


 日が沈む頃に始まった宴だったが、レイの予想通りアイの挨拶が終わった途端、酒や料理を口にする間もなく、その場は議論場へと変わった。


 遷都に反対しているのは、主に貴族だった。

 引っ越しには金も時間もかかる。畑も手放さなければならない。アクエンアテンに従いついてきた結果が、これか。

 喧々囂々、貴族の賓客達は重鎮やツタンカーテンを責めた。


 アイはいつもの食えない笑みで、列席者達の怒声をかわしていた。


 アイの隣に座る筋骨隆々の軍人風の男、ホルエムヘブは、口をへの字に曲げて黙りこんでいた。


 ホルエムヘブの隣に座るレイは、まるで仏像だった。無表情。何も見えない聞こえない。


 この三柱は三者三様ながら、その態度に同じ返答を示していた。『決まった事にグダグダ文句言ってんじゃねえ』と。


 苦情を言っている人達の要求は一つ。


『引っ越し資金をよこせ』


 あとは、面倒くさい事を決めやがって、という文句でしかなかった。


 三人の様子を見る限り、ある程度不満を吐き出させたところで、上手い具合に宥めて適当な援助金を約束するつもりなのだろう。喧騒から一歩引いた会場の壁際で眺めていると、主催者の思惑が手に取るように分かった。


 可哀想なのはツタンカーテンである。

 若く素直で処世術に長けていない純粋な少年は、苦情を真正面から受け止めて青ざめていた。


「これいつまで続くのかしら?」


「長引きそうだな」


 あたしやねえや達と同じく、壁際で待機する神殿の楽士や踊り子達が、ひそひそと話し始めた。


 別の壁際では給仕係が、料理が乗った皿やワイン壺を手に、会場中央の大テーブルに料理を運べと指示される瞬間を待っていた。

 羊か何かの丸焼きだろうか。物凄く重そうだった。


 あたしはねえや達を手招きすると、一つ、提案をした。


 歌っちまおう、と。


「ええ!」「ちょっと、正気?」「怒られちゃうわよぉ」


 ねえや達は当然反対したが、ショ―パブでの経験上、客席の嫌な空気を変えたい時のやり方の一つを、あたしは心得ていた。


 『一石を投じる』とは少し違うが、別の波風を立ててやれば、こういう修羅場は大抵落ち着くのである。

 あくまで多分ではあったが、あたし達が勝手に歌っても、重鎮三人からお咎めはないだろうと予想できた。怒られるとしたら、難癖を付けている貴族のオッサンどもに、である。


「レイの雷に比べたら、あのオッサン達からの説教なんて可愛いもんじゃん」


 あたしがニヤリと笑うと、ねえや達は諦めたように、楽器を手に取ってくれた。


 あたしは今日の日の為にヘンティが縫ってくれたワンピースの裾をひるがえして、会場の中央に進み出た。





 あたしがここで歌う予定だった曲は、ひとつだけ。


 レイが好んで聞いてくれたデュオの一曲。


 シトレがハープをつま弾き、ティイがシタラを鳴らす。ヘンティはドラム代わりの太鼓とシンバル。メインボーカルはあたし。いつも通りの編成。けれど、初めて三人で歌う。


 実は、ねえや達の歌声はとても美しかった。

 シトレの繊細なソプラノ。ティイの優しいメゾソプラノ。ヘンティの太く存在感たっぷりなアルト。この三人が合唱すれば、あたしのボーカルなど必要ない。


 導入部はもの寂しい旋律だけれど、徐々に優しさと力強さが増してゆく。ノスタルジックを誘いながらも、希望と強い祈りが込められたこの曲は、新たな時代を作り上げようとしているこの人達に相応しい。


 あたし達が歌っている間、議論は止んでいた。


 歌い終えると、貴族達から、ぱらぱらと拍手が起こった。


 ツタンカーテンは心底ほっとした表情をしていた。

 ホルエムヘブは相変わらず仏頂面だった。

 レイは腕を組んで少し俯いていたが、その口元は笑っていた。


「さあ、ご列席の皆さん」


 この機を逃すまいと、アイが立ち上がり両腕を広げ、招待客に呼びかけた。


「まずは宴を楽しみましょう。料理が冷めて、楽士たちが退屈して帰る前に」


 小さな手招きで合図を受けた給仕係が大テーブルに次々と料理を運び、神殿の楽士やダンサーが中央に躍り出てきた。

 

 アケトアテン最後の一月を飾る、大宴会の始まりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る