第23話 叔父と祖父の攻防戦

「アイ大神官。何故私を通さず、戴冠式の期日を決定した? 摂政は遷都を終えるまで共同する約束だったはずだ」

 北の離宮。木製の扉を介して、レイの攻撃的な話し声が聞こえてきた。彼の大切なパーソナリティの一つとも言える丁寧語は今、国政の一端を担う仮面の下に隠されている。

「おや失礼。貴公は医師の業務にお忙しいようだったので。国政から手を引かれたものとばかり」

 続けて、やや笑いを帯びた初老の男の声が。台詞の最初から最後まで、明らかに愚弄目的であることが聞いて取れる。

「“貴公”? 私はぺル・アアを務めた身だ。貴殿と対等以下に認識される覚えは無い」

「これは失礼した。“スメンクカーラー陛下”」

「……とにかく、ツタンカアテン陛下は不承諾の意を示された。戴冠式は遅らせて頂く」

 すげえ。 レイが若干圧され気味だ。何者だ、あのオッサン。

 あたしは、ぴったり閉められた大きな両開きの扉にへばりつき、中の会話に聞き耳を立てながら、オッサンの強敵ぶりに感服する。

 あたしの右側には、ねえや三人が。反対側の扉にあたる左側にはなんと、ツタンカアテンと五人の女豹があたしと同じように、木製の扉に耳をぴたりと貼りつかせている。

 これ、レイに見つかったら、絶対あたしがそそのかしたと勘違いされる構図だよな。

 あたしはアイとレイの会話が終わり次第、速攻で逃げられるよう、扉に貼りついたまま、ふくらはぎのストレッチを始める。

 誓って言うが、レイにしてみればデバガメ行為にあたるこの盗み聞きは、断じてあたしが始めた訳ではない。レイとアイが互いの視線の間で火花を散らし始めた時、その場に居合わせた全員が、謁見の間の横にある小部屋に移動した二人の動向を探ろうと、吸い寄せられるように扉に集まったのだ。

 なにせ、アイと二人で部屋に入り扉を閉めたレイは、傍目でも分るくらい、明らかにブチ切れ寸前だったのだ。あの鋭い目つきとピリピリとした空気は、気分を害した程度ではない。見なかったことにして各々職務に戻れ、という方が無理である。

 大体いつも厳しい態度のレイではあるが、怒りがマックスになることはまず無い。そんなレイをこれほどまでに憤慨させたのは、アイの独断専行だった。


 

始まりは、ほんの半時ほど前に遡る。

 念願の一夜を明かしたばかりのあたしは、繋ごうとする手をつれないダーリンに何度も振り払われながら、登城した。

 そして、まずは長らく留守をしていた詫びをせねば、と少年王に謁見を申しこむ算段をレイと立てていた時に、ツタンカアテンの方からあたし達を迎えに出てきてくれたのである。後ろに美しい女豹達を従えて。

 けれど彼らは、あたしの復活を喜んで迎えに来たわけではなかった。少年王はレイを見るなり、開口一番抗議したのだ。

「何故戴冠式が二週間後なのだ。あまりにも早すぎるではないか」

 と。レイはそこから、ツタンカアテンの姉達からも口々に責めを受けた。唯一、レイと共同統治をしていたメリトアテンだけは、不安げにレイと弟妹たちとのやり取りを見守っていたが。

 興奮している王女らの話からでは詳細が掴めず、レイは何の事か分らない、といった風に狼狽していた。騒ぎを聞きつけてやってきたねえや達が説明してくれたことで、やっと事の次第が判明したのである。

 詳しくは、こうだ。先日、イネブヘジからアイという重鎮が帰還した。そのアイが、二週間後にイネブヘジでツタンカアテンの二度目の戴冠式を行う旨と、その時にアテン唯一信仰の撤廃とアメン信仰の復権。そして、イネブヘジへの遷都を宣言するよう、少年王に進言したのである。

 それを聞いたレイは、絶句していた。しかしすぐに表情を険しくすると、大股で宮中へと向かったのだ。

「アイ大神官はどこです! もう登城しているのでしょう」

最初に見つけた女官らしき人物にアイの居場所を訊ねた。先程、謁見の間の前で見かけた、という女官からの返答の元、足早に謁見の間を目指すレイの後を、あたし達はぞろぞろと付いて行った。

 謁見の間に続く扉は開かれていた。入口を入ってすぐの場所で、初老の男が一人、空の王座を眺めている姿を見つける。その男はあたし達を待ち構えていたようにくるりと振り向くと、食えない笑みを見せた。

 ショ―パブのバイトを通して、社会的地位のあるタヌキおやじらの相手をした経験を持つあたしは、目が全く笑っていないその男の腹黒い微笑みを見るなり、確信した。

あ、こいつはとんでもねえ大狸だ。と。



 ――という経緯での、レイとアイ大神官の衝突なのである。

 どっちの存在感もバケモノじみているので、さしずめ『狐と狸の化かし合い』といったところだろうか。

「ホルエムヘブ将軍も承知の上だ。反対しているのは、レイ。貴殿だけですぞ」

 扉越しに聞こえてくるアイの慇懃無礼は常に、嫌味なほどの余裕と意地悪な笑いを含んでいる。

 何で黙ってるんだよレイ。舌戦は十八番だろ! あんなポンポコ爺、いつもの性根最悪でキレまくったあんたの毒舌使って、再起不能にしてやらんかい!

 焦れったさのあまり、あたしは拳で扉を叩きかける。寸での所でシトレに止められたので、幸い未遂に終わった。

お馬鹿! 

 口パクで叱ってくるシトレに、ペコペコ頭を下げていたら、「これは……」というツタンカアテンの呟きが聞こえる。

「これは、間違いなく裏切り行為だ」 

 どういうことかと訊ねたら、ケメトの内政は現在、アイとホルエムヘブ、そしてレイの三柱で支えられているのだとツタンカアテンは答えた。

「とはいえ、私がぺル・アアに就いてからは、レイの役目は私と、ホルエムヘブやアイをはじめとした重鎮との中継ぎのようなものに変わったのだが」

 その中継ぎを無視して今回、アイとホルエムヘブは国とぺル・アアを動かそうとした。

「つまりレイは、爪はじきに遭っちゃったわけか……」

 考えてみれば元国王なんて、権力を分かち合う相手としては滅茶苦茶やりにくかろう。隙あらばチームから出て行ってもらおうと考えるのは、当然かもしれない。けれどレイ自身、爪はじきを予測できないような頓馬でもないはずだ。混乱期の政局を立て直した人間ならば、この程度の不都合は簡単に防げたはずである。それなのに何故、こんなヘタをこいたのか。

 答えは簡単に出せた。

 もしかしなくても、あたしのせいか?

 あたしがマラリアなんぞにかかって、要らぬ手間をとらせていから、危険察知能力が鈍ったのか?

「ちょっとあなた、喜んでるの? 困ってるの? どっち?」

「え? いやあ、あはは」

 アンケセパアテンに睨まれて、あたしは笑って誤魔化した。周囲が見えなくなるほど気にかけてもらえていた喜びと、とてつもない迷惑をかけてしまった申し訳なさが、全部顔に出ていたらしい。

 また、アイの話し声が聞こえてくる。

「まったく。貴殿には可愛い孫娘までやったというのに。私は期待を裏切られてばかりだ」

 え?

「まご、むすめ?」

 メリトアテンを見ると、彼女はこくりと頷いた。

「アイは母方の祖父です」

 つまりアイは、レイの義祖父。離縁した嫁の爺さんが喧嘩相手なら、そりゃ毒舌も鈍るだろう。納得である。

「そもそも、祖父が孫に意見するのに貴殿の了解を得なければならないというのが、不本意ですな」

「ならば私は、ツタンカアテン陛下や王女殿下の叔父の立場を主張しようか? アクエンアテン陛下からも、ツタンカアテン陛下の後見人として努めるよう仰せつかったのを、忘れてもらっては困る」 

 ああもう。こいつらの家系図ときたら、日本じゃあり得ねえ方向に矢印飛びまくっててワケ分からん!

 あたしは頭を掻きむしった。

「それからアイ神官。メリトアテンとの結婚は儀礼的なもので、退位の際には婚姻関係も解消すると、初めからそういう約束だったはずだ。今更むし返すのは止めて頂きたい」

 レイの苦言が聞こえた途端、メリトアテンが眉を下げて口を結ぶ。彼女が己の気持ちに終止符を打ってから、およそ一月。しかしまだ傷は癒えていないようだ。 

 メリトアテンは、あくまであたしの競争相手だ。彼女とレイの間に血の繋がりが無ければ、彼女は離縁されること無く、今頃レイの子を腕に抱いていたかもしれない。諦めていたの、はあたし。それだけのことである。

 だから、罪悪感を抱くのは間違っている。そう思いながらも、感情移入を止められず、あたしはメリトアテンから視線を逸らした。

「私が記憶している限り、レイは玉座に座ったことがない」

 ツタンカアテンがまた、ぽつりともらす。

「戴冠式は内輪だけで行われ、式を終えると、レイはすぐにワセトへ向かった」

 たまに帰ってきたかと思えば、高官達と会議を行い、休む間もなくまたアケトアテンを出ていく。そんな生活が一年間、ずっと続いたという。スメンクカーラーの在位中は、王や王家の人間が民の前に姿をさらす『臨御の窓』に、ぺル・アアがその姿を見せることは無かったと。

「ぺル・アアは神の子だとされているけれど。スメンクカーラーだけは、人の子として人民の為に力を尽くしたと思う」

 そう言うと少年王は、そのあどけない顔に悲しげな微笑みを浮かべた。

「残念だよ。私などより、彼の方がよほどぺル・アアに相応しいのに」

 後ろにいたアンケセパアテンが、慰めるようにツタンカアテンの肩に手を添える。

あたしの時代で十二歳といえば、まだランドセルを背負っているお年頃だ。こんな風に大人と自分を比べて、圧倒的な力の差に打ちひしがれる必要などはないと、殆どの子供が認識している。

 女豹達やツタンカアテンが、現代に生きる同じ年頃の子供らと比べて大人びているのは、彼らが大人と同じ世界を共有し、自ら考え行動しているからだった。それに比べ、日本でのんべんだらりと学生をしていたあたし。道理で、子供扱いされるわけである。あたしは改めて、自分の能天気ぶりを反省した。

 物思いにふけっていた為に、レイとアイの会話が終わっていたことに気付けなかったのは、大失敗だ。そのせいで、内側に開かれた扉と一緒に、あたしも中へと倒れこむ羽目となる。

「あああああ!」

 色気のない濁音交じりの悲鳴を上げて倒れたのは、あたし一人だけ。他のメンバーは、扉が開かれると同時に逃げ出していた。その様子は正に、蜘蛛の子を散らすが如し。信じられない事に、一番遅れをとるだろうと思っていたツタンカアテンは、アンケセパアテンがお姫様抱っこで先頭を逃げる。

 まじかよ。やるな! 嫁!

 あたしは床に這いつくばりながら、さほど身長差がない少年を抱えて猛スピードで遠ざかってゆく華奢な背中に、逞しい姉さん女房の一面を垣間見る。

 しかし、感動したのも束の間。

「それで、何か言い訳は?」

 とてつもない怒気を孕んだ声が、あたしに絶体絶命の状況を思い出させた。

「うわ~。その台詞、めちゃくちゃ聞き覚えあるわぁ」

 一人デバガメ行為の責めを受ける羽目になったあたしは、仁王も真っ青になるほど憤怒している美男と、腹黒い笑みを浮かべている大狸のバケモノを仰ぎ見て、ごくりと唾を飲みこんだ。

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