第16話 これはデートか武者修行か ~始まり~
「アイスクリームが食べたいなぁ」
あたしはまた、蓮池前の階段に座っていた。いつの間にかこの場所は、暇を潰すあたしの定位置になっていた。
毎度毎度、あちいあちいと思いながら、座り続けてしまうのである。日焼けが目的だった。
ケメトの人達は、殆どが褐色かそれより濃い色の肌をしていた。一方、あたしの肌の色は白い。メラニン色素が上手く働かないのか、元々日に焼けにくいタイプだった。真夏の炎天下で陽射しを浴びても、赤くなるだけですぐに引っ込んでしまうのである。故にあたしは、灼熱のケメトの地でいつまでたっても一人、青っ白いまま周囲から浮いていた。
ねえや達は、あたしが群衆に紛れてもすぐに見つけ出せるから便利だと笑うが、あたしは正直、この国の人達の内側から輝くような小麦色やチョコレート色の肌が羨ましかった。
こうやって座り続けていれば、あたしの中でぐうたらしているメラニンが、働くようになるだろうか。そんな淡い期待を抱いたりもしたけれど、実際は体温が上がる一方で、あたしの肌が色を変える気配はなかった。
特にこの日は、いつも以上に熱い気がした。
「アイス、食べたい」
あたしはまた、同じ独り言を呟いて、ごろりと仰向きに寝そべった。
太陽光を吸収した石灰岩の床が、あたしの背面をジリっと加熱した。熱かったが、起き上がるほどではなかった。
午前中の陽射しが顔面に当たり、まぶしかったので瞼を閉じた。
ケメトには牛もヤギも馬もいる。だからミルクはそこら中にある。砂糖は無いけど蜂蜜がある。塩もある。あとは、氷さえあればアイスクリームは作れる。
「氷はないのかなぁ。この国は」
「あなたはアホですか」
目を閉じたまま三度目の独り言を呟くと、突然上からヤジが降ってきた。
驚いて目を開くと、呆れ顔をしたレイがあたしを見下ろしていた。彼の背中が陽射しを防いでいたので、眩しくはなかった。
それにしても。
指輪め。『馬鹿』でなく『アホ』と小手先を使って翻訳してきたか。こざかしい進化をしおって。
あたしは内心、指輪に向かって舌打ちした。
改めて見てみれば、レイの肌も美しい褐色だった。日々の生活の中で少しずつ太陽の光を溜めた、ムラの無い柔らかな茶色である。
こいつの見た目に欠点というものはないのだろうか。――ああそうか。見た目に欠点が無い分、中身 (人間性)に悪点が偏っているのか。
我ながら、言い得て妙だった。
「氷など、この国でどうやって作るんですか」
性格に欠点を集中させた男は疲れたように言うと、あたしの隣に座った。
暇なのだろうかと思いながら、あたしはレイを横目に見た。
「もしそんなものがあったら、真っ先に陛下に召しあがって頂いていますよ。本当に、あれは熱さましには最適なのですが」
そう言ったレイの方が、あたしより氷を作れない事を残念に思っているようだった。
少年王はまた伏せっているのか。
聞いたあたしにレイは、ツタンカーテンは生まれつき体が弱く、体調を崩しやすいのだと憂いた。
「近親婚ばっかしてるからだよ」
「なに?」
この国に来てから何度も驚かされていたのが、近親相姦だった。それをぽろりと口にしてしまったあたしに、レイはしかめ面で振り向いて聞き返してきた。
しくじった。他国の文化を否定するのは流石にヤバかったか。
あたしは焦った。前言撤回は無理だが、ここは謝って聞き流してもらおうと思った。しかし、レイの強い眼差しが、『言い逃れは許さん』と退路を断った。
あたしはなるべく相手の尊厳を傷つけないよう、言葉を選んで説明することにした。
「だからね、血が濃くなると先天的な病気を持った子が生まれやすいんだよ、ね。私の国じゃ、結婚していいのはイトコまでって法律で決められてるくらいなんですよ、ね」
「それを詳しく説明してください!」
レイはぐいと身を乗り出し、詳細を求めてきた。
あれ? 気を悪くした訳じゃなかった?
あたしは戸惑いながら説明を続けた。
「だからその、ね。遺伝子に問題が出てくるんだよ」
「遺伝子となんです」
更にレイが身を乗り出してきた。
何がどうしてそんなに知りたんだ。
異常なほどの食い付きぶりを不審に思いながら、あたしは必死に頭の中にある極少の知識を探った。
「に、人間のぉ、情報、みたいな?」
こういう、目に見えないウニョウニョってやつがあってね、と私はどっかのテレビか雑誌か教科書で見た遺伝子の形を、両手を蛇のように交差させながら解説した。
不明瞭な解説を聞くやいなや、レイはあからさまにがっかりした様子で肩を落とした。あたしから身を引き、ついでには大きすぎるため息まで吐いてくれた。
「全然駄目ですね。そんな浅はかな知識では、誰一人納得させられない」
あさはっ――!古代人が偉そうに言ってくれるじゃないの。
あたしは顔面筋が盛大に引きつるのを感じた。
「遅れてるのはそっちでしょうが」
「確かに未来の知識量は我々の国のそれをはるかに凌ぐようですが。掘り下げて学ぼうとする意欲が無ければ、あなたのように浅っっさい見識で御託を並べる文明人気取りを量産するだけです」
そこまでいうか! しかも何気に『浅い』を強調してるし!
あたしは口を大きく開いて戦慄いた。
「うちの国では、高卒まで『広く浅く』がモットーなんじゃい!」
掌で床をばしんと叩いてレイを睨みつけた。
レイは暫くあたしと睨み合っていたが、ふと視線を外すと、「そうですか」と折れた。
あたしは拍子抜けした。
レイがあたしの言い分を認めるなど、未だかつてなかった事である。
いつものレイならば、ここから二重三重に毒舌攻撃を繰り出す。それであたしをめった打ちにした後は、『今日はこれくらいにしといてやる』とばかりに立ち去るのに。
しかしその日、レイは毒を吐かず、かといって立ち去る事もなく、あたしの隣に座り続けた。
やっぱり暇なんだろうか。
あたしのオメデタイ頭は、これくらいしか思考を膨らませられなかった。
「あなたの代わりに、私がそのニホンとやらに行きたいですよ」
庭を眺めながら、レイがぽつりと言った。
それができれば、ツタンカーテンの病を治す方法も、自分が知りたい多くの事も容易に手に入るであろうに。
レイはそう続けた。
あたしはやっと、レイが自分の無力に悩み、今の状況を打開したいと切望しているのだと理解した。暇だからあたしとくっちゃべっていたわけではなかったのである。
あたしのように、恵まれた環境に胡坐をかいて、のんべんだらりと歌っているキリギリスよりは、人の為に更なる知識とスキルアップを求めて生きているレイの方が、現代の日本には相応しいのかもしれない。悔しくもそう思った。
しかし、だからと言ってレイがあたしの代わりに現代の日本に行くというのは、実現不可能な話である。
「なら、生まれ変わり、って方法もあるんじゃない?」
代替え案には遠く及ばないが、あたしはレイに一つの可能性を示唆した。いや、可能性、と呼ぶにも値しない。慰め程度の発想だったが。
『生まれ変わり』とは何か、レイは聞いてきた。
あたしは、この世の生き物が与えられた一生分を終えて魂が自由になった時に、別の生き物にまた生まれる事を『生まれ変わり』と呼ぶと説明した。
「魂のリサイクルだよ。それを繰り返して、レイが辿り着きたい未来にどんどん進んでいく、っていう方法ね」
実際、本当に魂をリサイクルできるかどうかは、未知の領域だったが。
ちょっと投げやりが過ぎたかなと頭をかいたあたしに、そんな思想はケメトには無い、とレイは言った。
ケメトの人間は死ぬと、イアル野という天国のような場所で、生前と変わらない人生を送ると信じられていたのである。
国や時代が変われば、死生観も様々だった。
「なるほどねぇ。あの世に行ってもずっとレイのままなんじゃ、生まれ変わりは無理かなぁ」
あたしがお伽話程度のノリでヘラヘラ笑っていた一方、レイは真面目に他国の死生観に向き合っていた。
「ケメトの思想では無理でしょう。けれど、もし本当にそんな事が実現できるのであれば……」
暫く考えた後、ぽつりと言った。
「未来に帰ったあなたに会う事も、あるかもしれませんね」
あたしは信じられない思いでレイを見つめた。
レイの中であたしは最近やっと、不快害虫から害獣扱いに昇格した程度だった。それが、まさかのお友達扱いに数段飛ばしで昇格させて下さるとは。
「未来で探してくれるってこと?」
「そんな無駄な事に時間と労力を使う気はありません」
ドキドキしながらの問いかけを、レイは中庭に向いたまま、いつもの冷え切った返事でバッサリ斬った。
やはり害獣などは眼中になかったらしい。あたしは意気消沈した。
しかしレイは、続けてこう言ったのである。
「あなたの運命の近くに生まれ変われば済む話でしょう」
いぃやぁ~っっっ!
あたしは心の内で歓喜の雄たけびを上げた。
大罪級の不意打ちドッキリに、乙女の純情は爆上がりだった。
目の前の女を落としてやろうとか、カッコつけようとか、そういった下心を全く感じさせない自然で穏やかな表情が、余計に罪つくりである。
あたしは感動のあまり、思わずレイに飛びつきかけた。
実際飛びつかなかったのは、寸での所で意識下に躍り出てきてくれた理性が、死亡必至の行動を止めさせたからだった。
ああああ危なかった~! ここでガバチョと抱きつこうもんなら悪意まみれの毒舌を置き土産にサイナラされるとこやった~!
挙動不審なあたしを訝しげに見て来るレイの隣で、あたしは異常な速さで拍動する心臓を両手で押さえながら、己のファインプレーを褒めた。
「で、でも、指輪からの解放が怖い気持ちも、ちょっとあるんだよね」
まだ強い拍動を続ける心臓を擦って宥めながら言ったあたしに、レイは「というと?」と眉を寄せた。
「もしかして、あのラムネは日本に帰ってるんじゃなくて、時空のひずみみたいなところで彷徨ってるだけ? なんて考えちゃって」
指輪に宿った無念を晴らせば日本に帰れるという仮説を打ちたてたものの、本当の所は、持ち物が消えた、という事実があるだけだった。ラムネ容器とその中身がきちんと日本に帰っているのか、確証は持てなかったのである。
レイは「なるほど」と一旦考えはしたものの、すぐにさっぱりとした様子で結論を述べた。
「まあ、貴方が消えてしまってからの事は、私も感知できません。お元気で」
「あたし最後尾だからね! スマホとかハンカチとか、まだ前にいっぱいいるからね!」
やはりレイはレイだった。
あたしがある日突然消えても、こいつは心配にならないのだろうか。寂しくないのだろうか。
あたしは自分が消えた時の、この男の反応を想像してみた。
屁でもねえわな、絶対。
平然としている姿しか思い浮かばなかった。
「あらぁお二人さん。仲良くお喋りぃ?」
いつもの間延びした口調が聞こえたので振り向くと、ねえや達が廊下を歩いて来た。
シトレはあたしの前に立つと、目の前に赤い石のペンダントトップがついた首飾りを垂らして見せた。
どうせ今日は楽器の調整で広場へ行く予定は無いから、これでツルペタボディに合う服を買ってこい、と言う。
「レイ。私達まだ楽器の調整終わってないから、暇なら一緒に行ってあげてよ」
「暇ではありません」
シトレからの頼みを、レイはすかさず断った。
「いつもに比べて、暇があるなら!」
シトレが腰に手を当てて、面倒くさそうに言い直した。
「一日くらいいいじゃん。帰る前に一回デートしてやってよ」
「そうよぉ。帰る前の思い出作りよぉ」
「マキノは帰るまで時間がかかりそうだし、サイズの合わない服を着続けるのもよくないでしょう?」
どいつもこいつも、帰る帰る連発しやがって!
ねえや達に悪気は無いのだろうが、あたしは寂しさのあまり泣きたくなった。
ふて寝してやりたい気分だったが、レイが渋々承諾したので、街に行く以外になくなった。
「分った。行って来る」
交換用のネックレスをくれ、とあたしはシトレに掌を出した。
当然、赤い石のネックレスがあたしの掌に乗るものだと思っていた。しかし、シトレはネックレスをあたしの目の前に垂らしたまま、口をすぼめて何やら思案しはじめた。
そして、「やっぱりだーめ」とネックレスを自分の掌の中に回収したのである。
え、なんで? あたし一文なしなんですけど?
「レイにおごってもらえと?」
「やあね。こいつが払ってくれるわけないでしょ。びた一文」
シトレはにやりと笑うと、「マキノはネックレスよりも価値のある物をもってるじゃないの」と指先で喉をトントンと叩いて見せてきた。
歌手なら歌ってもぎ取って来い、という意味である。
「ついでにあんたの実力を見せつけて、その口うるさい男の鼻を明かしてやりなさいな」
豊かな胸の下で腕を組んだシトレは、高飛車にレイを見下ろした。
姉さん、そんな殺生な。デートどころか、どんな武者修行やねん。
あたしは心底行きたくなくなった。
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