第15話 失意の巫女

 いたいいたいいたいいたい!

 容赦なく引っぱられている左耳の痛みに耐えながら、あたしは松明に照らされた廊下を進んでいる。進んでいるというよりは、連行されている、と表現した方が正しいだろう。

 ケメト軍を統括するホルエムヘブ総司令官の邸宅は、北の離宮ほどでないしろ、かなりの広さを誇る。一般庶民のあばら家を五つ六つ繋げても、まだ余るほどの敷地面積だ。そこをあたしは、屋敷の最南にある宴会場から、最北の離れにある楽師控室まで、左耳を引っぱられながら移動している。

 あたしの耳を引きちぎらんばかりに捻って早足で歩いているのは誰かというと、そんなヤツ一人しかいない。レイである。

 ホルエムヘブの奥方であり、女豹達の母方の叔母でもあるムトノジメットが、あたし達楽師の噂を聞きつけ、レイを介して宴会の余興を依頼してきたのは一昨日のこと。

 あたし達は太客ゲットのチャンスを逃すまいと、入念な準備のもと、大貴族様の宴会に臨んだ。誤算だったのはただ一つ。レイが様子を見に来たことである。

「あたし真面目にやりました!」

「しでかした、の間違いです」

 絶対零度の声が、あたしの訴えに訂正を入れた。

 控室に到着する。レイはそこにあたしを放り込むと壁際に追いこみ、壁と両腕の間にあたしを挟んだ。

 牧野蜜、人生初の壁ドンを、まさかの古代エジプトで体験である。しかし、その目的は悲しきかな、チューでもハグでもないのだ。

「まっっっっっっっ――たく、あなたという人は!」

「そんなに溜めなくても。とんでもなく怒ってることはお顔を一目見たら分りますので」

 いくら顔を背けても、あり得ないほどドスの効いた声が、べらぼうな怒りを伝えて来るのだから恐ろしい。

「あなたは『程々』という言葉を知らないんですか!」

「知っておりますわよ、勿論。『程々』くらい」

「意味はちゃんと理解しているんですか? 適当に反復しているだけでは?」

 こいつ、私が九官鳥か何かだと思ってるんだろうか。

 あまりの言われように、あたしは背けていた顔を戻してレイと睨み合った。――睨み合ったのだが、美しい御尊顔のアップに怒りが吹き飛び、頬が緩みかける。

「レイ落ち着いて! 宴会は無事に終わったんだからそれでいいじゃないか!」

「そうよぅ。貴方が思ってるより、喜んでもらえたのよぉ」

「最後の一曲はちょっと悪乗りが過ぎたとは思うけど。でも可愛いものじゃない」

 曲が終わるなり問答無用でレイに連行されたあたしを追いかけて来たねえや達が、各々の楽器を手に息を切らしながら、三者三様の言い分で庇ってくれる。

 シトレが言った通り、最後の曲でノリに乗って、招待客のネックレスを取り上げて振り回したのは、反省すべき所業だとあたしも認めよう。

 しかし、とにもかくにも、である。

「『終わりよければすべてよし』!」

 あたしは親指を立てて言いきった。以前、茶会の仕事でレイが使った諺を引用して。

「いつも事をややこしくする己の所業を棚に上げて第三者面はやめてください」

 レイが間髪いれず一呼吸で言い返す。

 こりゃ駄目だ。格が違う。

 あたしは負けを認めた。しかもレイの指摘は身に覚えがあり過ぎるだけに、ぐうの音も出ない。

「素直じゃないわねぇ」

 ティイが意地悪そうにレイを笑う。

「レイはぁ、マキノが心配なんでしょぉ?」

 え、そうなの?

 あたしは目を輝かせて目の前の毒舌美男を仰ぎ見たが、残念ながら彼の瞳は真冬のティベリアス湖みたいに冷たく静かだった。若いくせに酸いも甘いも知り尽くした老人の如く落ち着いたその表情からは、恥じらいや動揺は、微塵も感じられない。人間を超越して、半眼の観音立像と似たものすら感じる。

 ティイの見立てが間違いであることを察して、あたしは肩を落とした。

「この人個人に関心はありません。この人のせいでケメトの民度が低下するのが心配なんです」

「みんど!」

 ショックのあまり、声が裏返える。

 レイてめえ、日本人相手によくも言ってくれたな!

「日本人の入国許可証パスポートは世界最強なんです! 民度が高いから!」

「そうですか。では、あなたがいなくなって更に強度が増した事でしょう」

「むっ――」

「『むかつく』」

 レイが機先を制してあたしの台詞を取り上げてから、壁ドンを解く。あまりの敗北感に我慢ならなくなったあたしは、壁を拳で殴りまくった。

「大丈夫よ、マキノ。この人はね、なんのかんの言いながら、あんたの事をちゃんと気にかけてるから」

 シトレがニヤニヤしながら言った。

 どういうことかと訊くと、レイはあたしの指輪のことを知ってから、『ネフェル・シュマト』が何者なのかをずっと調べてくれていたのだと、シトレは教えてくれた。

 指輪の呪力でタイムトラベルをしたのならば、この時代にやってきたのも偶然ではないはず。そう考えたレイは、ワセトやイネブヘジをはじめとした大都市に加え、その他の地方都市にも使者を送って、歌に関係した『ネフェル・シュマト』という人物について調査を依頼したらしい。

「え、本当に?」 

 目を瞬いたあたしにレイは頷くと、今日はそのことで、ここまで来たのだ、と告げた。そして、こう続けたのである。

「ネフェル・シュマトの正体が分ったんですよ」



 ホルエムヘブの邸宅を後にして、レイの診療所に移動したあたし達は、またあの暗い診察室に通された。呪いの指輪を議題とするだけに、怪談でも始まりそうな雰囲気だ。

 あたしは、今ここで話せばいい、とホルエムヘブ邸の控室で主張したのだが、いつかの時のようにどこで誰が聞いているか分らないので、とレイがチクリと刺してきたので、従う他なかった。

 必要最低限のランプの灯りに照らされる診察室の中。あたしの左中指にはまっている指輪は、自分の存在を主張するかのように不気味に輝いている。気持ち悪さのあまり外してしまいたくなったが、外すとレイの話が分らなくなるので、ぐっと堪えた。

「ネフェル・シュマトに該当する人物の記録を一名見つけたと、先程ワセトから報告が届きました」

 帯の間から手紙らしきものを取り出したレイが、それを広げて読み上げる。

「持ち主は、地方のイシス神殿に楽士として仕えていた巫女の一人です。非情に希有な、美しい歌声の持ち主だったそうです」

 彼女の歌声の評判は地方だけにとどまらず、当時の首都であったワセトまで轟いたという。その噂はぺル・アアであるアメンホテプ三世の耳にまで届き、彼女は王宮に招かれた。

「あら。それじゃあ、随分前の話になるんじゃないの」

 シトレが唇を尖らせる。

 アメンホテプ三世とは、アケトアテンに遷都を行ったアクエンアテン王の父親だ。ゆえに、その巫女は少なくとも二十年以上前の人物ということになる。あたしにそう説明したシトレは、「これは生きてるかどうかすら怪しいわね」と胸の下で腕を組んだ。

「続けますよ」

 レイが再び、手紙を読みはじめる。

「彼女の歌声をいたく気に入ったアメンホテプ陛下は、褒美として金の指輪を贈りました。その指輪には、『ネフェル・シュマト』と刻印されていたそうです」

「まさにこの指輪だな」

 ヘンティがあたしの左中指を一瞥する。

「良い話じゃないか。王様に認められたんだから、大出世だよ」

 両手を広げて言ったヘンティに、レイが首を横に振った。それが、そうでもなかったのだ、と。

「アメンホテプ陛下は、彼女にしばし、ワセトでの逗留を求めました。彼女はそれに応えた。しかし、予定していた逗留期間が終わりを迎える頃、陛下は彼女に命じたそうです。『これからは側室として私に仕えろ』と」

「好色な方だった、って話だものねぇ」

 ティイが頬に指先を添え、ため息をつく。

「それで? その巫女さんは側室になったの?」

 シトレからの問いに、レイはまた首を横に振った。彼女は断りました、と。

「巫女であり続けたい。自分は神殿と市民にこの声を捧げたいのだと、彼女は陛下に許しを請いました」

 そして、激昂したアメンホテプ三世に、ならば指輪を返せと腕を斬り落とされた。

「きりおとされたっ?」

 大声でリピートしたあたしに、レイは頷いた。

「私が知るアメンホテプ陛下は、基本的には穏やかな方だった。だから私もこの手紙を読んで驚きました。ただ晩年は色々と病に侵されておられた上に、御子息であらせられたアクエンアテン陛下の宗教改革も始まり、精神的に不安定だったのかもしれません」

 メンタルがやられていたからって、人の腕を切り落とす暴挙が許されるわけではあるまい。

 あたしはその王様に怒りと嫌悪を覚えたが、ねえや達は違うようだった。その巫女に同情する気持ちはあっても、腕を斬り落とした暴君に憤りを覚えている様子はみられない。その証拠に

「運が悪かったのね……」

 という悲しい呟きが、シトレの口からもれる。

 これだから独裁国家はよ!

 民主主義国家の人間としては、理解に苦しむ反応だ。もっと自分を大事にして権利を主張しろよ、と思う。

「それで、彼女は泣き寝入りしたってこと? 今どこで何してるの?」

 訊ねると、腕を斬られた傷が原因で死んだとレイは答えた。斬り取られた腕は、彼女が務めていた神殿に送りつけられ埋められたとも、ナイル川に捨てられたとも言われていると。

 うわ、えぐっ!

 主を失った腕が神殿の地下に眠っていたり、ナイルワニに食べられるシーンを想像してしまい、身震いが起こる。

「じゃあこの指輪は、持ち主の所へ帰りたがってる、ってことなのぉ?」

 シトレが首を傾げる。

「多分……違う、でしょう」

 考えるように口元に手を当てたレイが、ゆっくりと答えた。

「彼女は死ぬ間際、こう言ったそうです。『私はもっと人々の為に歌いたかった』と」

 もっと歌いたかった。

 歌へのとてつもない執念を示すその言葉が、あたしの胸にずしりと乗っかる。

「ここからは、私の勝手な想像ですが」

 そう前置きしてから、レイは自分の見解を話しだす。

「その指輪に巫女の念が宿っているのだとしたら、おそらく、ずっと待っていたのだと思います。再びこのケメトで歌わせるに足る人物との出会いを。そうして何千年の後、巫女の無念を晴らせるだけの力を持つ人間、つまりマキノを見つけた。だから指輪は、ここにあなたを連れて来たのでしょう」

 あたしはレイとねえや達に見つめられながら、銀子と食器を拭いていた時に、博物館の展示品が盗難に遭ったというニュースがテレビから流れていたことを思い出していた。

 ならば、歩道橋でぶつかった人物は窃盗犯だ。壊れた鞄から飛び出て来た沢山の黄金は、盗んだ展示品。この指輪は、展示品の一つだったのかもしれない。

 目の前に飛んできたからって、なんで掴んじゃったかなぁ~。

 あたしはうな垂れた。

「じゃあ、この指輪が満足しない限り、マキノは帰れないってわけ?」

 ヘンティが出した仮設に、レイが「私の仮説が正しければ」と頷く。

 多分正解だ。これで、ラムネの中身に続き容器まで消えた現象の説明がつく。

 あたしはレイとねえや達に、持ち物がだんだん消えていっている事実を伝えると、こう結論付けた。

 あたしが歌えば歌うほど、日本から持ってきたものが返還される。最後は多分、あたし自身だと。

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