第13話 幻のヌスウェト

 メリトアテンとレイは、連れ立って茶会の部屋を出た。


 あたし達がどうしたかというと、勿論、後をつけたのである。

 マヌとティイはケーキが乗ったトレーを抱え、つまみ食いしながら尾行の最後尾を付いてきた。


 逞しいレイの背中と、しなやかなメリトアテンの背中が並んでいる様は、なんというか非情にーー非情〜に、ある種通じ合っているものを感じ、あたしの心を乱した。


「レイの態度を見る限り、どう頑張ってもマキノは望みなしなんだから。あんまり執着しちゃ駄目だよ」


 難しい顔で尾行するあたしに、野次馬根性でついてきたヘンティが言った。


 それはそうなのだが。分っているつもりなのだが。


「他人のモノになるかもしれないと思うと、なんかこう、放っておけないというか邪魔したくなるというか」


「あなたレイの人生をなんだと思ってんのよ」


 遅れを取っているティイとマヌを手招きしていたシトレが、あたしの隣で呆れた。


「なあもう戻ろうぜ。尾行してるなんて知られたら、俺、先生に破門されちゃうよ」


 マヌがケーキをむしゃむしゃ食べながら、あたしの服を引っ張った。

 ねえや達から借りているワンピースは胸回りが広く、うっかりするとずれ落ちそうになる。胸元が開きかけ、あたしはマヌの手をぴしゃりと叩いた。

 もういい加減、自分の服を買わねば、と考えた。


「あ、部屋に入ったわ。いきましょぉ」


 ティイが、ケーキの乗ったトレーを持ったまま、中腰で前進した。

 スクワットをキープしているようなキツイ体勢であるにもかかわらず、その足並みは驚くほど速かった。


 あたし達は後れを取らないようにティイを追いかけた。


 ティイは忍びのように素早い動きでレイとメリトアテンが入って行った出入り口の前を横切ると、壁にぴたりと背中をくっつけた。

 『早く!』とこちらに向かって、口を大きく動かしてきた。


 ケーキを飲み込んだマヌが、それに応じて床に這いつくばり、ゴキブリみたいな動作でティイの傍に行った。

 嫌がりながら、なんのかんのマヌは行動的だった。


 あたしを含めた残り三人は、出入り口を横切る事無く、ティイとマヌの反対側の壁に身を寄せた。


 五人で出入り口を挟みながら、中の会話に精いっぱい耳をそばだてた。


「やはり、トゥトゥはメンフィスで再度戴冠式を行うのですね」


「その予定です」


 メリトアテンの声が聞こえ、レイの肯定がそれに続いた。


「遷都の勅令はいつ?」


「間もなくでしょう。アイが戴冠式の準備をしております。メンフィスの受け入れ態勢が整い次第、陛下にもお伝えするつもりです。テーベにも再度、伝令を送らねば」


 予想に反して、なんだか難しい話をしているな。と思っていたら、シトレがぼそりと呟いた。


「噂は本当だったのね」


 噂とは? 


 あたしが聞くとシトレは、近々首都がメンフィスという古都に移り、それに伴い信仰している神様も、今の唯一アテン神から従来の多神教に戻るのだと教えてくれた。

 テーベはアケトアテンの前の首都である。


「私達が小さい頃の話なんだけどね。大きな宗教改革が、ケメトであったのよ。その時に、都もここに移ったの。アクエンアテン陛下の治世下でね」


 ケメトは長らく多神教国家で、アメンという神が国家神として祀られていたが、アクエンアテンはアテンという神を新たな国家神として祀り上げた。その上アテンを唯一神とし、他の土着の神を否定したのだという。

 あまりに性急で強引な改革故に、国は混乱した。実際、改革二十年近くたった今でも、アテン信仰についていけているのは、王族と貴族だけ。平民は昔と同じように、土着神を信仰し、その恩恵に与かっているのだ、とシトレはあたしに説明してくれた。


 あたしはレイと初めて会話した時の事を思い出した。『音楽の神は唯一神に隠されている』という内容を、その時のレイは呟いていたのである。


「考えてみたら、こんな突貫工事みたいな宗教改革、よくもったほうよね。流石にアクエンアテン陛下が亡くなって、アテン信仰も維持できなくなってきてるみたいだけど」


 ここ四、五年は特に落ち着かず、ヌスウェトの入れ替わりが激しかったのだという。


 へえ~、と感心しながらお国事情の講釈を聞いていると、また、メリトアテンの声が聞こえて来た。


「遷都を終えたら、あなたはどうなさるの? 一緒に来て下さるのでしょ?」


「私は暫くここに残り、アケトアテンとアテン神殿の後処理に従事するつもりです」


 レイが答えた。


 まあ、神官だもんね。そりゃそうか。とヘンティがあたしの後ろで納得していた。


 しかし、メリトアテンはレイの身の振り方に異議を唱えた。


「いいえ! どうか、あなたは弟の傍にいてください。 トゥトゥにはこれからもあなたが頼りです。そして勿論、私にも、貴方が必要です」


 およ、とあたし達は顔を見合わせた。


 なんだか、会話の内容が別の方向に向かいつつあるような臭いがした。


「トゥトゥはまだ幼いわ。それに、身体も弱い。あなたが承諾してくださるのなら、あなたの再即位も、あの子は躊躇わないでしょう。いいえ。きっと喜んで受け入れるわ」


 即位?


 あたし達は首を傾げた。


「スメンクカーラーの葬儀はもう終えました。私はただの医師として神官として、これからも皆様にお仕えするつもりです」


「スッ――!」


 シトレが大声を出しかけたので、あたしとヘンティが慌てて口を塞いだ。


「そんな事仰らないで。どうか――旦那様!」


「だっ――!」


 今度はあたしが大声を出しかけて、ねえや二人に潰された。


 シー! とティイとマヌが出入り口の反対側から口に人差し指をあてて、注意をしてきた。


 まさかレイが既婚者だったとは驚きだった。しかも、相手は王女である。


 驚きとショックで、頭がガンガンした。


「これはまた大変な事を聞いたわね」


 シトレも大層困惑していた。けれど、シトレが困っている原因は、あたしとは別のところにあった。


「アクエンアテン陛下が崩御される直前に、たった一年ほどヌスウェトになった人がいたのよ。スメンクカーラーって方ね」


 説明しながら、シトレは小刻みに手を震わせていた。


「メリトアテン様と結婚して、ヌスウェトの地位を得たんだけど、お披露目する間もなくお亡くなりになったって噂では聞いてるわ」


 スメンクカーラーが崩御した故に、次は長女であるメリトアテンが、ツタンカーテンにヌスウェトの座が渡るまで中継ぎとして、王座にいたのだという。あくまで公的に、であるが。


「まさかその短命の王様が、レイだったんてね」


 どうしよう。とんでもない事聞いちゃった。バレたら殺されちゃうかも。


 シトレは震える手で口を押さえると、亀のように蹲り、動かなくなった。


 盗み聞きがバレようがバレまいが、あたしは精神的打撃で今にも心臓が止まりそうだった。


「まあタダモノじゃない雰囲気は、びしびし伝わってきてたけどさ」


 困った客に対していつも威圧係を担当しているヘンティは、流石肝が座っているだけあって、シトレよりも余裕があった。


「死んだ風に偽装したって事? なんで?」


 シトレが動作不能になったので、あたしはヘンティに訊ねた。


「分かんないけど、何か事情があるんだろ。死体なんて、その辺で適当に連れてきたら簡単にカモフラージュ出来るし。簡単だよ」


 それよりも、早くずらかろう。


 ヘンティがシトレの腕を掴み、出入り口の前から退散しようとした。

 その時、また声が聞こえて来た。今度は、レイである。


「私はもう、夫ではありませんよ。あなたはまだ十分にお若い。どうか、次の伴侶を見つけて下さい」


 バツイチー!


 あたしは心の中で叫んだ。無意識に両拳を握っていたので、歓喜の叫びだと自覚した。


「私にとって、あなた以上の夫はおりません!」


 メリトアテンが声を荒げた。


「アメン信仰の復権が叶ったら、また私と結婚して下さいませんか。今度は儀礼的なものでなく、きちんとした夫婦として」


 おお~っ。と反対側のティイとマヌが揃って声を上げた。この二人は気が合うらしい。


「何故今になってそのような事を」


「歌うたいの歌を聞いて気付いたのです。王女の私だって、自分の気持ちに正直に生きるべきだと」


 レイのため息が聞こえた。


 やべえ。後でどつかれる。どつかれなくても毒舌でめった打ちにされる。


 あたしは冷や汗を流した。


「陛下に玉座をお渡しした以上、私はもう、王族の列に並ぶ気はありません。お許しください」


 レイの返事は残酷だった。


 『許してくれ』は『無理です』よりも絶対的な拒絶感を相手に与える。心をえぐる。対等ですら無い。


「わかりました」


 メリトアテンの震える声が聞こえた。続いて、足音が。


 あ、やばいこっちに来る。


 ピンチに気付いて腰を浮かした時には、メリトアテンは出入り口から姿を現していた。


 戸口の左右に張り付いているあたし達は、当然見つかった。


 盗み聞きを咎められ、罵られるかと思ったが、メリトアテンは泣き笑いのような表情を作ると、あたしにこう言った。


「自分の心に正直になって頑張ったけれど、駄目だったわ」


 そして彼女は、小走りで立ち去った。黒目がちの大きな瞳は涙で滲んでいた。


 私はとてつもない罪悪感に襲われた。これは、放っておいてはいかんやつだと確信した。追いかけねば、と。


 その時、後ろでまた人の気配がした。


「それで? 何か言い訳は?」


 頭上から、心臓を瞬時に凍らせるような刺々しい声が降ってきた。


 あたしはその場から脱兎のごとく逃げ出し――いや。逃げたのではなく、メリトアテンの後を追った。

 けして、レイの仕置きに怯えたからではない。そう。あたしはメリトアテンが心配で、追いかけたのだ。猛ダッシュで。


 例えその後、戻ってきたあたしを、ねえや達とマヌが『裏切り者』と非難したとしても、断じて逃げてない。


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