第12話 王女達への内省

 見舞いの帰り際、ツタンカアテンは枕元の花瓶に活けられた花束の中から紫色の水連を一本抜き取り、あたしにくれた。歌の礼だ、と微笑んで。

「今私にできるのは、これくらいだ。許せ」

 あたしは不覚にも妻帯者相手に、キュンとしてしまった。

 ねえや達の部屋に戻る道すがら、ツタンカアテンが口にしていたマヤという人物は誰か、あたしはレイに訊ねた。

 ツタンカーテンの乳母だ、とレイは答えた。母親は? という質問には、産後すぐに亡くなった、と。なら、そのマヤという乳母は今どうしているのかと訊くと、彼女も既に墓の中だという。

 つまり彼に残る身内らしい身内は、五人の異母姉だけということだ。

「えっと……。あたしに出来ることがあれば、何でもするので」

 あたしは歯切れ悪く言ってから、レイからふいと視線をそらした。少年とはいえ、国王である彼に同情を寄せている事をレイが知れば、気を悪くするかもしれないと懸念したからだ。けれどそれは杞憂だった。レイは意外にも、「ありがとうございます」と感謝の言葉をくれたのだ。

「先ほどのように求めに応じて歌って下されば、それで十分です」

 しかも信じられないことに次の言葉で、良い歌だった、と褒めてくれたのである。極めつけに、笑顔までくれた。

 初めて、あたしにだけに向けられた、あたしの為だけのレイの笑顔。その美しさたるや、微笑み一つで世界征服を目論めるほどの破壊力だ。

 はぁ~っ! この顔面犯罪者がひとの気ぃも知らんと!

 あたしは両手で顔を覆って嘆いた。

「どうせまた期待さすだけさいといて一気にどん底に突き落とすんやろ! 乙女の純情もて遊んでばっかおるとな! そのうち痛い目みるんやからな!」

「あなたの雄叫びは本当に毎度毎度、意味不明です」

 悲しい事に、レイの笑顔は二秒と持たなかった。あたしのせいだという自覚はある。

 普段からもっと笑えばいいのに、とあたしが残念がると、レイは、実にくだらないとばかりに目を眇めた。

「あなたのように、四六時中やたらめったら馬鹿の一つ覚えの如く、安い笑顔を振りまいている人種とは違うんですよ。私は」

 台詞の真ん中にそこまで悪意を入れる必要ある?

 甚だ疑問である。

「あたしのお国にはね、『笑顔に勝る化粧なし』って諺があるんすよ」

「安価な笑顔が好まれるお国柄であるのなら、それで結構」

 こいつの毒舌にかかれば、日本国民の美徳も欠点に早変わりするんだな。

 異文化交流の難しさに疲れて、思わず呆れ笑いがもれる。

「そうやってふざけてばかりいると、茶会で失敗しますよ」

 藪から棒に、レイが忠告してきた。先程ツタンカーテンから依頼された、五人の姉の為に歌うという仕事のことを言っているのは分った。

「あの可愛い王様のお姉さんなら、同じように優しいんだろうし、大丈夫でしょ?」

 あたしの余裕っぷりを見たレイが、実におめでたい、と言わんばかりに鼻で笑う。

「あなたに突っかかっていた女性。あれが陛下の奥方のアンケセパアテン王妃ですが?」

 ああ。初対面でいきなり殺人予告をしてきた、あの女豹か。

「マジかぁ……」

 女豹姫の高飛車ぶりを思い出して、胃のあたりが重くなる。

「王妃は十六歳。上にはもう一人姉がいます。二人とも既に出産経験がある。下の三人も容易い相手ではありません。吊るし上げられないよう、準備を怠らない事をお勧めします」

「あの子、もう父親なの!」

 あたしが叫ぶと、レイは首を横に振った。

「お二人がお産みになったのは、先王アクエンアテン陛下の御子です。彼女達のお父上ですよ」

 うそやん。

 驚きのあまり、歩みが止まる。

 ケメト、恐るべし。古代人との異文化交流は、あたしの常識をことごとく覆してしまうほどに強烈だった。



 でっかい女豹が一匹、メリトアテン。中くらいの女豹が一匹、アンケセパアテン。ちっさい女豹が三匹、ネフェルネフェルアテン、セテンペレス、タシェルトシェリタト。

 茶会と聞いていたので、あたしは小説や漫画に出て来るような、西洋の貴族令嬢がテーブルを囲んで、うふふ、オホホと小指をたてながら紅茶をすすっている様を想像していた。

 とんでもない誤算だ。古代エジプトの茶会は、こうである。

 磨き上げられた褐色の肌に、生地が薄すぎてもはや服の機能を成していないドレスをまとった美女たち。彼女らが気だるげにその肢体を落ち着かせているのは、椅子でもテーブルでもなく、絨毯とクッションの上。そこにゆったりと寝そべり、思い思いに菓子をつまみながら、水たばこを嗜む。それが、古代エジプト王宮の茶会なのである。

 ティイ姉さんのお色気が控えめに思えてしまうその光景は、女が見ても鼻血が出そうなほどに妖艶だ。

「この子がトゥトお気に入りの楽士?」

「そうなの。男の子の友達が欲しいなら、そう言えばいいのにね」

 日光を遮断した薄暗い部屋で、怠惰にふける美しい経産婦様二人が、歌っているあたしの前で意地悪な笑い声を上げる。

 るっせえ。人種が違うんだから凹凸が少ないのは仕方ねえだろ。ていうか、だべってないで聞けよ! 音楽を!

 長女が二十歳と聞いていたので、あたし達は、あのアメリカアニメ映画業界を牛耳る会社の映画音楽を中心に準備していた。

 時代に合わせたプリンセス像を次々と生み出す手腕と、聞く者の耳を虜にする楽曲センスは偉大だ。ゆえにきっと、古代エジプトのお姫様にも気に入ってもらえるであろう。五人のお姫様それぞれに合うプリンセスソングが、一つくらいはヒットするであろう。そう考えていのだがしかし、甘かった。

 だめだ。ネズミの国のプリンセスじゃ、まるで歯が立たねえ。

 あたしは野獣と恋に落ちる美女の物語を歌いながら、心で白旗をあげかけていた。

 恋に恋してフワフワ歌うプリンセスにも、自立した勇ましいプリンセスにも、冒険心に溢れたプリンセスにも、彼女達はまるで興味を示さないのだ。

 ほんなお前らはどんなお姫さんが好みやねん!

 答えは簡単である。こいつらはもはや、プリンセスではない。女王様なのだ。つまりこの娘達は、日本の同じ年頃の女の子達よりも、あたしが想像していたよりも、ずっと大人だったのである。

 そしてやはり、シビア、なのであった。

 実に退屈だと言わんばかりの欠伸が、小さな女豹達の可愛らしいお口からふわりと浮かび上がる。大と中の女豹姫は既にあたし達を透明人間扱いして、雑談に興じている。

 あかん。このまま歌ってたら、確実に吊るされる!

 あたしは焦った。

 どうすればいい? この、アホみたいに早熟な女どもに一泡吹かせるには!

 選曲の基準が若干変わってきているのは、この状況なら仕方ないと言えよう。あたしはラストを歌いながら考えあぐねいた。

 やがて、ある一曲に思い至る。

 あたしは後ろのねえや達に振り返ると、昨日初めて練習した曲名を口パクで伝えた。ねえや達は『え?』という顔をしたものの、あたしの要望通りに次曲を変更してくれた。

 勝負曲は、大人の罪深い恋を詠った切なさいっぱいのJポップだ。

 今までと違った曲調に気付いたお姫様達が、そのエキゾチックな顔を上げる。暫く聞き入ると、横たえていたなまめかしい上半身を持ち上げ、悦に入ったように艶やかな唇の両端を引き上げた。

 大成功だ。不倫の歌が琴線に触れるなんて、こいつらほんまに姫さんかよ。とも思ったが。

何にしても、これであたし達は、女豹どもの餌食にならずに済んだというわけである。 ただ反省すべき点としては、ホッとするあまり、最後のフィラーがため息混じりになってしまった事だろうか。



「とてもよかったわ。本当の自分を見つめる女の子の歌に、感銘を受けました」

 茶会を終えると、一番にメリトアテンが声をかけてきた。彼女は、内省を促す曲に興味を引かれたようだ。長女が一番ピュアとは、驚きだ。

 次に、アンケセパアテンが、茶菓子が残ったトレーをあたしに渡してきた。

「お疲れ様。また頼むかもしれないわ。これ、食べていいわよ」

 食べ残しが御褒美かよ。

 未来人のあたしとしてはたいそう不満だが、貴族の宴では残飯を代金の一部として芸人に渡す習慣があることも、ねえや達から聞いていたので、内心の抵抗を抑えて受け取る。

 あたしが、カットしたパウンドケーキのような焼き菓子が並んだトレーを手に「どうも」と礼を言うと、アンケセパアテンはにこりと笑って白い歯を見せた。妹達を連れて、部屋を出て行く。

「首尾よくいったようですね」

 女官達が茶会の片づけを始めた部屋に、レイがマヌを伴ってやってきた。ツタンカアテンが気にしていたので、様子を見に来たらしい。

 吊るされる寸前だった事を伝えると、「終わりよければすべて良しです」とまさかの諺が返ってきた。指輪が古代エジプト語を日本の諺に翻訳できるとは思っていなかったあたしは、少々面食らう。

「さて。それで、如何でしたか?」

 何が? と訊き返すと、レイは廊下を歩いてゆくアンケセパアテンと、その妹達に目をやった。

「あれは、彼女達の心からの笑顔です」

「だから?」

「媚を売らない人間の笑顔は、どんな化粧よりも美しいでしょう」

 見上げたあたしに、レイは勝ち誇ったように口角を上げた。

 確かに、一理あるが。

「割に合わん」

 あの笑顔と残りものの茶菓子を頂戴するまでに随分神経を擦り減らせたあたしは、脹れ面でケーキを一つ雑に掴み取って、頬張った。久しぶりの甘味だ。蜂蜜たっぷりで、砂っぽさも少ない。ケーキを見つめるマヌの腹がぐう、と鳴ったので、トレーごと渡してやった。

「レイ」

 部屋に残っていたメリトアテンがこちらに近づき、レイに声をかける。

「仕事が一段落したのなら、ちょっとお話しできないかしら」

「承知しました」

 レイが応じる。その声に違和感を覚えたあたしは、眉をひそめてレイを見上げた。レイの返事には、まるで構えるような、僅かな緊張があったのだ。

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