第11話 病床の国王へ捧げる一曲

 三日後。レイがあたし達のお伴を一人、よこしてきた。少年だ。名前はマヌといった。 第一印象は、『仔馬』だ。髪も目も肌も似たような茶色で、手足が細長い。痩せてちんまりした体のわりに態度が大きく、生命力を感じる輝きの強い瞳が印象的だ。

 あたしが歳を訊くと、マヌは精いっぱい大人びて見せようとしたのか、胸を張って顎を上げた。

「十歳だ」

 ツタンカアテンより年下じゃねえか。

 お伴をよこされたどころか、これじゃあ子守を任された気分である。

「あと二年育っていればねぇ」

 ティイが残念そうに首を振った。

 少年王と同い年のオトコノコも虜にしてしまえるとは。ティイお姉さまの色気の適応年齢は実に幅広いようだ。レイが大人ではなく子供のマヌを寄越したのは多分、先日の門番のように、ティイの色気に懐柔されない為もあるのだろう。

 レイに何と言われてここに来たのか、マヌに訊いてみた。

 マヌは、あたし達を監視する仕事をする代わりに、レイの医師助手に迎えてもらえるのだと答えた。半年前からずっと弟子にしてくれと頼んでおり、自ら雑用をかってでていたのだが、先日やっと、レイから条件付きで弟子入りの許可が出たのだという。

 シトレとヘンティが後ろでヒソヒソと話しはじめた。

「押し掛け女房を体よく追い払った、って感じね」

「あいつほんと、なんていうか、人間の扱いがアレだよな」

 全く同感だ。しかも何気に、「監視」と言わせているあたりが、あたし達の信用のなさを暗示していて悲しい。

 レイから無断外出を禁じられてから今日まで、あたし達はこの離宮に与えられた一室で、ぼんやりと過ごし続けていた。あれだけの金品をくれたツタンカアテンからのお呼びも無いままに。

 朝食を食べたらその日に演奏する曲のおさらいをして、昼には広場に出勤して路上パフォーマンスにて小金を稼ぎカモを見つける。お抱え楽士などにならなければ、そんな楽しい毎日を、これからも送り続けるはずだったのに。

 マヌが来たことで離宮から出られるようにはなった。それ自体はめでたい。しかし数日の軟禁暮らしで、あたしのモチベーションはダダ下がりだった。

 良好な関係を築けそうだと思っていたレイとの心の距離が、予想していた以上に離れていたことも、落ち込みに拍車をかけているのかもしれない。……などと自己分析をする。

 また、リュックの中に入れてあったラムネが消えていたことも、少なからずあたしを凹ませていた。昨日、気分転換に一粒食べようと容器を取り出すと、中身がすっかり消えていたのである。

「食べた?」

 とねえや達に訊いたら、泥棒扱いすんなと叱られた。ティイなどは、「もう一個食べたかったのにぃ~」と心底、残念がっていた。

 そんなこんなで、あたしの気分は空気の抜けた風船みたいにシオシオになっているのだ。今この場で何か歌えと言われても、風に吹かれたシャボン玉が弾け壊れる曲で精いっぱい。

 あたしはねえや達とマヌに、少し離宮内を散策してくる旨を伝えて部屋を出た。

 中庭に行って、水連池の手入れをしていた庭師のオジサンと雑談していると、「ちょっとそのこの女官」と呼びかけられる。振り返ると、侍女数名を連れたあたしと同い年くらいの女の子が、階段上の廊下からあたしを見下ろしていた。飾り立てた身なりからして、お姫様か。

 庭師のオジサンが地面に膝をついて、そのお姫様に頭を下げる。あたしは物珍しさもあって、跪くでもなく、そのお姫様をぼんやりと眺め続けた。

『女豹』

 それが彼女の第一印象である。輝く褐色の肌に、真っ白いリネンのドレスがよく映えている。気が強そうな性格を物語る目元を構成している色の濃い瞳は、少年王からもらった宝石の中にあるオニキスようにしっとりと光っているし、すっと通った首筋がとても優雅。

「サンダルの紐が切れてしまったの。新しいのを持って来て頂戴」

 そのお姫様は、優雅にしかし高圧的に、あたしに命じてきた。

 あたしが、自分は女官でなく雇われ楽士だと伝えると、彼女は面白くなさそうに「ああ」と低く呟いた。敵意のこもった鋭い眼差しを、あたしに向けてくる。

「こちらにおいで」

 冷たい声で命令してきた。

 用があるならそっちが来やがれ。

 そう思ったが、お姫様と喧嘩する気力もなかったので、素直に従って階段をあがり、敵意まるだしの女豹の前に立つ。

「なんでございやしょうかね」

 せめてもの反抗で、面倒くさそうに応じてやった。

 両側にいた侍女が無礼なあたしの態度を咎めかけたが、お姫様は「おだまり」と二人の説教を止めさせる。

「あなた。命が惜しいなら、これ以上トゥトに近づかないことよ」

 親切なのか牽制なのか、判断に困る事を言って来た。

 トゥトって誰だ? とあたしは一瞬考えたが、『トゥト・アクエン・アテン』つまりツタンカアテンの愛称なのだとすぐに思い至る。

「なんで近づいちゃだめなの?」

 あたしが訊ねると、お姫様はビーズに彩られた腰飾りの前で手を重ね、つんと顎を上げてこう言った。

「お母様から、トゥトに近づく女は例外なく排除するよう遺言を頂いているの」

 今わの際で殺人ほのめかすなんて、とんでもねえ母ちゃんだな。

 あたしは、とりあえず殺されない為に、最大限に無害且つ良心的な笑顔を意識する。

「安心して。王様は可愛いけど、小学生は守備範囲外だから」

 安心してもらおうとしたのだが、言うなり、お姫様がカッと両目を見開いた。

「トゥトを子供扱いなさらないで! 彼に魅力を感じないなんて、どうかしてるわ!」

 どないせいっちゅーんじゃ。

 ワガママなお姫様に絡まれ、あたしはちっちゃなピンチを感じる。その時、後ろから声がかかった。

「どうしました」

 振り返らなくても、その声が誰のものか、あたしはちゃんと聞き分けられる。

 相変わらず色気のある良い声してんな。ちくしょー。

 声を発している男の人間性がアレなだけに、非常に口惜しい。もしや助けてくれるのだろうかと一瞬期待もしたが、こいつに限って絶対にそんなわけがない、と考え直し、気持ちが萎えた。

「まあ。レイ」

 眼差しを上げたお姫様の顔つきが、一気に穏やかになる。

「ねえ。もっと登城してちょうだい。アイもホルエムヘブも何を考えているか分らなくて、怖いわ。私達に貴方が頼りなのに。しかも、こんなどこの馬の骨とも分らない女まで増えてしまって」

 あたしの後ろに立ったレイに、甘えた声で文句を言った姫様は、ぷっと頬を膨らませた。

「彼らはケメトの今後を心から案じている重鎮です。心を開く必要はございませんが、邪険にはなさらぬよう。この娘については、警戒するまでもありません。お好きなように」

「トゥトはどうしてこんな女を宮に置くの」

「陛下とてお間違いになることもあります」

 てめえら本人をど真ん中にして、よくまあそこまでベラベラ悪口並べられるもんだな!

 腹立ちのあまり、握りこぶしが震える。

「悔しいからって苛めに走るのはぁ、人としてどうなんでしょうねぇ」

 二対一。しかも相手はワガママな女豹と、人間失格毒舌野郎だ。負け戦にはなるであろうがしかし黙ってはいられず、あたしは後ろにくるりと振り向いた。敵とする人物が思いのほか近くに立っていたので、いきなりの中東美形顔面アップに怖気づいて一歩後ろに下がってしまったが。

「悔しいとは?」

 中東美形が無表情に訊ねてきた。声にも態度にも、温かみがまるで無く、威圧感だけが無駄に強い。

 なんじゃこの辣腕SPの体にAIぶっこんだような鉄壁ぶりは!

 叫びたくなる衝動を抑えながら、あたしはできるだけ平静を装い、腰に手を当ててふんぞり返る。

「あんたが頑張っても治せなかった病気をあたしらが良くしたから、捻くれてんでしょうが」

 言ってすぐに、あ、違うか、と間違いに気付いた。しかし、覆水は盆に帰らないものだ。

「歌ごときで病が治せるのであれば、私は医者をやめています」

 レイが表情を一ミリも変えず、あたしの仮説を棄却する。

「確かに、陛下はあなた方のお陰で元気を取り戻されたように見えました。しかし、ご無理をされたので、結局あれからまた病床にあります。勘違いはなさいませんよう」

「え」

 なけなしの威勢が、あたしの中からたちまち消えて無くなる。

「ほんとに? また寝込んじゃったの?」

 おろおろするあたしの横を、お姫様がドレスの裾を揺らしながら通り過ぎた。

「もう行くわ。失礼。レイ」

 当てつけがましくレイにだけ挨拶を残し、紐が切れたサンダルを侍女に持たせた女豹は、その場からしずしずと退場する。廊下には、あたしとレイが残された。

 あたしは辺りをきょろきょろ見渡すと、レイが来た方角に足を向けた。そこを、レイに止められる。

「陛下の元へ行くつもりなんでしょう? 不審者のように宮をうろうろされるわけにはまいりませんので。ついてきてください」

 お見通しかよ。

 あたしは黙って、レイの広い背中についていった。

 無言の背中を頼りに、宮を奥へ奥へと進んでいくと、一際大きな両開き扉の前に辿り着く。それは、隙間なくぴっしり組まれた木製の板に、太陽円盤のような彫刻が施されてあった。レイがノックをして名乗ると、扉が勝手に開く。中に入ると、左右の戸口に一人ずつ、扉の取っ手を握っている召使いに迎えられた。

「レイ、どうした? 忘れ物か?」

 ヘトウの集団部屋よりも広い一室。そこにある天蓋付きのベッドからの中から、詰まるような弱々しい声が聞こえてきた。ツタンカアテンだ。

 レイは彼に、歌うたいが楽士を代表して見舞いに来たと伝えた。

 小さな笑い声が、天蓋の奥から聞こえる。次いで、「こちらへ」と招かれた。あたしはレイに背中を押されながら天蓋の中に入る。

「ご苦労である」

 ベッドに横たわるツタンカアテンが、隈が浮いた血の気の薄い顔で、あたしに微笑みを向けてきた。彼の頭の下には、日本の時代劇に出てくるような高枕がある。

 めちゃくちゃ寝にくそうだな。

 この枕を取れば、もう少し楽に寝られるのではないだろうか。そんな事を考えながら、あたしは少年王に謝った。無理をさせてしまい、すみませんでした。と。

 ツタンカアテンは首を横に振ると、とても楽しかったからいいんだと言った。そして一呼吸置いてから、今ここで歌ってくれ、と頼んでくる。

 レイを振り返ると、「一曲だけなら」と許可が下りた。あたしは出来るだけ穏やかな楽曲を選んで歌った。歌い手の息づかいが語りかけているように感じる、深く優しいメロディーを。

 あたしが歌っている間、ツタンカアテンの様子は終始穏やか。じっと瞳を閉じて、口元に僅かな微笑みを湛えていた。歌い終えると、彼は曲の余韻を味わうように、一度深呼吸した。

「そなたの歌は優しいな。マヤを思い出す」  と、懐かしむように目を細める。

 ツタンカアテンはあたしに、姉達の茶会で歌ってくれと依頼してきた。彼の異母姉は五人。茶会は三日後に予定されているのだという。

「特にアンケセパアテンは、私の即位以降ずっとピリピリしていて。緊張をほぐしてあげたいんだ」

「あんけせパー?」

 アンケセ、パアテン。

 発音が難しく、復唱できなかったあたしに、少年王がゆっくり発音し直してくれる。

 次に彼が言った言葉は、衝撃だった。

「私の、妻だよ」

 嫁、おったんかい。

 しかも姉て。近親婚かい。

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