第10話 少年王の前で爆唱する ~契約~

「だから下品な歌は御免こうむると言ったではありませんか!」


 何故かレイは激怒していた。

 用意していた曲を全て歌い終え、別室に通された途端にこれである。


 暫く考えたが『下品な曲』に思い至らず、どれが? とあたしは聞いた。


「あの爆発したみたいなやつです!」


 即刻、怒鳴り声が返って来た。あまりに煩かったので、あたしは指で両耳を塞いだ。


「ねえレイ。湿布薬ちょうだい。手首がズキズキするのよ~」


 シトレが右手首を揉みながら、泣き声を上げた。

 高速弾奏が効いたのか、とうとう右手首が腱鞘炎に見舞われたらしかった。


「唾でもつけときなさい」


 レイはシトレに一瞥すらやらなかった。


 お前それでも医者か。


 あたしは呆れながら、選曲へのいちゃもんに、毅然とした態度で対応した。


「下品じゃないもん! 大体何が駄目だったわけ? あの子喜んでたのに」


「あのこ!」


 レイは目を剥き、引きつった声を裏返らせて復唱した。

 いくら少年とは言え、王様に対して『あの子』呼ばわりは私が思っていた以上に不適切だったらしい。


 しかし、その時のレイにとっては曲への不満の方が大きく、無礼に対しそれ以上のお咎めはなかった。


「大体なんですかあの、意味不明な単語の連続は」


 まあ言われてみれば、古代エジプトでは想像が難しい名詞が多かったかもしれない。あたしはレイからの不満を一部受け入れた。もはや単語じゃない部分も少なからずあったのは事実だったので。

 でもそれを言うなら、今まで歌って来た楽曲だって意味が伝わらない名詞がうようよしていたはずである。

 あたしがこの曲を選んだのは、メロディー自体にエネルギーがあるからだった。


「元気になったんだから別にいいでしょうよ」


「歌声に品性がありませんでした」


 失礼な奴だ。


 要は、レイの好みに合わない、というだけなのだ。レイとツタンカーテンの楽曲の好みが共通しているのならば話は別だが、事実ツタンカーテン少年は爆発的なあの曲を、いたく気に入った。故に、レイのこれは押しつけというものである。


 そもそも、古代でも現代でも、庶民でも王様でも、少年は少年。オトコノコは冒険とゲンコツが好きなんじゃないの? と私は信じて疑わなかった。


 小学生くらいの男の子を元気付けたいんなら、これに勝るもんはないんだよ。


 力説すると


「小学生とはなんです」


 という問いかけが返って来た。


 そこから説明せねばならんのか。めんどくせえ。


 あたしは聞き流した。


「レイはあの歌嫌い? 私は好きよぉ?」


「選曲をこっちに任せたのは、あんただろ。後で文句言わないでよ」


「どっちにしろ全部歌ったんだから、お代はしっかりいただくわ」


 ねえや達が楽器を片付けながら、しのごの煩い依頼人に立ち向った。

 この三人は本当、キャラクターの役割がはっきりしていて面白かった。


「分っていますよ」


 降参したレイは渋面を作った。


 あたしより年が近い分、この四人は集まると、同級生の様な雰囲気を醸し出していた。なかなかその輪の中に入れないあたしは、少し寂しかった。この四人は、現代では立派な社会人の年齢だったのである。


「二言はありません。今、残りの代金の準備をしているところです」


 レイがそう答えると、部屋の扉がノックされた。

 レイが入るよう声をかけると、召使より整った身なりをした男性が入って来た。


「陛下が楽士の方々をお呼びです」


 男性は丁寧に告げて、頭を下げた。


 ツタンカーテン王は、あたし達が用意した曲をしっかり堪能すると、杖をつきながら満足げに謁見の間から退場した。王様の御尊顔を拝むのはこれで終わりだと思っていたあたしとねえや達は、お互い顔を見合わせた。




 あたし達は、目の前にどどんと置かれた箱いっぱいの金銀財宝に絶句していた。


 再び謁見の間に連れてこられたあたし達の前に、少年王が召使に持って来させたものがこれだったのである。


 金に銀。象牙に、色とりどりの奇石で造れたアクセサリーや調度品。あまりの輝きに、大事なお目目がつぶれかけた。まるで、海賊映画のワンシーンを見ているようだった。


「こんな大量の金、初めて見たよ」


「これはちょっと、貰いすぎでは?」


「あるところにはあるものねぇ」


 ヘンティとシトレは驚きのあまり戦慄わななき、ティイは感心したように人一人膝を抱えて入れそうな宝箱の中を覗きこんでいた。


 レイは何も言わなかったが、その端正な顔からは困惑の色が見て取れた。度を越した褒美の量であることは、明らかだった。


「こんなに沢山、さすがに受け取れないわよ」


 王様に直接口をきくのをためらったシトレは、代わりにレイに戸惑いを伝えた。


 気前の良い少年王は、血色が良くなった唇の両端を持ち上げ、あどけない笑顔を見せた。


「かまわぬ。これには、今後の依頼量も含まれているのだ」


 『こんご?』


 上手い具合に、レイとねえや達がコーラスした。


 ツタンカーテン王は、あたし達の演奏をいたく気に入った旨を述べ、これからも頻繁に演奏を聞かせてくれと依頼して来た。そのために離宮に留まってくれ、とも。


 つまりは、お抱え楽士への大出世、という事である。


「どうだろう。マキノといったか。歌うたいのお前だけでも」


 ねえや達が困った顔をしていたので、ツタンカーテンは妥協案を提示した。


「どうするの?」


 シトレが耳打ちしてきた。


 王宮の生活というものに興味はあったが、束縛は避けたかった。そもそも、ねえや達と離れるつもりは無かったのである。


「お誘いは嬉しいんですけどぉ。アタシ、ずっと大衆の為に歌って来た人なんでぇ。王様の為だけじゃなくってぇ、これからも色んな人の前で歌いたいなあっ、て思うんですぅ」


 お客達との潤滑油役であるティイを真似て、あたしは妥協案の更に折衷案を出した。

 王宮には留まり、お望みとあらばいつでも歌うが定期契約性にして、契約中も出入りは自由にさせてくれ、と。折衷案というか、あたし達に都合のいい内容ばかりだった。


 レイはムカデかゴキブリなどの不快害虫を見るような目をあたしに向けた。毛虫なんて、まだ可愛いものである。

 しかし、純真無垢な少年王は大喜びだった。


「無論だ!」


 『地球の平和のために、僕と一緒に闘ってくれ』とヒーローに頼まれた少年みたいに、使命感に溢れた面持ちで頷いたツタンカーテンは身を乗り出した。


「もし亡き父上にお前の様な才があったなら、民の為に惜しまず披露したに違いない!」


「陛下、お父上とを同列にしてはなりません!」


 聞き捨てならない、と言った風に、レイが『これ』呼ばわりで前言撤回を求めた。


 しかし、ヒーロー活動の一端を背負う事になった少年の高揚感は、そんな生易しい抗議では落ち着かないものである。

 少年王は、けがれなど一ミリも感じさせない清々しい笑顔を自分の主治医に向けた。


「レイ。よくぞ私の願いを聞き届けてくれた。お前もさぞかしこの者の歌声に魅せられたであろう」


「私が? このアバ――っ左様でございます」


 今こいつ、『アバズレ』って言いかけた?


「勿論、そなたらを独占するつもりはない。仕事の邪魔はせぬ。これまでと同様、城下で歌うなり、宴会の招きに応じるなり好きに活動してくれ」


 少年王は実に聞き分けが良かった。これで本当に王様をやっていけるのだろうかと心配になったほどである。


 お前も宴を催す際には彼女を呼ぶがよい。と、ツタンカーテン王はレイに温情を与えた。


 温情を与えられた方は、迷惑極まりないといった表情を浮かべながらも、


「身に余る、光栄でございます」


 震える声で感謝を述べた。


 普段、言葉も態度もオブラートに包まない人間が、王様に仕えるのは実に大変そうだった。





 別室に戻ると、レイは私達の仕事の一切を管理すると言いだした。


「話が違う!」


 不等を訴えたあたしに、レイは冷ややかな視線を向けた。


「今この国の情勢は酷く揺れています。つまりそれだけ陛下のお命が危険にさらされているという事です。宮を自由に出入りされるなど、とんでもない」


「あたしらが信用できないっていうの?」


「できると思っているのが既におかしい」


 レイは後ろで手を組んで背筋を伸ばすと、あたしとねえや達を順番に見た。

 その立ち姿はまるで、刑務所の看守。


「あなた方を宮に置くのは千歩譲って許可しましょう。しかし、いつどこで何の仕事をするか、逐一私に報告し、許可を得る事。城外に出る際は必ず伴を付ける事。これは厳守して頂きます」


「面倒ねぇ」


 ティイがため息をついた。


 あたしはレイに詰め寄った。


「裏切ったりしないよ! そんな薄情じゃないもん!」


「あなたに裏切るつもりが無くとも、狡猾な連中にそのめでたいオツムを利用されかねないでしょうが。――何か反論は?」


「むかつく!」

「結構」


 レイはさっと踵を返すと、キャビネットに似た収納棚の引き出しを開け、そこからぺラッとした白い物を一枚と、木製の薄い箱を取り出した。パピルス紙と、この時代の筆箱だった。


 レイはここに当面の予定を書くよう言って、パピルス紙とペンケースをシトレに差し出した。


「私、読めるけど書けないわ」


 シトレは両手を広げて、差し出された筆記用具を押し返すと、首を左右に振った。


 あたしだけでなく、ねえや達もこの状況に納得いかないようだった。

 ならばこれ以上ここに留まる意味は無い、とあたしは判断した。


「もういいです。元の路上ミュージシャンに戻るから。王様にヨロシクどーぞ!」


 あたしは麻袋に荷物を詰め始めた。ねえや達も、一拍遅れで荷物を片づけ始めた。


 レイがあたしの横に立った。無言で手を伸ばし、あたしが持っていた麻袋の口を閉じた。


「あなた方を城に置くのは王命です。拒否はできません」


 あたしはレイを睨みつけた。


 やかましい。あたしは民主主義の国から来たんじゃい!


「仲良くなれそうだと喜んだあたしが馬鹿だった! 良い人かもしれないと思ったあたしが間違ってた! 期待して損した!」


「それで終わりですか?」


 レイが涼しい顔で確認してきた。


「嘘つきはなあ! 閻魔様に舌切られるんやぞ!」


「馬鹿でお人好しで単純な民族の神になど用はありません」


 こんな男の毒にまみれた舌なんぞ、閻魔大王でも拒絶するはずだ。


 エジプトの神様、誰でもいいからこいつに天罰を与えたもれ!


 あたしは本気で天に祈った。

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