第9話 少年王の前で爆唱する ~宴~

「あらあ……」

「ホントに、ここなわけ?」

 ロバが爆走を止めた建物の前で、ティイとヘンティが茫然と立ちつくしている。シトレは、あたしのすぐ横にいた。到着地点でロバに追いつくなり、あたしの左腕からハープをひったくった彼女は、生き別れの子供を見つけた母親みたいに感涙にむせびながら、ハープの無事を喜んでいる。

 それで、ロバからずり落ちるように降りたあたしはというと、叫び過ぎと揺られ過ぎによる吐き気で、盛大にえずいていた。

 ロバが止まったのは、上り坂の最終地点。つまりあたしたちは、北の離宮前にいるのである。

 爆走するロバの上にしがみついた楽器まみれの人間と、それを必死の形相で追いかける美女三人がゴールテープを切るランナーみたいに門を通過したので、詰め所にいた門番達は、大慌てで出てきた。

「お前達のような者が、ここに何の用だ!」

 一人の若い男が、槍を向けてくる。

 いや実際あたしらも、本当にここに用があるのか分らねえ。

 そう答えたかったのだが、次の嘔吐の波が来てしまい、あたしの返事はグロイえずき声に代わってしまう。

「このロバちゃんはぁ、ここの子なのかしらぁ?」

 ティイがすっかり大人しくなったロバの鼻を撫でながら、色気全開で門番に微笑みかける。

「え? し、知らん」

 顔を赤らめた門番は、どぎまぎした様子で答えた。

 知らなくて当たり前である。ケメトはロバだらけだ。毛色や体格が似ているものも多い。一家に一匹のペットちゃんじゃあるまいし、個体の判別など容易にはできないだろう。ティイも、門番がこのロバの身元を答えられるとは思っていないはずだ。ただの時間稼ぎなのは、冷静に考えればすぐに分ることだった。

「知らんが。いい、ロバだな!」

 しかし、門番はティイに気に入られたかったのか適当な事を言った。ロバの良し悪しなどまるで分っていないアホ丸出しで、灰色ロバの背中をポンポンと叩く。まったく駄目な警備要員だ。門番の懐柔に成功したティイは、「うんそうねぇ。とっても可愛い」と魔性の笑みで適当に相槌を打った。

 そうこうしているうちに、レイが到着する。門番達に、あたし達がここに呼ばれた楽士であることを端的に伝えた彼は、中へ進むようあたし達を促した。ロバは、ティイに鼻を伸ばしていた駄目門番に任された。厩舎に返せばいいとのことである。

 レイは自分の家のように、離宮の中をすいすいと進む。途中、すれ違った召使いらしき人達が、レイに頭を下げた。

 あたしは壁に彫られた色鮮やかなレリーフを眺めながら、レイとねえや達についていく。

 なんっか、この巨人が並べたみたいなでっかい柱と、そっくりさん大集合みたいな横顔だらけのレリーフ、めちゃくちゃ見覚えあるんだけどなあ。

 あたしはようやく、ここが異世界でないことに気付きはじめる。

「ねえレイ。それであたし達、誰の前で歌えばいいの? 男の子なんだよね? 宰相の子息とか?」

 ヘンティが訊ねた。依頼人が誰か、詳細はまだ明かされていなかったのである。

 レイが足を止めた。振り返り、やや緊張した面持ちで、明かす。

「あなた方を待っておられるのは、我らがぺル・アア。トゥトアンクアテン陛下です」

 ねえや達が絶句する。

「王様じゃん……」

 ヘンティの口から、それだけがこぼれ出た。

『ぺル・アア』。ケメトに来て何度か耳にしている単語だけれど、王様という意味だったとは、知らなかった。しかしながらあたしは、依頼主が王様である驚きよりも、レイが口にした王様の名前に妙な引っかかりを覚える。あれ? なんかこのイントネーション、聞いた事あるぞ、と。

 トゥトアンクアテン……トゥトァンカーテン……ツタンカー……テン……?

「ツタンカアメンやん!」

 ぱぱーん、と。頭の中に黄金のマスクのご登場である。ようやく思い出した。このでっかい柱も、ペッタリしたレリーフも、世界史の教科書で見た写真そのまんまではないか。

「何ですかその酷い発音は」

 古代エジプト人ほぼ確定のレイが顔をしかめる。

「トゥト・アンク・アテン。アメンじゃありません。アテンです。そこは絶対に、間違えないでください」

 え、じゃあ。ツタンカアメンじゃなくてツタンカアテンって呼べこと?

 なんで? とあたしが首を傾げると、宗教上の問題があるからだと、シトレが耳打ちしてきた。

「詳しい事情は後で教えてあげるわ。とにかく、レイが言った通り言い間違いは駄目よ。絶対に。いいわね?」

 ひどく緊張した面持ちで、あたしに釘を刺す。あたしはひとまずシトレに頷いてから、もう一つ気になっている事を皆に確認した。

「ねえ、ここってエジプトって呼ばれてるんじゃないの?」

 エジプト? と四人がオウム返しする。ややあって、レイが答えになりそうなものをくれた。

「その発音は、ケフティウのものに近いですね。ここから海を越えてずっと北にある国です」

 エジプトのずっと北……。この時代なら、ギリシャあたりかな? あーそういえば、古代エジプト大好きの田辺先生が世界史の授業で、『エジプト』も『ファラオ』も実はギリシャ語が元なんだよーん、って言ってたような言ってなかったような……。

 半分寝ながら聴いていた授業の内容が、ぼんやり蘇ってくる。

 なるほどつまりは、『ぺル・アア』や『ケメト』は古代エジプト語なのだ。だからここではみんな、『ファラオ』じゃなくて『ぺル・アア』。『エジプト』じゃなくて『ケメト』と呼んでいるわけだ。

 ならやはり、ここは古代エジプト確定である。あたしは、ついに明らかになった真実を四人に伝える。どうやらあたしは異世界人でなく、今から数千年後の未来人らしい、と。

「つまりね、異世界転移じゃなくて、タイムスリップだったんだよ!」

 ところが、興奮気味に語ったあたしに返ってきた古代人四人の反応は、異口同音の「だから?」だった。

「十年や二十年先から来たというのなら興味もわきますが、何千年も先の未来など、異世界と変りません」

 レイがあたしに背を向けて歩きだす。

「お家に帰れないのは、どっちも同じじゃないの」

 シトレまでが、身も蓋も無い物言いで、レイの後に続いた。

 え。そんなに、どうでもいい事なの? 

 未来人を置いてさっさと歩いて行く古代人四人の背中を眺めながら、あたしは、数千年分のジェネレーションギャップによる価値観の違いから、消化不良を起こす。

 あたしの感動と興奮、どこに持ってきゃいいの? と。



「陛下はここ二・三日、伏せっておられました。今日はやめるよう申し上げたのですが、どうしても、と仰ったもので」

 だから途中退場も有り得るが、代金は全額きちんと払う。

 謁見の間に続く扉の前で、レイは事前にそう説明してくれた。

 まさかあの伝説の少年王が持病持ちのひ弱君だったとは。田辺先生にふんぞり返って教えてやりたいわ。

うっかりするとニヤついてしまいそうになる頬肉を揉んだあたしは、神妙な顔でレイに頷いたねえや達に少し遅れる形で、「承知」と返事をした。

 謁見の間の扉が開く。

 その向こうは、まばゆい金と鮮やかな色彩に溢れた広い空間だった。左右の壁際には、槍を持った兵士が数名、等間隔に立っている。

 伝説の少年王は、部屋の最奥にいた。彼は金色の玉座に座っており、鳥の羽根で作った柄の長い団扇のようなものを持った従者を両脇に従えている。背中は左側に傾いでいて、左足先が内側に曲がっている。単に姿勢が悪いわけではなく、どちらも骨が変形しているようだった。大きな目が印象的な幼顔は青白く、生気というものが感じられない。身長は、年相応にありそうだ。けれどその全身は、栄養が足りている王族の割にか細い。彼は、彼が腰かけている立派な玉座には不釣り合いなほど弱々しく見えた。

「よく来てくれた。ご苦労である」

 どことなく息が詰まった苦しげな声で、少年王があたしたちを歓迎する。病み上がりというよりは、まさに今病んでいる最中、といった感じだ。浮かべられた微笑みまで痛々しい。

 途中退場どころか今にも倒れそうな顔をしていたので、少しだけ相談の時間をもらったあたし達は、用意していた曲の順番を入れ替えることにした。

 しょっぱなに、レイが必ず入れるように言っていた青色ロボットの映画の主題歌。その後は聞き手の反応を見ながら、立てた指の数で曲番を示し、進めるという方針に変更する。

 自慢だが、あたしの音域は広い。低音域であるバスも出せるし、ソプラノも得意だ。自己分析でしかないけれど、音楽好きの両親が、多ジャンルな楽曲を年がら年中昼夜問わず流していた、音楽まみれの生活環境が良かったのだと思う。それに加えて、物心つく前から「あーあー」歌っていた自主トレの効果もあるのだろう。

 青色ロボットの映画主題歌の一曲であるそれは、ソプラノが実に美しい。大空を羽ばたくように壮大で、若々しい勇気を感じる。少年王にはうってつけだ。

 曲名を紹介すると、すぐにシトレのハープが鳴りはじめた。

 中ほどまで歌ったところで、ツタンカアテンの体が前に少し傾いだ。くっきりとしたアイラインに縁取られたその目から、涙をぽろりとこぼす。彼は唇を震わせると、小さく口を動かした。

「ちちうえ」

 という涙に濡れた声が、あたしの耳ではなく脳に響く。指輪が伝えてくれたのだろう。そのお陰であたしは、彼がここ数年で父親を亡くした、というレイの言葉を思い出せた。

 そうか。だからこんなに小さいのに、王様になったのか。

 あたしは彼を目の前にしてやっと、その厳しい境遇を察することが出来た。彼はきっと、ずっと気を張り詰めていたのだろう。もしかしたら、泣くこともできなかったのかもしれない。この曲が父親との思い出を呼び起こし、感情を解放するトリガーになったのなら、それは喜ばしいことである。

 あたし達とツタンカアテンの、ちょうど真ん中あたりの壁際に立っているレイをふと見ると、彼は涙を流す少年王に、慈しむような微笑みを向けていた。

 ああ、この子は心からレイに大切にされているんだな。

 そう思うと少し、この小さな少年王が羨ましく思えた。

 さて。一曲目が大成功を収めたので、あたしは迷わず指を四本立て、二曲目の選択を後ろのねえや達に伝える。

 心のつっかえが取れたんなら、今度はエネルギーをチャージしましょうや!

 超絶有名なバトルアニメのオープニングテーマを、二曲合わせたメドレーで爆唱する。 振りも大きく、拳を突き上げ、手拍子も大胆に。 

 歌いながらあたしは、病に苦しむ少年の瞳にみるみる生気が蘇り、頬に赤みが差したのを目撃した。

 いい調子だオトコノコよ! その小さな胸を躍動させろ! 

 側弯ぎみのせすじも少し伸びたように見え、俄然やる気が出たあたしは、更に腹に力をこめて声高く歌い上げる。

 さあ、ツタンカアテンよ受け取るがいい! あたしの、ありったけの生命力をーっ!   

 フィニッシュで、渾身の力を込めて気砲を放つ。まあ実際、そんなもん、あたしの両手からは発射されていなかったんだけれど。


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