第7話 指輪の正体
それからあたし達は、レイの診療所に移動した。その診療所はネフェルホテプの家から城へ向かって、歩いて五分ほどの距離にあった。
真っ暗な診察室に入るなり、レイが慣れた調子でランプに火を灯す。小さな灯火で照らされただけの診察室は、お世辞にも明るいとは言えない。障害物にぶつかる心配が無くなった程度だ。むしろランプの灯りを中心にして中途半端に浮かび上がる家具や医療道具が、以前見たホラー映画をあたしに想起させ、恐怖心を煽ってくる。
診察台や棚の影から飛び出てくるグチャドロの死霊をうっかり想像してしまったあたしは、ねえや三人の後ろで足を止めた。
「それで、何故きちんと教えておかなかったのですか?」
お説教されにやってきた生徒のように、黙って戸口に整列したねえや達に向かって、レイが訊ねる。ランプに照らされた、その彫りの深い美貌が、妙に怖い。
「いや本当、うっかりしてたわ。ごめんなさい」
ハープを胸に抱えたシトレが、初めに謝った。
「旅の楽士はこれが常識だからさ。知ってるもんだとばかり」
「ごめんねぇ、マキノ。私たち、早く沢山稼いで、あなたをお家に送ってあげたくって。ご奉仕付きは報酬がいいものだから」
ヘンティとティイも、しょげた様子で謝罪してきた。
あたしは別に、ねえや達に怒りを感じてはいなかった。ただ、悲しかったのだ。ねえや達がどんなに心を砕いて頑張ってくれても、世界旅行ができるくらいの金銀財宝を手に入れても、あたしの願いは叶わない事が。
「お金なんか、役に立たない」
ぎゅっと拳を握り、声を震わせ、あたしは言った。レイとねえや達が、一様に眉をひそめる。
「どんなにお金があったって、あたしは家に帰れないんだよ」
「どういうこと?」
シトレは困惑している。もっと早くに打ち明ければよかったと、あたしは後悔した。この楽士のお姉さん達が、まさか本気であたしを家に送ってやろうと考えていたとは、思っていなかったのだ。嬉しくて、申し訳なくて、あたしは泣いた。
「ごめんなざい~! だってあたし、異世界人なんだよぉ~!」
その場でシリアスなのは、あたしだけ。現地人である残りの四人は、実に間の抜けた顔であたしを見ている。四人の心境を代弁するなら、こうだろう。
『何言ってんだコイツ』
奇怪な事をぬかしはじめた娘っ子の対応に困っている四人の前で、あたしは暗い天井を仰いで泣き続けた。
異世界から来たことを物語る証拠として、あたしは日本から持ってきたリュックの中身を処置台にあけた。よく見えるよう、レイが二つ目のランプに火をつけてくれる。
最も説得力がありそうなスマホを見せようと思ったけれど、まさかの電源切れだった。 パワー切れで動かないことを伝えると、シトレが口をとがらせる。
「融通のきかない道具なのね」
確かに。電源の入らないスマホなど、文鎮代わりがやっとである。これまでは、すぐ手に取れる前ポケットがスマホの定位置だったが、あたしはリュックの一番大きなスペースの底に、役に立たない文明の利器をポイと放り込んだ。
ヘンティは口がバッテンになっているウサギのイラストがプリントされたタオルハンカチを広げながら、染色技術が凄いと感心している。
「うわ、これ可愛い。土豚?」
「豚じゃないよウサギだよ」
ティイは不織布マスクを胸に当てている。
「これ、いくらマキノでも小さ過ぎなぁい?」
「それ乳バンドじゃないよ。ティイの片っぽすら満足に隠せないよ」
しかも何気にあたしのこと、貧乳扱いしてるし。
「ごめんね。ろくな証拠がなくて」
あたしは力なく笑いながら、異世界転移を裏付ける決定打になるようなものが出せない事を詫びた。
そこに、レイが出した「いいえ。証拠としては十分かと」という一言が注目を集める。レイは、ラムネが入った緑色の容器をランプの灯りにかざして中身を凝視ながら、小さく唸っていた。
「ここまで精巧に寸分違わぬ形をした丸薬を作る技術は、大陸中どこを探してもないでしょう」
続いてレイは、棚から天秤を持ちだすと、左右の皿にラムネを一粒ずつ乗せていく。左右の皿に同じ数のラムネが乗せられるたび、天秤は水平に吊り合った。
「重量も全く同じか。驚いたな」
まさか、ラムネ菓子が決定打になってくれるとは思っていなかったあたしは、流石は医者だな、とレイの目の付けどころに感心する。同時に、この男が誰よりも先にあたしの非現実的な爆弾発言を信じたことにも、驚きを隠せなかった。
「これはどういった薬で――何か?」
ぽかんと口を開けているあたしを見たレイが、眉をひそめる。
「いやあ。あんただけは最後まであたしのことを奇人変人扱いすると思ってたから」
素直に言うと、レイは実に心外だと言わんばかりに目を見開いた。
「そちらの世界では貴方みたいなのが標準なんですか」
「どういう意味だオイ」
レイが心外に感じた対象は、あたしが予想したものとは随分違っていたらしい。レイは、あたしの世界に同情するが如く
「嘆かわしい」
と首を振った。
あたしも、口を開けば毒を吐くこの男の人間性を、今すぐ大声で嘆きたい気分だ。
「それにしてもぉ。別世界から来たのに、よくケメトの言葉が喋れたわねぇ」
ティイの疑問に対し、あたしは転移と同時にゲットしたレアアイテムについて話した。指輪の翻訳機能についての説明を終えたところで、指輪を見せろ、とレイが手を出してくる。あたしは指輪を引き抜いて、レイに渡した。
レイが、ラムネの容器と同じようにランプの灯りで指輪を観察する。
と、レイが口を動かした。ワニャワニャ、と耳慣れない外国語が薄い唇から滑り出て来る。ねえや達もレイの周りに集まり、口々にワニャワニャ話しだす。四人はあたしを置いてけぼりにして、現地語でワニャワニャワニャワニャ喋った。
やっぱり、何を言っているのか全然分らない。
ようやくレイが、ポツンと立っているあたしに、指輪を返してくる。
「それは呪具の一種です」
指輪をはめるなり、レイのワニャワニャ語が日本語に聞こえた。
「呪文らしきものが見当たらないので、造られた当初は、ただの指輪だった可能性が高いですが」
使用されているうちに呪具同様の力が宿るのは往々にしてあることだ、とレイは言った。
つまり呪いの指輪かよ。
ケメトに来たその日に魔法の指輪だと認識しておいてなんだが、あたしはぞっとした。
見た目が普通の指輪なのになぜ呪具だと分ったのか訊ねると、自分は神官だからだ、とレイは答えた。レイは、医師の他にアテン大神殿の職員も兼務しているらしい。
このケメトでは医療や神事をはじめ、日常生活の中で呪具を使う機会は往々にしてある。ゆえにただの飾りかそうでないかは、これまでの経験上、触れれば大体分るのだとレイは言う。飾り部分に掘られている文字は、ネフェル・シュマトと読むのだそうだ。その意味は、『美しき歌い手』。
「歌うたいの貴方がこの指輪を持っているのは、無関係ではないでしょう。この指輪は間違いなくケメトの物で、あなたはこの指輪に導かれて来た、と考えるのが妥当かと」
指輪は、大きくもなく小さくもなく、あたしの細めの中指にぴったりはまっている。持ち主はおそらく、女性だったのだろう。
「ネフェルイウヌさんて人の持ち物だった、ってこと?」
「それは分りませんね。愛称だったかもしれませんし。誰かに称えられて、この指輪を贈られた可能性もあります」
へぇ~、とヘンティが横から、あたしの中指を覗きこむ。
「プレゼントだった、ってことか」
「ロマンチックじゃない」
「送り主はさぞかしお金持ちだったんでしょうねぇ」
ねえや達が、夢見る少女のような顔で、三人仲良く吐息を吐く。むしろあたしはこの指輪に、持ち主の執念深さを感じて恐怖を覚えていた。できることなら神殿に寄付してしまいたい、とすら思う。けれど、この指輪に元の世界に帰るヒントが隠されていることは間違いなさそうだし、何よりも、なくてはならない翻訳機能付きなのだ。捨てるに捨てられない。
「まあ、とりあえず。これ、お礼ね」
鑑定料としてレイに差し上げたのは、ラムネ一粒。
決して、あたしはケチじゃない。ケメトの厳しい食文化の中で、残り少ないメイドインジャパンの駄菓子が、今後あたしの心の支えになることは間違いないのだから。ねえや達にも同じように一粒ずつあげたのだし、むしろ大盤振る舞いだと主張したい。ラムネの味をいたく気に入り、もう一個もう一個とせがむティイに二個目をあげる事はしなかったけれど。
診療所から帰る時、レイがあたしを呼びとめた。
「あれは、どういう人の歌ですか」
という質問に、彼が宴会場で聞き入っていた一曲に思い至ったあたしは、その曲が主題歌になっていたドラマの原作小説のあらすじをざっくり話して聞かせる。
物語の最後が語り終えられるなり、レイは黙って目を伏せた。あれのどの部分に共感したのか聞きたかったけれど、そこは突っ込まないのが親切だという事を、あたしは経験から学んでいた。代わりに、気分を害させてしまったかと訊ねる。
レイは首を横に振った。
「あなたの国には実に多くの人生を詠った歌があるのだと、感心しました」
初めてレイに褒められ、あたしは舞い上がる。
「つまりお気に召したという事ですか! お客さん」
レイが「そうですね」と頷いた。
「玉ねぎみたいなあなたの歌の中では、比較的心に残った方でしょう」
たまねぎ?
「泣けるくらい感動した、ってこと?」
首を傾げたあたしに向かって、レイが「まさか」と小馬鹿にしたように笑う。
「剥いても剥いても中身が無い、という意味ですよ」
本当にこの男は、よくもまあ、この人間性で医者と聖職者が務まっているもんだな。
あたしは閉口した。
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