第5話 リハビリ代わりの宴会場
「嫌だ怖いよぉ! 行きたくないぃぃ!
困った事に、あたしはすっかり怖気づいていた。
ヘトウに戻り、ホッとしたのもあったのだろう。
さあ六日後の為に練習をしましょう、とシトレが元気よく手を叩いたところで、あたしの恐怖心は遅ればせながら爆発したのである。
しゃがみ込んでおいおい泣くあたしを、ねえや達はぐるりと囲んだ。そして、楽器片手にあたしの腕を掴み、中庭へ連れて行こうと引っ張った。
「何言ってんのさ今更!」
「駄目よぉ。前金貰ったんだから、今更反故になんてできないわよぉ」
「頑張りなさいマキノ! あなたから歌を取ったら何も残らないでしょ!」
ケメトの人間はどいつもこいつもシビアでございますなぁ!
あたしは散歩を嫌がる犬みたいに足を突っ張りながら、三人のお姉さんに訴えた。
「レイとのやり取りを思い出すと足がすくむんだよ! あんなに言葉と態度をオブラートに包まない人間初めてなんだよ! もうこのドキドキバクバクが、ときめきなのか恐怖なのか分らないくらいトラウマなんだよぉう!」
「言ってる事がよく分らないわ」
頑張って十mくらいあたしを引きずった三人だったが、とうとう根負けしてあたしの腕を解放した。反動で、あたしの体は後ろへひっくり返った。
「あたしかて歌えるもんなら歌いたいんやぁ〜。歌唱業界で無双して、ケメトでてっぺんとったりたいんやぁ!」
あたしはうつ伏せに転がると、地面を拳で叩いた。
ねえや達の困りきったため息が3人分、聞こえた。濁音交じりだった。
「どうする? こんな調子じゃ仕事になんないよ」
「でもマキノがいないと契約違反になっちゃうじゃなぁい」
「とにかく、六日後までに何とかしなきゃ」
そうして、ねえや達が打ち出した打開策が、別の宴会場での仕事、という形のリハビリだったのだ。
幸い、レイが依頼した仕事までに日はあった。ねえや達はあたしの自信とやる気を回復させようと、比較的気を張らずにできそうな宴会場での仕事を探してきてくれた。
あたしはねえや達に連れられ、ネフェルホテプという書記の家の宴会に赴いた。
「話題になっている外国の歌を頼むよ。しっとりとした愛の歌をメインで」
大きな一軒家に辿り着くなり、一目見てズラだと分るボリュームのオカッパ頭をしたオジサンが、あたしたちを迎えてくれた。
「お任せ下さいなご主人。息子さんの就職祝いに相応しい、美しい曲をお届けいたしますわ」
ハープを抱えたシトレが、ネフェルホテプに愛嬌たっぷりに言った。
「同僚の若い娘さん達も呼んでいるんだ。息子に良縁ができるよう、ムード作りを意識して欲しい」
「ええもちろんです。私達、そういうの得意ですからぁ。お代を頂いた分は、しっかり働かせていただきますわぁ」
ティイが蠱惑的に微笑んで身を寄せると、ネフェルホテプは焦った様子で後ずさった。
「いや、私は妻がいるので遠慮するよ」
何言ってんだこのオヤジ。
あたしは鬘を被った主催者に冷ややかな視線を向けた。
すかさず耳元でヘンティが「笑え」と指示してきたので、反射的にカラッポな営業スマイルを作った。
あたしはオカッパの主催者に提案した。
「お若い方が多いなら、最初に溌剌とした楽しい感じの曲を入れるのはどうでしょう? 段々に大人っぽくしていく感じで」
演出なら二年間のショーパブ勤めで多少覚えがある。
あたしの提案に、主催者は「かまわんよ」と人の良さそうな笑顔で快諾した。
「宴の間中、適当に歌っててくれ。合間に妻の手伝いもしてくれたら有難い」
つまり、今夜の仕事はバックミュージシャンだった。
ケメトの宴会ってのは贅沢なんだな。
そんな事を考えながら、あたしは呑気に構えていた。
大勢の着飾った招待客が続々とお屋敷に入って行く中、あたしとねえや達は、中庭で待機させられた。
宴会場から零れて来る賑やかな声を聞きながら、腕にたかってきた何匹目かの蚊を潰した頃。主催者の奥方らしき女性が姿を現し、あたし達をせわしなく招き入れた。
「さあお行き!」
追い立てられるように、あたしたちは宴会場に飛び込んだ。
入るなりヘンティが太鼓を打ち鳴らしたのは、打ち合わせ通りである。
あたし達は、主催者の息子とその友人達の為に、キュートなアイドルグループが飛んで跳ねて踊りまくる楽曲を披露した。
スピード感のある突き抜けた太鼓のリズムに全身の血が弾けそうな、エネルギッシュなミュージック。
思惑通り。楽器を演奏しながら、器用に舞い回るねえや達のパフォーマンスに、十代半ばの若者たちは大喜びだった。
ケメトでは、踊りはダンサーの役割で、楽士は基本座って演奏するものだという情報から、これは絶対ウケるから! とあたしが提案したのである。
意外なことに、この曲は女の子に好評だった。中には恥ずかしそうにハニカミながらも、振り付けを真似てくれるお嬢さんまでいたのである。
嗚呼この充実感よ。
忘れそうになっていた快感が蘇った。
おめでとう自分! マキノミツは、トラウマを克服しました!
あたしは実に清々しい気持ちで、両手を高く掲げてフィニッシュのポーズをとった。
拍手喝采の中、主催者のネフェルホテプが出入り口に笑顔を向けた。
「先生! ようこそお越し下さいました」
急いで立ち上がり、出入り口に早足で向かってゆく。どうやら、遅れていた招待客が到着したようだった。
あたしも主催者につられて、ポーズを取ったまま、出入り口に振り向いた。そこで、固まった。
ネフェルホテプに迎えられていたのは、足首までの丈の長いチュニックをスマートに着こなした男性。レイだったのである。
目が合った。
軽く腕を組んだその姿は、こう言っていた。
『またやっているのか』
と。
もう、ここは笑って乗りきるしかない。
あたしは本日二度目のカラッポな笑顔で、賓客をお迎えした。
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