第4話 毒舌美男から仕事を獲得せよ

 あたしは三曲目を歌い終えてお辞儀をすると、すぐにイケメンを追いかけた。曲が終わって早々に、彼が群衆から抜けて立ち去ろうとしたからである。

 しかし駆け寄ったあたしが横に並んでも、彼は知らんぷりで歩き続ける。

 いやもう、この時点で既に絶望的ですがな。

 中東系の凛とした横顔を見上げながら、内心、泣きが入った。けれどもあたしも楽士のはしくれになったからには、ここで黙ってお見送りするわけにはいかないのだ。今晩もパンとビールで栄養補給をする為には、勇気を振り絞らねばならない。

「ど、どおもぉ~」

 勇気を振り絞った割に、声が上ずったのは少々悲しかった。

「ずっと聞いててくれたよね。今日の歌、気に入ってくれた? もしお気に召すのがあったら、お家に呼んでもらえると嬉しいなぁ。特別価格でお安くしときますよ~」

 もみ手、というジェスチャーがこの国に存在するのかは知らないが、最大限のお愛相として、腰の低さが伝わればそれでよい。これで少しでも、彼が態度を軟化されてくれれば。そんな淡い期待が、擦り合わせた掌の間でスリスリと音を奏でた。

 揉手が功を奏したのか、彼が歩みを止め、あたしに向き直る。

「シストラムを尻で鳴らすなんて。神への冒涜ですか」

 しかし態度が軟化するどころか、開口一番、叱られたのは、まさかだった。三曲目の雰囲気に合わせて、小悪魔っぽくみせようと小技を効かせたのがよくなかったらしい。

 けれども彼の第一声は、あたしの心臓を鷲掴みにした。硬い言葉使いの下から滲み出てくる色気に、あたしの頬は緩み、心がお代わりを欲してしまう。

 いかん、今はニヤけてはいけない。

 あたしは、だらしなく垂れかけた眼元と口角周りの筋肉を慌てて締め直した。

「シストラム――ああ、あのガラガラね。神様の楽器だったのね。ごめんなさい。外国人だから知らなくて」

「無知は言い訳になりません。私は非常に気分を害しました」

「はい。ええと、あの……馬鹿ですみません」

 出されたお代わりは辛辣だった。上客を逃すどころか慰謝料を要求されそうで、あたしは心底肝を冷やす。お姉さま三人に助けを求めるべく、視線で訴えたが、残念ながら頼りのお姉さま方は、おひねりを拾い集めたり観客の中からカモを捕まえることに忙しいようだ。クレーマーに声をかけてしまったあたしのピンチには、全然気付いてくれない。

「あなたが馬鹿かどうかは存じ上げません。無知だと申し上げただけです。では失礼」

 一方的に会話を打ち切ったクレーマーが、ぷいと横を向いて歩いて行く。

 ああキツイ。この人、あたしがこれまで会ったどの男よりも、棘の出し方がエゲツナイよう。

 敵意と軽蔑が前面に押し出された言葉と態度で傷つけられまくったあたしは、貼りつかせた笑顔の下で泣いた。

 けれどこれで、この毒舌クレーマーともオサラバできるのだ。もう二度と、言葉を交わすことはあるまい。あたしは小さくなってゆく彼の背中を見送りながら、ホッとした。

――ような気がしたんだけれど。

「ちょっと待って!」

 何故か急に掻き立てられるものを感じ、引きとめたのである。

 あああああ! なんで止めたの、あたしー!

自分でも信じられなかった。声と見た目が好みだから? だとしたらあたしは、とんでもない阿呆である。とにかく、前言撤回できるものならしたかったのだが。振り返ってくれたお客様を前に、そんな失礼なことできるわけがない。



 そのイケメンはレイといった。レイが立ち去ったその場所で、あたしは地面にへたりこみ、項垂れる。

「どうだった? マキノ」

 後ろから、シトレの心配そうな声がかかった。ヘンティとティイの足音も近付いてくる。

 あたしは、はち切れんばかりの心臓の拍動を感じながら、勢いよく右手を掲げた。その手には、レイから貰った、前金代わりの腕輪が握られている。

 ねえや三人が、歓声を上げた。



 レイとの契約の経緯は、こうである。

「で、でもぉ、ね。最後までちゃんと歌を聞いてくれたということは、ですよ? 少しはお気に召す部分もあったのではないかと……いう、ことではないで、しょう、か?」

 あたしはしどろもどろになりながら食い下がった。

「最後まで我慢したのは、私の主から命令があったからです」

「がっ、がまん?」

 絶句するあたしの前で、レイは説明した。レイが仕えている人物は、ここ数年で父親を亡くし、それに伴い重要な役職に就かなければならなくなった。更に、生まれつき患っている持病が最近、眠れぬほどの痛みをもたらしているのだそうだ。そういう理由で心身ともに衰弱している主人が昨夜、臣下から奇妙な歌うたいの噂を聞いたと言ってきた。その歌うたいは、これまで耳にしたことの無い旋律の曲を歌い上げ、たった一曲で周囲を虜にしたという。そして、その歌うたいは本日の正午、広場で再び曲を披露する話である、と。 

 その者の歌をぜひ一度聞いてみたいと、普段はワガママなど滅多に口にしない主が、必ず連れて来てくれとレイに命じたのである。主人が元気になるならばと思い、噂の通り正午に合わせて広場に赴き、様子を見ていたレイだったが……。

「幻滅しました」

「げ、げん、めつ?」

 レイは再び、あたしの心臓をぶすりと刺した。いまだかつて、あたしの歌がここまでコケにされたためしは無い。ヤジられた経験は何度かあるけれど、それはタチの悪い酔っ払いが「露出が少ねえ」とか「色気が足りん」とかヌかす程度だったのである。

「あたし、お客様から歌自体に駄目出しされた事は、今まで一度もないんですが」

 茫然と言ったあたしを、だからなんだ? といった具合にレイは冷たく見下ろした。

「関係ありません。あなたのような無作法で破廉恥な方を会わせる訳にはまいりませんので、主人には諦めるよう進言いたします」

 無作法。破廉恥。その二つの単語を耳にしたあたしに、希望の光が降り注ぐ。

 つまり、無作法で破廉恥なあたしの歌い方が気に入らなかっただけで、歌唱力に幻滅したわけではなかったと!

 しぼんでいた自信と商売意欲が、みるみる蘇ってきた。

 ダイジョウブ! アタシまだ頑張れるワ!

「そう言わずに! 破廉恥なのは歌だけにするから!」

「だからその歌が駄目だと申しているのです。私の主人は、まだ十二歳。正直言って、耳に毒だ」

「行儀よくも歌えます!」

「本当に?」

 あたしが力いっぱい宣言すると、レイは腕を組んで不信感たっぷりに訊き返してきた。

「はいもう、神に誓って!」

 と、神殿にいた人相手に迂闊な発言をしてしまったのは失敗である。レイが顎を下げて、じろりとあたしを見た。あたしは正直に白状する。

「すみません無宗教です。でももし、この国に歌の神様がいたら、その神様に誓うので」

 途端、レイの瞳が暗くなった。

 かつてはいたが、今は唯一神の元に隠されている。

 影を落とした瞳を伏せ、レイはぼそりとそう呟いた。とても早口で、聞きとり難かったので、独り言だったのかもしれない。自分が何かマズイ事を口走ったのだと気付いたあたしは、謝らねばと焦った。しかし、あたしが謝るより先に、レイは気を取り直したように顔を上げてこう言ったのだ。

「いいでしょう」と。そして、試しにここで歌えと、まさかの追加テストを提示してきた。

 てめえ何様だオイ。

 反感を覚えたが、せっかくのチャンスを逃すわけにはいかない。あたしは承諾した。

「じゃあ、まあ、サビだけ何曲か歌うから」

 十二歳という情報から、私は小学生が集まるイベントで使ったリストの中で覚えているものを、適当にピックアップして歌っていった。

 日本を代表するアニメ会社が手掛けた名作の主題歌。ボーイミーツガールといえばこれだという人は多い。勇敢な煙突掃除少年達の物語の歌。桜をテーマにした曲でデビューしたデュオの傑作。世界的に有名なネズミのマーチ。

 最終的にレイが納得したのは、国民的青色ロボット映画の主題歌だった。姉妹のソプラノが美しい一曲だ。

「あと何曲か、似た感じのものを用意しておいて下さい。先程の数曲を使って下さってもかまいません」

 そう言いながら、レイは右手首につけていた乳白色の分厚いブレスレットを抜き取った。

「これは前金です」とあたしの手に持たせる。

 彫りの無いつるりとした感触のブレスレットは、持ち主の体温がほのかに宿って温かかった。

 名前を聞かれたので、マキノだと答えた。前の日の夜に、ねえや達に『マキノ ミツ』と氏名両方名乗ったのだが、発音しにくいからマキノでいいわね、と苗字で呼ばれることになったからである。蜜という名前は、幼い時からなんとなく古めかしく感じていたので、あたしは苗字呼びを快諾したのだった。

 マキノ、ですね。と、レイはあたしの名前を繰り返した。

「私はレイといいます。六日後の正午、ここに迎えに来ます。それまでに仕上げておいて下さい」

 そうして彼は、本当に、やっと、立ち去ったのだ。

 


「お手柄よ! よくやったわ!」

「この腕輪、象牙だよ。太っ腹だなぁ」

「いいカモができたわねぇ」

 ねえや達は、あったかいお胸にあたしの頭を抱いて褒めてくれた。あたしは強敵相手の営業にすっかり疲れ果て、抜け殻同然で美女三人に揉みくちゃにされた。

 とにもかくにも、ケメトでの初仕事は大成功に終わった。――かに、思えたのである。

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