第3話 楽士三美女との出会い

 あたしはお姉さん達に連れられて、宿泊施設が併設された酒場の様な場所に移動した。ヘトウというらしい。

 そこで、さきほどの投げ銭でパンと怪しげなどろりとした飲み物を買い、四人で食卓を囲んだ。食卓と言っても、文机みたいな小テーブルである。

 一グループ分のスペースは、床に敷かれた薄い敷物の大きさで示されていた。花見席みたいなものである。


 ランプが灯されたレンガ造りの酒場は、レンガのテラコッタにランプから発せられるオレンジの光がゆらゆらと揺れており、そこに映し出される人影が幻想的だった。

 むっとした熱気が充満した室内に、にんにくと油の甘い匂い。小麦が焼かれる香ばしい香り。宿泊客たちの笑い声。

 音楽もラジオも無いけれど、そこにあるもの全てが五感を刺激するご馳走だった。


「いきなり血相変えて走って行ったもんだから、私達、心配になって追いかけたのよ。楽器を抱えながらだったし、あなた足が速いから、危うく見失いかけたわ」


 広場で演奏していた三人組のリーダー、シトレは、豊かな胸を揺らしながら、身振り手振りでドラマティックにその時の様子を説明してくれた。


「女の子の一人旅なんて危ないよ。あたし達と一緒にいようよ。歌手がいなくなって、丁度困ってたんだ」


「ここの事も教えてあげるわ。ね?」


 アフリカ人風のヘンティと、緑色の瞳が美しいティイがあたしの両側に座って、肩に優しく手を置いてきた。


 ああああ! 善い人達だあ!

 

 心身ともに疲れ切っていたあたしは、むせび泣いた。小麦色とチョコレート色の肌をした三人の美女が、女神に見えた。


 この女神様達がいれば、ここでも生きていけそうな気がする。希望が湧いてきた。


 さあ食べなさい、とティイが甘ったるい口調でパンを渡してくれた。正直、水分を最初に摂取したかったけれど、女神様のご厚意を無下にできなかったあたしは、パンにかぶりついた。


 最初の一噛みで、無数の粉砕音とともに、ザラザラとした硬いものを奥歯に感じた。


「……じゃりじゃりする」


 パンに砂が大量に混じっていたのである。


「そう?」


「こんなもんじゃない?」


 シトレとヘンティが当たり前の如く、砂混じりのパンをもぐもぐした。

 

 噛めば噛むほどパンが液状化し、その分砂が際立つ。

 吐き出すわけにもいかず、のろまな咀嚼の後に、あたしは砂粒混じりの塊を強制的に喉へと送り込んだ。


 続いて、大きめのカップを満たしている液体を口にをつけた。待ちわびていた水分だった。


 口に含んだ途端吐き戻したくなったが、気合で飲み込んだ。


「……どろどろ」


 ほんのり甘味があり味は悪くないが、これも食感が最悪だったのだ。


「ビールってそういうもんでしょ」


「栄養あるんだから飲んだ方がいいよ」


「もしかして、ビール初めてなのぉ?」


 ああ、ケメトなる国の厳しき食文化よ。しかもビールって、酒じゃねえか。


 眩暈がした。

 酔ったわけじゃない。ケメトのビールは現代の物よりずっとアルコール度数が低いのである。

 そもそも、ケメトでは子供もビールを飲む。ビタミンが豊富で、川の水より安全だからだ。勿論、製造過程で発酵し過ぎたり、飲み過ぎると酔っぱらうが。


 とにかくこの時。初めて口にした砂混じりのパンと、吐○物のような酒は、飽食時代に舌を肥やしたあたしを、みるみるうちにホームシックに陥らせた。


「帰りたい」


 ぽつりと呟くと、じわりと視界が滲んだ。


「家にがえって、おがあざんの、海老フライ食べたいよぉぅ」


 女神様達に申し訳ないと思いながら、あたしは鼻水を垂らしてぐしゅぐしゅと泣いた。


 三人の女神様は、不細工な顔ですすり泣く風変わりな小娘のあたしを、困ったように見つめた。

 実に今更ではあったが、彼女達は拾った人間の身元に疑問を抱き始めた。


「そういえばこの子、なんで迷子になってたの?」


「さあ。ひとさらいに遭ってそのまま捨てて行かれたってとこじゃない?」


「まあ、十七にしては体の発育がちょっと遅い気もするけどぉ。顔はそれなりに見れるのにねえ」


 お姉さま方は、誘拐された挙げ句ポイ捨てられた女の子として、あたしの身の上を勝手に決めて同情した。


「旅費が貯まったら、私達もお家に送ってあげるから。泣かないで?」


 嗚咽を漏らすあたしの背中を、三つの柔らかい掌が優しく撫でた。


 ありがとう、ねえや達。でも、金の力で帰れる場所じゃねえんだよ!


 あたしはテーブルに突っ伏して号泣した。




 ひとしきり泣いて、苦行のような食事も終えると、ねえや達が自分達の楽器を見せてくれた。


 小型の琴みたいなハープ。シタラというリュートに似た弦楽器。縦笛。シンバル。アフリカ太鼓のようなドゥフ。あとは、シストラムというガラガラみたいな打楽器と、カスタネットにタンバリン。


「あなたの歌は耳慣れないけど、何度か聞かせてくれれば適当に合わせられるわ。明日の昼までに何曲か仕上げておきましょ」


 あたしがケメトの歌を何一つ知らないので、翌日はあたしの知っている歌ばかりを演奏する事になった。シトレはリーダーらしく、如才なく練習を仕切ってくれた。


 あたしたちは中庭にランプを一つ持ちだして、音量を抑えてセッションした。


 赤茶色の丸いランプの中で揺れる淡い輝きを真ん中に、楽器を鳴らして歌う夜。それはキャンプのようで、あたしのしぼんだ心をほんの少し、明るく膨らませてくれた。


 蚊が若干、うっとおしかったけど。





 翌朝、藁を敷きつめた雑魚寝からむくりと起きると、あたしの心は随分すっきりしていた。


 そして正午。ねえや達のワンピースとサンダルを借りたあたしは、すっかりケメトの人になって、前日の広場に舞い戻った。


 面長のオッサンの石像は、その日もバケツを逆さに被ったような頭を青天に突き立てていた。

 前日はオバサンが露店を広げていた石像の足元で、あたしはケメトの熱い空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


 砂だらけのパンは今朝も完食できなかったけれど、ケメトの空気は生命力に溢れていて、体の隅々まで細胞に活力が与えられた気がした。


 演奏は昼間だし、盛り上がる明るい曲を、というのが昨夜頂いたねえや達からのリクエストであった。



 いいねえ。昨日おもくそ沈んだ分、リベンジといきましょうか。



 既にあたし達を中心に大勢のひとだかりができていた。


 ケメト人よ。あたしの世界の名曲を、とくと堪能するがよい。


 あたしは口元に挑戦的な笑みを浮かべると、タンバリンをくるりと回転させた。


 用意した曲は三つ。


 一曲目。

 元祖ではなく、女装チアガールのパフォーマンスが面白い方のダンス曲。

 あたしは、お盆代りにタンバリンを回しながら歌った。観客は大喜びであたしを指差し笑っていた。

 

 二曲目。

 ポップな曲の組み合わせが胸を踊らせる、六十年代ボルチモアのハイスクールを舞台にした映画の挿入歌。

 最初は皆さんノリノリだったが、後半のシャウトはケメト国民の趣味には合わなかったようである。若干引かれた。

 また、この曲はシタラとハープを高速でつまびくシトレとティイの手首を、瀕死の状態に追い込んだ。


 三曲目は、前日に熱唱した曲が挿入歌として使われた映画で、同じく使用された一曲。


「昼間に歌うにはちょっと色っぽいけど、可愛くていいんじゃなぁい?」


 というティイお姉さまの一言で、採用されたのである。


 あたしはガラガラを身体に打ちつけて鳴らしながら、甘く可愛く悪戯に、小悪魔女を演じた。



 この二日間で気付いた事があった。


 まず言語だが、指輪が翻訳するのは会話だけである。石碑や壁に書かれてある文字は、何一つ分らない。


 また、会話もすべからく翻訳してくれるわけではないようで、こちらがあまり意味を理解していない単語を話すと、相手にも伝わらり難いようだった。

 逆もしかり。相手がよく知らないままに単語を口にすれば、発せられたそのままの、音の羅列で聞こえるのである。故に、英語の歌詞などはあたしがきちんと意味を理解していれば、聞き手も歌詞を理解できた。


 次に。広場に集まった観客の中に、昨日しかめ面で門を閉めた青年が居た。

 ねえや達によると、あの公共施設のような建物は、アテンという神様を祭っている神殿であるとのことだった。

 神殿の前で騒ぐのはマナー違反だそうなので、扉を閉めた彼が嫌な顔をしていたのは、騒ぎを嫌ったからだったのだろう。そう思って納得したが、この日も彼は難しい顔で、あたしたちの歌を聞いていた。

 まるであたしたちを値踏みするように。一曲目からずっと。


 どうせ聞くならもっと楽しそうにしてほしい思うのは、演奏側の心情としては間違っていないはずである。しかし、文句はつけられなかった。威圧感が物凄く、冗談でも絡める雰囲気ではなかったからである。バイトをしていた頃ですらこれほどに絡みにくい客はいなかった。しかも、その美しい眼元を飾る眉間に寄っている皺が段々、深くなっている気がしたのである。

 段々、段々――明らかに不愉快そうだった。


 とうとう彼はため息をついた。続いて、心底呆れたように頭を振った。


 ああもうあの人、帰ればいいのに。


 観客に引かれたシャウトをしたのが、こう思った直後である。


 二曲目を終え、たまらなくなったあたしは三曲目に入る前に、シトレに耳打ちした。


 すみません姉さん。怖いイケメンさんがあちらにいます、と。


 シトレは吊りそうになっている手首をストレッチしながら、ちらりと視線だけでターゲットを確認した。


「上流階級の家に務めてる人かもね。楽士は宴の余興に呼ばれる事があるから、偵察に来たのかも」


 終わったら声かけて頂戴。愛想良くね。

 そのように指示してにこりと微笑んだリーダーは、


「絶対逃がすんじゃないわよ、マキノ」


 声を低くして、プレッシャーをかけてきた。


 流石は旅の楽士である。商売根性が半端なかった。



 

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