第6話 小狐2

この地も安全で無くなる前にと楓は、何度か子供達を移動した眷属の元へと差し向けた。


一太達が住める場所で一番近いのが、地元住民の強い要請により山を自然の状態で保存した清水山自然公園がある。そこへ行くには、途中に交通量で有名な国道や人通りの多い場所を何カ所も通り抜けなければならず、まだ妖術も使えない兄妖狐と幼い弟達には徒歩二十キロの移動は難しかった。


楓の協力を得て人通りの途切れる夜間の移動を試みた事はあるが、楓が目増しの結界を張れるのは、周囲五キロがやっと 運が悪い事に通り道八キロ地点には、コンビニ・レンタルビデオ・飲み屋など二四時間営業の店舗が立ち並ぶ場所があり 人の姿に成れるもののまだ耳としっぽは隠せない一太たちは、人目を引き酔っ払いに絡まれ、獣姿で駆け抜けようと試みれば、狐が出たと人々が大騒ぎで捕らえようと動きだし三人は必死に町中を逃げ回り間一髪 楓が張る結界内へと逃げ込んで助かっていた。


結界を張り子供達を守る楓も周囲に移り住んだ人々が、無意識に解き放つ負の気により日増しにその霊力を失いつつあった。


「痛い…」二太の横に並び座ろうとした一太が小さく呻いた。


先日の早朝いつもの様に食べ物を探しに町中を徘徊中ゴミ集積場で、手にした空き箱の中に食べ残した骨付き空揚げを見つけたうれしさに周囲への警戒を忘れていた一太は、後方から聞こえた唸り声に驚き振り向いた。


大きな黒い犬が、牙をむき目前に居る獲物の喉元を狙っていた。


しっぽが、逆立つ程の危険を感じ一太は後ずさりする。その動揺を感じた犬が、喉元を狙い飛び掛かって来る。


咄嗟に手に持っていた箱を投げ付け一回目の攻撃を交わし、逃げ去ろうと走り始めたが、気持ちが動転して思う様に足を動かす事が出来ず一太は、アスファルトの堅い道路に前のめりに転び裸の手足を嫌という程擦り剥いたが、今はすり傷など気にしてはいられなかった。


後方から黒い犬が牙をむき襲い掛かってくる。


一太は道路に転がり必死に身を交わし逃げ回るしか出来なかった。


「ギャン」突然鋭い痛みが一太の体を走る。犬は鋭い牙と頑丈な顎で一太の左足首を銜えたまま食いちぎろうとする様に頭を激しく振り始める。


悲鳴を上げながら何回も道路に叩きつけられる一太は、人の姿を保てず狐の姿に返っていた。


「にいちゃ」薄れて行く一太の脳裏に妹を抱いた二太の泣き顔が、浮かび上がる。


「だめ…まだ…だめ」二太達を残しては逝けない一太は気力を振り絞り足首を銜えている犬の鼻先を右前足の爪で引っ掻いた。爪は犬の左目を傷付け一太に逃げる隙を作ってくれた。


一太は逃げた。とにかく必死に逃げた。どうやって辿り着いたのか、気が付けば虚の中に横たわり泣き顔で覗き込む二太の顔をぼんやり見ていた。


一太は、丸三日間 足首の傷に因る熱にうなされ眠り続けた。


熱が引いた後も一週間は体のあちらこちらが痛み動けず虚の中で、ウトウトと過ごしていた。


そして今日やっと外へ食べ物を探しに行けたのだった。


この十日間口にした物は、時折二太が拾ったペットボトルに入れ飲ませてくれた社裏の涌き水と以前刈り取り干しといた草に、仲間の妖魔が、近くの畑から盗んだキャベツだけだった。


「にいちゃ…あし痛い」二太が心配顔で覗き込む。大丈夫と座り直した途端無理な力が入り焼け付くような痛みが、左足首の傷に走り一太は思わず呻き声を上げる。「痛っ~」

苦痛を耐え流れ固まった血が、こびり付く覆いを一太はためらいながら外した。


今日無理して走り回った為、傷口は開き腫れ上っていた。


一太に出来る事は、汲み取った清水で傷口を洗い、シャツを切り裂き作った布切れで傷を覆う事だけだった。


無理が祟ったのか、その夜一太は、再び高熱に襲われ意識を無くし眠り続けた。


二太が、一太に変わり食べ物を拾いに町中へ出掛けようと試みたが、一太の足跡を辿った黒い犬が、付近を毎日うろつき回る為、結界より外へは出られず、空腹の為に動けなくなってしまった。


熱にうなされた一太が時折「かあ…ちゃん」と呟く。


二太の脳裏に優しかった母の姿が、浮かぶ。涙を堪えようと我慢するが、絶望と悲しみが、小さな胸を締め付ける。


「かあちゃ か…あちゃ‥」二太は呟き始めそれは涙と嗚咽に変わる。つられて胸元の小さな妹も、か細い声で泣き始める。


人の年で言えば三才まだまだ親の庇護がいる年頃。


負の気に日増しにその霊力を失いつつある楓に出来る事は、結界を張り子供達を人間や外敵より隠し声を掛け励ます事だけだった。


「もう少し頑張れニ太…もう少し」楓の優しい囁きと暖かい霊気に二太は微かにほほ笑みコックリと頷いた。

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